2.はじめまして〝女神様〟-2
「燈真くんじゃん。今年は一緒のクラスだね」
襟足に青色のインナーカラーが入った黒いミディアムショートの髪を靡かせて、アイシャドウとマスカラで控えめに飾り付けられた目をこちらに向ける彼女は、結城渚。
結城とは中学生の頃からの付き合いで、当時は同じ部活動に所属していた。彼女と特別親しいというわけではないが、たまに世間話をする程度には仲良くさせてもらっている。
「……おう。一年間よろしく頼むよ。結城」
結城に対して複雑な感情があるわけではないが、なんとなく後ろめたさを感じてか、彼女に向ける顔が少しだけ歪んでしまう。
「うん。よろしくー」
それでも結城はいつも通りの飾り気のないさっぱりとした笑みを浮かべた。
そして結城は俺の前の空席に座ると、教室全体を見渡すように顔を動かし、未だその勢いを増す人だかりで視線を止める。
「にしても相変わらず人気者だねぇ……、〝女神様〟は」
〝女神様〟を取り囲むその光景を見て、結城は淡々とした声で呟いた。
俺も結城に続いてその集団に視線を移し、相槌を打つ。
「……そうだな」
「彼氏とかいんのかな?」
「さあな。もしいるなら、すでに話題になってるんじゃないか」
「相手がうちの生徒だとは限らないじゃん? バイト先の先輩とか塾の講師とかもあり得そうだし」
教室内の喧騒に反して、俺たちの話は淡々と続いていく。
俺と結城はいつもこのくらいの距離感で会話をしている。誰がどうしただのあれはどうなっただの、特に深い話をするでもなく当たり障りのない会話ばかりをしている。
それでも俺は彼女のことを友人と評しているし、彼女からも同じ認識を貰えているだろう。
側から見れば薄い人間関係にも見えるが、俺にとってはこのくらいがちょうどいい。
結城は視線を元に戻すと、俺の机の上に両腕を置いて頬杖をついた。
「紅葉も、ほっといたらいつのまにか彼氏作ってるかもよ?」
そして、まるで俺のことを試すかのような口調でそう言ってくる。
「あんだけ可愛いんだから、作ろうと思えば彼氏の一人や二人できてもおかしくないしさ」
「……普通恋人は一人だけだろ」
「……いや言葉のあやだから……。そんな真面目に捉えられても困るんですけど」
結城は拍子抜けしたようにため息を吐いて、椅子の背もたれに寄りかかるように体を反らした。
そして、ぶつぶつとぼやくように口を開く。
「……本当に、いつになったら仲直りできるんだろうねー。中学生の頃はあんなにべったりだったのに」
「…………」
「今じゃ口きけば喧嘩ばっかだし、見ててこっちが焦ったくなってくるっていうか──」
「今のままでいいんだよ。あいつとは」
結城の言葉を遮ってまで放ったその声は、あまりにも冷淡としていた。
ピシャリと冷や水を浴びせられたように口をつぐんだ結城は、俺から視線を外してうっすらと口角を上げる。
「……まあ、部外者がとやかく言うことじゃないか」
結城はそれきり何も話さなかった。
一瞬にして居た堪れない空気が漂うも、それは〝女神様〟の集団から発せられた、教室中に響き渡るはち切れんばかりの声によってかき消された。
「おー、やば。めっちゃ盛り上がってるじゃん」
先ほどの一連の流れがなかったかのように、結城はいつも通りの調子でそう言った。
「賑やかな一年になりそうだね?」
「……そうだな」
普段は騒がしいことこの上ないと思っていたその騒ぎ声に、今この瞬間だけは感謝せざるを得なかった。
「……あー、でさ……」
結城は〝女神様〟の集団から視線をこちらに戻すと、真っ直ぐ首元まで伸びる襟足の髪を指に巻きつけながら、遠慮がちに口を開く。
「例のやつ、どうなった? アタシの代わりに視察やってくれそうな人、見つかりそ?」
「……どうだろうな。早乙女が声をかけてみるって言ってたから、その人からの返事次第だな」
「ふーん……。そか」
語気の軽さに反して思案顔な結城。
「もしかして、視察に参加できなくなったこと気にしてるのか?」
「そりゃ、まあ……。おとめちゃんの頼みだからって張り切って引き受けたのに、アタシのミスで逆に迷惑かけちゃってるし……」
結城の声は段々と萎んでいった。
結城の言うおとめちゃんとは、俺と同じく生徒会に所属している早乙女のことだ。
俺と早乙女は部活動と同好会などの団体を視察するために、先月から人を集めていた。
4月の下旬に開催される新入生に向けての部活動及び同好会の合同説明会に先立って、一度活動の様子を内部から観察して、組織の動向や状況などを調べる必要があるからだ。
もちろん教員側の目もそれらの組織に入るものの、生徒の視点でしか見えない問題や課題などがあるため、この学園では生徒が生徒を評価するこの行事が毎年恒例で行われている。
今年も例に漏れず生徒会役員が主体となって視察組織を立ち上げ、各部活動や同好会を評価していく。しかし、その評価する生徒というのがそれらに属していない者が望ましく、視察の人員として動ける者を集めることに難儀していた。
視察に必要な人数は最低六人。俺と早乙女でお互いに二人以上は揃えようと取り決め、先月の修了式前に開かれた会議ではギリギリ六人揃っていたのだが……。
「締切の確認不足とかさー、めっちゃマヌケじゃん。なに呑気に春休み過ごしてたんだって、アタシ……」
結城は昔から絵を描くことが趣味らしく、高校に上がってからは、企業や団体が主催しているコンクールに定期的に自身の作品を応募しているらしい。去年に何度か集会の際に表彰されていたのを覚えている。
昨日の夜に早乙女から電話で聞いた話によると、結城は今回応募するコンクールの公募受付期間を見誤っていたらしい。その受付期間の締切日が、視察が終了する見込みの日とピッタリ重なっていた。
そのため視察組織の顧問の教師を含めて話をしたところ、一旦結城には今回の視察からは外れてもらい、彼女の都合を優先するべきだろうと結論が出た。
というのも、学園側も結城には期待しているのだろう。なんせ美術部員よりも打率が高いのだから。
朝方手間をかけてセットしたであろう自分の前髪を気にも留めず、結城は俺の机に両肘をついて自分の額をグリグリと回している。
結城は場の空気を読んで人に気配りできるタイプの人情深いやつだ。だからこそ、自分の確認不足でこのような結果を招いてしまったことに罪悪感を感じているのだろう。
「こっちのことは心配しなくていいから、自分の方を優先してくれ。締切までそう時間ないだろ?」
俺がそう声をかけると結城はゆっくりと顔を上げて、への字に曲がっている口を開く。
「……別に徹夜すれば絵も視察もどっちもできるけど」
「そこまでされたら俺たちが申し訳なくなるだろ。こっちは協力したいって言ってくれてるだけありがたいんだから、そんな気にすんな」
一応フォローの言葉を投げかけると、結城は渋々と自分を納得させるように頷いた。
「でもアタシの代わりを探すっていっても、多分そっちが求めてる条件の人、あまりいないんじゃない? 確か部活動にも同好会にも入ってない人がいいんでしょ?」
結城の言う通り、それが一番の懸念点だった。もし早乙女が今打診している人に断られた場合、視察開始日の明後日までに次の候補を見つけなければいけない。
「まあ、それはそうだけど。俺も一応探してはいるけど……なかなかな」
正直俺の人脈は絶望的に狭い。そのため今はほぼ早乙女頼りの状況ではある。
俺のそんな苦い思考が表情に出ていたのか、結城はうんうん唸ると何かを思いついたように顔を上げた。
「あー……それこそ〝女神様〟は? 多分頼んだらやってくれるんじゃない?」
その言葉に思考が途切れた。
「〝女神様〟はそういう話聞かないから、どこにも入ってないっぽいし。それにまあ、アタシの代わりの人が〝女神様〟なら、アタシも安心かな」
そう言って結城は薄ら笑いをした。
〝女神様〟か……。
俺は〝女神様〟を取り巻く人たちに対してはあまりいい印象は抱いていないが、〝女神様〟本人にはさほど悪い印象は持っていなかった。むしろ好印象だと言ってもいい。上城の個性的な生徒たちを従わせるのはなかなかできることではない。
それに〝女神様〟は去年の生徒会主催の行事の際に、校内ボランティアとして何度か協力してもらった実績がある。だから十分信頼できる人だとは思う。
だからもし仮に、彼女が俺の家の隣に引っ越してこなければ、おそらく彼女に協力を仰いでいた可能性もあっただろう。しかし状況が状況なだけにそれはできない。今波風を立てると、余計な問題まで降りかかりそうだ。
何も返事をしないでいると、視界にチラチラと何かが映り込む。見ると、結城が黙っている俺を不思議に思ったのか目の前で手を振っていた。
「……まあ、考えてみるよ」
「うん。……その変な間には触れないでおきますよ」
どちらにせよ、今日の放課後に開かれる会議で今後の方向性が決まる。
それまでは、視察の話は頭の片隅にしまっておくことにした。
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