1話 プロローグ
廃ビルの薄暗い廊下に足音が響く。金属質な床が軋み、音は壁に反射して、数を増していく。
自分のもの、仲間のもの、そして混じる、異質な――こちらを探るような足音。
現在時刻、深夜1:08。任務開始から約68分が経過。これまでに接触はなし。
しかし、沈黙が場の緊張感をじわじわと引き上げていた。
「止まれ。」
先頭を進むリーダーが、左手を掲げる。私たちは即座に動きを止めた。空気が張り詰め、鼓動すら敵に悟られそうで、私は息を浅くする。
耳を澄ます。風の音すらない空間で、微かに聞こえる別の足音。
場所は――真上。
「リーダー、どうしますか?」
「人質がいる。迂闊に突入はできない。」
この廃ビル内で違法魔法使いの活動が確認されたのは今夜のこと。
先に派遣された確認部隊が消息を絶ち、通信の復旧と同時に判明したのは、彼らが惨殺され、ただ一人、生き残った者が尋問を受けているという事実だった。
人質は4級魔法使い。敵の実力を鑑みて、今回私たち2級が投入された。
「シノ、こちらへ来い。」
名を呼ばれ、私は身を低くしてリーダーの隣へ移動する。手のひらには汗。だが、顔は無表情を保った。
「お前の固有魔法を使う。視覚共有で上の階を確かめろ。」
「……了解。来て、『バタフライ』。」
私の声に応じ、掌から透明な蝶が一羽現れる。ガラス細工のようにきらめき、静かに羽ばたいた。
これが私の固有魔法『魔蝶・バタフライ』。この蝶には、視覚共有をはじめ、凍結、爆破など複数の魔法を仕込める。情報収集の万能ツールだ。
蝶はふわりと舞い上がり、薄闇の中を上階へと向かっていく。私は目を閉じ、蝶の視界と自分の視界を重ねた。
『視覚共有、開始。』
世界が変わる。粒子の残像が揺れ、私は蝶の意識へと溶け込む。やがて、視界が一室を映し出す。
「どうだ、シノ。」
リーダーの声が耳元に届く。しかし、すぐには応えられなかった。額の汗が顎を伝い、制服の内側に落ちる。心拍が早まっていた。
「ひどい……。」
意図せず漏れた言葉。人質の少女は、椅子に縛られ、顔も上げられず、虚ろな目で周囲の違法魔法使いたちを見ていた。
服は破れ、顔には打撲と裂傷が浮かぶ。
敵の表情は平然としていた。怒りも快楽もない。まるで作業だ。淡々とした、冷たい暴力がそこにはあった。
「確認完了。人質、生存。敵、四名。うち一名が詠唱中。」
声を出すまでに数秒かかった。それほど、呼吸が乱れていた。
「詠唱の内容は?」
「不明です……少女の頭に手を当てて、なにか……。」
「頭に、手を……」
その時、リーダーに突然肩を掴まれた。視界が揺れ、蝶とのリンクが不安定になる。
「何ですか、いきなり……」
「……殺せ。」
「……は?」
「今すぐ殺せ。蝶で、人質を。」
「無理です。一匹じゃ敵全員なんて――」
「違う。あの人質の少女だ。今、敵は彼女の頭に触れた状態で、国家魔法監理局の機密を引き出している。魔法は“強制開示魔法”。」
「でも、それって――!」
「遅い!」
リーダーの声が鋭くなる。
「情に流されるな。あの女は、もう道具だ。生かせば、我々の魔法体系も、部隊配備も、隠密拠点も、全て敵の手に渡る。今、最も合理的な選択肢は、彼女を殺すことだ。」
私は言葉を失った。蝶はまだ空中を漂い、少女は微かに痙攣していた。敵の指は、まだ彼女の頭から離れない。
人質という言葉が急に白々しくなる。少女という単語が重たく圧し掛かる。
だが、考える暇はなかった。時間は、誰も待ってくれない。
「何をしてる! 早くやれ!」
静かな怒声が耳に刺さる。私は震えながら蝶越しに見つめた。少女は――ただ、助けを求めるでもなく、空虚に目を見開いたままだ。
その時だった。
「リーダー! 我々の存在が敵に……バレました!」
無線越しに仲間の声が飛び込む。その瞬間、何かが決壊した。
「クソッ! 突入しろ! ……だから無能は嫌いなんだ!」
私たちは一斉に上階へ駆け上がる。
そして、扉を蹴破り、踏み込んだ。
句読点・改行調節に一部AIを使用しています。
ご了承ください。




