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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
7月:「暑さとともに募る想い」
99/122

7月8日(火曜日)

「あー、期末終わったマジで。脳みそ溶けたわ」

放課後の教室。机に突っ伏したまま俺、川崎 蓮は、気の抜けた声でそう呟いた。先週金曜に終わった期末考査の解放感は、週明けの今日もまだ身体中に残っている。梅雨明けを思わせるじっとりとした熱気が窓から流れ込んできて、気だるさに拍車をかけた。

周りを見渡せば、同じように机に突っ伏してる奴、スマホでゲームしてる奴、次の週末の遊びの計画で盛り上がってる女子グループ。みんな、テストからの解放を満喫してるって感じだ。俺も、頭の中は今夜のスタジオ練習のことでいっぱいだった。新しいエフェクター、試してみたいんだよな。

「蓮、今日スタジオ何時から?」

「お、中村。18時から。いつものとこ」

「りょーかい。俺も山田と後から合流するわ。新曲、だいぶ固まってきた?」

「んー、サビの後半がまだしっくりこねえんだよな。今日でなんとかしたいとこだけど」

中村とそんな会話を交わしながら、俺はギターケースを肩にかけた。勉強なんて正直どうでもいい。赤点さえ取らなきゃいい。それより、一刻も早くスタジオに入って、デカい音でギターを鳴らしたかった。それが俺にとってのリアルで、一番生きてるって実感できる瞬間だから。

教室を出て、バンド仲間の真司と律子と合流する。校門を出る頃には、もうすっかり頭は音楽モードに切り替わっていた。

「今日の練習、Aメロのアルペジオ、ちょっと変えてみねえ?」

「いいね。今のままだとちょっと単調かもな」

「律子はドラム、Bメロで少しハット開いてみたらどう?」

「ん、やってみる」

そんな会話をしながら、駅前の音楽スタジオ〈ミュージックファクトリー〉へ向かう。防音扉を開けて地下のスタジオに入ると、ひんやりとした空気と、独特の機材の匂いがした。この匂いを嗅ぐと、いつもスイッチが入る。

アンプにシールドを差し込み、軽く音を出す。ジーン、というフィードバック音。ああ、やっぱこれだ。俺の居場所は。

「じゃ、新曲から合わせるか!」

真司の合図で、俺たちは一斉に音を鳴らし始めた。俺の弾くリフに、律子の正確なビートが重なり、真司のベースがうねるように絡みついてくる。音が混ざり合い、ひとつの塊になって空間を震わせる。この感覚が、たまらなく好きだ。

夢中でギターをかき鳴らし、気づけば1時間があっという間に過ぎていた。一息つこうと、それぞれが床に座り込んでペットボトルの茶を飲む。

「やっぱサビ、もうちょいパンチ欲しいよな」

「だよな。蓮のギターソロ、もっと前に出してもいいんじゃね?」

「いや、それより律子のフィルイン、もう一発派手なやつ入れらんない?」

音楽の話をしている時間は、マジで最高に楽しい。学校の授業みたいに、退屈なルールも、意味わかんねえ公式もない。ただ、カッコいいか、ダサいか。それだけだ。

「そういやさ、お前らオープンキャンパスとか行くの?」

不意に、真司がそう切り出した。その瞬間、スタジオの空気がほんの少しだけ変わった気がした。

「ああ、行く行く。俺、明青大学の経済、一応見とこうかなって」

「へー、手堅いじゃん。律子は?」

「うちは…女子大のメディア系。映像とかも学べるらしいから」

二人が当たり前のように、具体的な大学名や学部名を口にする。俺は、その会話にうまく乗れなかった。

「蓮は?やっぱ音大とか?」

真司に話を振られて、俺は一瞬、言葉に詰まった。

「んー、まあ、いろいろ?」

曖昧に笑ってごまかす。本当は、何も考えてない。いや、考えないようにしてる、が正しいか。専門学校のパンフレットをいくつか取り寄せたけど、まだ封も開けてない。学費を見て、そっと机の奥にしまったままだ。

「進学ってさ、何やんの? 授業とか、サークルとか?」

頭に浮かんだその言葉を、俺は飲み込んだ。今ここでそんなことを聞いたら、「蓮、マジで何も考えてねーな」って思われる。それが、ダサい気がした。プライドが、邪魔をした。

「蓮なら、推薦とか余裕っしょ。文化祭のステージ、先生たちも結構褒めてたらしいし」

「いやいや、それはないって」

適当に相槌を打ちながら、俺は冷たい床に寝転がった。蛍光灯の白い光が、やけに目にしみる。みんな、ちゃんと自分の未来を考えてる。バンドも本気だけど、その先の道も見据えてる。じゃあ、俺は?

「……休憩おわり!もう一回、頭から通すぞ!」

俺は、無理やり明るい声を出して立ち上がった。考えたくなかった。今は、ただ爆音の中に逃げ込みたかった。

スタジオからの帰り道。蒸し暑い夜の空気が、火照った身体にまとわりつく。真司と律子と別れ、一人で駅に向かう。さっきまでの高揚感はすっかり消え、代わりに、じっとりとした焦燥感が胸に広がっていた。

仲間の会話が、頭の中で何度もリフレインする。明青大学、経済学部、メディア系……。俺には無縁に聞こえるその単語が、俺とあいつらの間に見えない壁を作っていくような気がした。

「なんとかなるっしょ」

いつもの口癖を、声に出してみる。でも、今日だけは、その言葉がひどく空虚に響いた。なんの根拠もない、ただの強がり。自分でも、もう気づいていた。

駅のホームで電車を待っている間、俺は無意識にスマホで「音楽 専門学校」「大学 軽音サークル 強い」なんて検索していた。ずらりと並ぶ学校名。学費、偏差値、就職率……。それらの情報が、一気に現実となって俺に襲いかかってくる。

「……めんどくせぇ」

検索画面を閉じて、イヤホンを耳に突っ込む。好きなバンドの、激しいギターリフが流れ込んでくる。でも、その音すら、今の俺の心を掻き乱すだけだった。

電車に乗り込み、窓の外に流れる夜景をぼんやりと眺める。ビルの灯り、車のヘッドライト、家々の窓から漏れる光。その一つひとつに、俺の知らない誰かの人生がある。みんな、ちゃんと自分の道を進んでるんだろうか。

俺は、このまま音楽だけを追いかけてて、本当にいいんだろうか。

「進学って、何やるの?」

スタジオで聞けなかったその言葉が、今になって胸に重くのしかかる。知らないこと、考えてこなかったこと。それが、こんなにも怖いなんて思わなかった。

家の最寄り駅に着き、改札を出る。夜風が少しだけ涼しく感じた。

空を見上げると、雲の切れ間から細い月が見える。

「……調べねえと、始まんねえか」

誰に言うでもなく、そう呟いた。

まだ答えは出ない。進みたい道も、ぼんやりとしたまま。でも、今日、確かにわかったことがある。

「なんとかなる」だけじゃ、もう、どこにも進めない。

焦りと不安に押しつぶされそうになりながらも、俺はスマホの検索画面をもう一度開いた。小さな一歩かもしれない。でも、動かないよりは、ずっとマシなはずだ。そう信じたかった。夏の夜の気だるさの中で、俺は確かに、未来へのほんの小さな一歩を踏み出していた。

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