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隣の家の女神様  作者: 樟木
第1章
2/15

1.はじめまして〝女神様〟-1

 忙しなかった春休みが終わり、新学期が始まる日の早朝。


 窓の外から聞こえてくる小鳥のさえずりで目が覚めた。


 視界に映るのは机一面に広がる紙と、冷め切っているであろうコーヒーが入ったマグカップ。


 午前六時二十九分。机に置いてあるデジタル時計に表示されている文字を寝ぼけた目で見つめていると、遅れてビリビリと頭に響く音が鳴り始める。


 その音に無理やり脳を叩き起こされ、胸ぐらを掴まれるように意識を引き戻された。


「──あぁー……」


 どうやらまた寝落ちしてしまったらしい。太陽の光以外に、頭上からも輝きを放っている照明がそれを物語っている。


 今もなお鳴り響くデジタル時計のアラームをぶっ叩くように切った後、朝日が漏れ出ているカーテンに手をかける。


 その時、ふと昨日の出来事が頭をよぎった。


『……これから、よろしくね。佐竹(さたけ)くん』


 学園にいる時と変わらず、少しだけ困ったような笑みを浮かべてそう言った、姫野(ひめの)一希かずき。我が学園の〝女神様〟である。


 彼女は人当たりがいい性格で分け隔てなく誰にでも優しく接し、人の窮地には必ず手を差し伸べる慈悲の心を持っているらしい。


 人が思い浮かべる理想の女神を体現する彼女のことを、誰かが〝女神様〟と呼び始めた。するとその愛称は学園中に広まり、学年問わず多くの者がその愛称を使うようになると、絶大な人気を得た彼女を支持する者たちが現れた。


 もしも、俺と〝女神様〟の家が隣同士になったことを、盲信的とも言えるほどの彼女のファンたちに知られたら、何をされるかわかったもんじゃない。下手をすると俺の高校生活を侵害する事案になりかねない。


 だから今後は慎重に行動しなければ。


 開こうとしていたカーテンからそっと手を離して、時間を確認するためにデジタル時計を再び見る。


 俺が目を覚ましてから五分が経過していた。こんな思考のために貴重な朝の時間を消費してしまった。


 机に散らばっている書類の中から今日提出する議事録を探し出し、記入漏れがないか確認していくと、作成者の欄に自分の名前を書き忘れていることに気がついた。


 その辺に転がっているペンを拾って、佐竹(さたけ)燈真(とうま)と自分の名前を書き込んでいく。


 それを部屋に転がっている通学カバンに仕舞い込んで、部屋着から制服に着替える。


 そして身支度を済ませると、いつも通り静かなリビングへ下りた。


──────────


 春らしい暖かい陽気に当てられて、駅から学園までの通学路を歩く。一年前までは新鮮に思えた街並みも、今ではもうすっかり見慣れてしまった。


 俺が通っている高校『私立上城(かみしろ)学園』は神奈川県川崎市に位置しており、全校生徒約千五百人が在籍している。


 上城は部活動などの課外活動が盛んで、部活動と同好会を合計すると七十を超える団体が存在する。他校にあるような運動系や文化系の部活動はもちろんのこと、少しマニアックな同好会まで多数存在している。


 そんな上城学園は、別名〝変人の巣窟〟と呼ばれている。マイペースで我が強い変わり者が多く、協調性のかけらもない生徒たちが通っている。


 統制が取れないという理由で、数年ほど前から二年次の修学旅行が行われなくなったほどの、自由人たちの集まりっぷりである。


 商店街を抜けた先の住宅地をしばらく歩くと、我が学園の校舎が見えてくる。こうして見るとやはり敷地は大きい。


 広々とした開放的な校門から少し進んだ本館の昇降口では、クラス表が印刷されたプリントが配布されており、そこに人がこぞってたむろしている。


 歓楽の声や落胆の悲鳴などで賑わうそこを通り過ぎ、特別棟へ向かうために校舎の横道に入る。そして特別棟の玄関に入ると、持ってきたシューズを地面に放って、ローファーから上履きに履き替える。


 この特別棟は元々本館として使用していたが、現在の本館を新設した後に改装されて、今では理科や家庭科などの科目でのみ使用されている。


 その特別教室を除けば、放課後に部室として使用される部屋や物置き部屋と化した部屋、そして生徒会室ぐらいしかない。そのため他の生徒が寄りつかないこともあり、俺は割とこの校舎を気に入っている。


 本館と違って静寂な廊下を歩いていき、二階に上がると目的の部屋の前に立つ。その部屋の扉を三回ノックしてからゆっくりと開ける。


「失礼します」


 両端の壁に並べられた書類を保管する棚に挟まれるように、向かい合わせで二列に並んでいる六つのデスク。そしてそれを見守るように鎮座された大きめのデスクに座って、PCで作業をしている人がいた。


 その人は俺に気がつくと、明るくおおらかな笑顔を浮かべる。


「──おお、おはよう。佐竹」


「おはようございます。新道(しんどう)さん」


 生徒会執行部の会長、新道(しんどう)総司(そうじ)。全生徒が所属している生徒会の長であり、この学園の顔ともいえるような人だ。


 俺は儀礼的な挨拶をしてから部屋の中に入り、カバンから書類を取り出すと、それを新道さんに手渡した。


「これ、昨日の会議の議事録です」


「おう。悪いな、早めに出してもらって」


「いえ……」


 それは今月の下旬に行われる新入生を対象とした部活動と同好会の合同説明会に向けて、昨日開かれた会議での議題や決定事項などをまとめた議事録だ。生徒会執行部の書記を務めている俺は、このような文書の作成などを任されている。


 新道さんは作業の手を止めて、俺から受け取った議事録を素早く確認していく。そこに書かれた文字を追う新道さんの目元にどこか違和感を感じた。


 新道さんは生徒の模範となるべく、自らを律することを怠らない人だ。この学園の校則はさほど厳しくない、というよりもかなり緩めであるにもかかわらず、新道さんは髪型も服装も厳格に整えている。


 常にきっちりとした雰囲気を纏っているからこそ、今日の新道さんはいつもよりもやつれているように見えた。その原因はなんとなく察しがつく。


「あの……新道さん」


「──ん? どうした?」


 自分から新道さんに声をかけたものの、それに触れていいものか迷ってしまう。


「その……なんというか……」


 新道さんは言葉を詰まらせた俺を仰ぎ見ると、何かを察したように軽く鼻を鳴らして、気にするなと言い、空元気のように大袈裟な笑顔を作った。


 そして一つ咳払いをすると、真剣な表情に切り替える。


「そんなことより。視察の欠員の件はどうなりそうだ?」


「……はい。早乙女(さおとめ)が当てのある人に声をかけてみるとのことで」


「そうか……」


 深くため息を吐く新道さんは、申し訳なさそうに細めた目を俺に向けると、すまんと呟いた。


「俺たちは今回手伝えそうにない。この視察は二学年が中心となって執り行うことが恒例となっているからな。このような緊急事態も極力自分たちで解決することが望ましい。……なかなか大変ではあると思うが、視察のメンバーとしっかり協力して、ことに取り掛かるように」


 最後にはおおらかな笑顔で俺を激励してくれた新道さん。俺はその視線が妙に小っ恥ずかしくて、つい顔を逸らしてしまった。


「……はい。がんばります」


「おう。……じゃあ、そろそろ教室に向かいな」


 もう時間だからと俺に促す新道さんだが、当の本人は議事録の書類を仕分けファイルに入れて、再びPCに向かって作業を開始した。


「はい……。失礼します」


 軽く会釈だけして出入り口に向かい、ドアノブに手をかけて扉を開けようとした時だった。


「佐竹」


 新道さんに呼び止められて後ろを振り向く。


 新道さんはなにかを憐れむように、なにかを詫びるように、そんな複雑な感情が透けて見える表情をしていた。


「日頃学園のために尽力してくれていることはありがたいが、自分の友人たちとの交流も忘れずにな」


「……はい」


 新道さんのその言葉に、新道さんのその優しさに、俺は空返事しか返すことができなかった。


────────────


 生徒会室を後にして自分が配属された二年C組の教室まで向かうと、その教室の前の廊下に人が集まっていた。教室の扉から中の様子を伺っている者もいれば、わざわざその場で留まって雑談をしている者もいる。


 何か問題でも発生したのかと身構え、比較的人の密集していない前扉から教室の中に入るも、それは杞憂に終わった。


 教室の中では複数の生徒が円になるように一塊になり、誰かを囲んでいた。その囲まれている人物はおおよそ予想できる。


 〝女神様〟だ。


 ここにくる途中で受け取ったクラス表には、C組の欄にその名がしっかりと刻まれている。


 俺はもう一度クラス表を取り出して、自分の名前がそこにあるかを確認する。そして無念なことに見間違えていないことを確認すると、黒板に貼られている座席表を仰ぎ見て、自分の席に向かう。


 窓際から二列目の後ろから二席目。そこが俺にあてがわれた席だった。


 机の上にカバンを置いて椅子に座る。そしてカバンの中にある筆記用具や書類やらを机の収納スペースにしまうと、すぐに手持ち無沙汰になってしまった。


 登校時間終了までおよそ10分。この後の予定は担任の教師の案内の元、始業式を行うために体育棟へ移動することになる。


 なのでそれまでは各々が新しいクラスの人たちとの交流を図る時間となる。どの組もクラス替えの結果に対する一喜一憂で盛り上がっているだろうが、とりわけこの教室にいる生徒たちが一番活気づいているだろう。


 嫌でもクラスメイトたちの話し声が聞こえてくる。


「──やっば!〝女神様〟と一緒とか!!」


「──顔人形みたい……ねえねえ、一希ちゃんって化粧してる?」


「──髪もめっちゃサラサラじゃん!」


「──おれ……もう、あしたちんでもいいや……」


 俺の視界の右斜め上には〝女神様〟を中心として、新しい面々との親睦を深めるための輪が広がっていた。男女問わず彼女を取り囲み、我先にとアピールを仕掛ける姿は、さながら野生動物の狩りのように思えた。


 人の隙間からチラリと姿を覗かせる〝女神様〟は、生徒たちの猛攻に対して恥ずかしがるような仕草を見せ、それがまた彼らの情熱を奮い立たせる。教室内がちょっとした狂宴の場になりつつあった。


 それにしても、まさか〝女神様〟と同じクラスになるとは。昨日学園に来た時に自分がどのクラスに配属されるかは告知されていたが、このタイミングでこうなるとは思いもしなかった。


 今もなお冷めやらぬ狂乱の渦中にいる〝女神様〟とその周囲にいる人たちを観察して、改めて思う。


 もし、彼らに俺と〝女神様〟がご近所さんの関係になったことがバレたら。


 どれだけの人が〝女神様〟とお近づきになるために思案を巡らせようとも、彼女はたった一人の友人しか自らと同じ時間を過ごすことを許さなかった。


 それなのに彼らのように熱狂的なファンでもなければ、彼女とさほど関係があるわけでもないやつが物理的に近いポジションを得てしまった。


 これはもうどうなるかは明々白々だ。バレたら俺に明日はない。


 かといって〝女神様〟も事を荒立てることはしないだろう。軽率に自分の引っ越し先を話したりはしないだろうし、俺も誰かに喋ったりなんてしない。話すほどの相手がいない。


 そのため、俺たち二人が周囲の人間に黙っていれば、この事実が明るみに出ることはない。


 だからお互いに干渉し合わなければ良い。そもそもとして家ではまだしも、学園では関わることも少ないだろう。俺と彼女では住む世界が違う。住んでいる家は隣同士だけど。


 そう心持ちを新たにしたことで、改めて周囲を見渡す。


 教室内には〝女神様〟を取り囲む集団を除けば、俺と同じように自席について遠巻きにその集団を見ている者もいれば、数人で固まって会話をしている者もいた。


 あの集団の中に他クラスの生徒も混じっていそうだが、こうして見ると顔と名前が一致する人物がちらほらといる。


 生徒会役員として日々動いていると様々な人と交流を持つことになる。そうすると自然と知人は増えていくわけだが、残念なことにわざわざ声をかけにいくほどの友人はいなかった。


 自分の交友関係の浅さを改めて実感しつつ、廊下側の最後方の席まで視線を向けると、ある二人組で目が止まった。


 一人は席に座って腕を組み、もう一人は対面の椅子に背もたれを前にして座り、机に頬杖をついている。


 二人は何やら談笑しているようだった。片方が澄ました表情で口をもごもごさせると、もう片方は微笑みながら相槌を打つ。


 教室内で見るその光景に、懐かしさと共に妙なバツの悪さを感じる。


 すると、頬杖をついている女子生徒が俺に気がついたのか、小さく手を振ってきた。


 それに軽く頭を下げて会釈をすると、もう一人とも目があう。しかしすぐに視線を外され、あからさまに不機嫌そうな顔をされた。


 ──そういえば彼女も同じクラスだったか……。


 彼女の名前は北条(ほうじょう)紅葉(もみじ)。何か変な縁でもあるのか、幼稚園以降進学先は全て一緒。高校では別々になるだろうと踏んでいたのだが、この有様である。


 彼女とは中学生の頃に一悶着あるまでは、所謂幼馴染みとして同じ時間を過ごすことが多かった。


 しかし今ではお互いに無関心で、同じ学園に通う同級生という枠組みに収まる程度の関係性になってしまった。いや、先の反応を見るにそれ以下かもしれない。

 

 けれどこの関係を改善しようと思えるほど、北条に対して情が残っているわけでもなかった。


 〝女神様〟といい、北条といい、今回のクラス替えは自分にとってあまり良い結果とは言い難いかもしれない。


 それでも新学期は始まったばかり。今後どうなるかはわからないのだが。


 北条と話していたもう片方の生徒が、北条と何やら言葉を交わすと、綺麗に並べられている机の間を縫ってこちらにやってきた。

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