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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
7月:「暑さとともに募る想い」
92/122

7月1日(火曜日)

「うわっ、マジかよ……」

教室の自分の席に着いた俺、江口健介は、配られた期末考査の試験用紙を見て、思わず小声でつぶやいた。初日の一時間目は世界史。これまで部活優先で、正直、教科書をちゃんと開いたのは数日前が最後だ。頭の中で年号や人名を必死にひっぱり出すけど、どれもこれも曖昧で、確信が持てない。周りの奴らはもうシャーペンを走らせているのに、俺の手はピタリと止まったままだった。

教室には、鉛筆の音だけが静かに響いている。みんな真剣な顔で問題用紙とにらめっこしていて、その集中した空気に、俺だけが取り残されているような気分になった。焦りがじわじわと胸の奥に広がる。普段の体育館の活気とはまるで違う、この張り詰めた静けさが、今はとてつもなく重たい。

(やばい、これ、ホントにやばいぞ……)

試験監督の今井先生が、教卓で静かに腕を組んでこちらを見ている。その視線が、なぜか俺に突き刺さっているように感じた。野球部主将という肩書きは、ここでは何の役にも立たない。むしろ、勉強をおろそかにしている自分を責めているようにすら思えた。

必死に問題文を読み返すが、文字が頭に入ってこない。どこかで見たようなフレーズ。でも、それが何を意味するのか、まったく思い出せない。野球の練習なら、どんなに苦しい場面でも、身体が勝手に動いてくれるのに、ここでは何もできない自分がいる。

(ああ、もう、早く終わってくれ……)

そう願うばかりで、ただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。

昼休み。解放された教室は、一気に喧騒に包まれた。「やべー、全然わかんなかった」「まじ、時間足りねーし!」そんな声が飛び交う中で、俺は一人、窓の外をぼんやり眺めていた。グラウンドでは、サッカー部が楽しそうにボールを蹴っている。

「健介、どうだった?世界史、やっぱ爆死?」

中村がにやにやしながら話しかけてきた。隣では山田が「お前、絶対顔死んでるって!」と笑っている。

「うるせーよ。まあ、予想通りって感じ?ってか、なんでお前らそんな元気なんだよ」

「そりゃ、今日で期末考査終わりだからっしょ!」

「え?」

「え、健介知らなかったの?今日、午前中で終わりだよ!午後から補習じゃん!」

山田の言葉に、俺は思わず固まった。頭の中で今日のスケジュールを必死に思い返す。確かに、今日までで主要科目は終わる予定だった。午後からは夏季補習の事前ガイダンスと、部活のミーティングがあったはずだ。

「マジかよ……」

がっくりと肩を落とすと、中村と山田が笑いながら俺の背中を叩いた。「ま、いっか!お疲れ江口主将!」

午後の補習ガイダンスは、正直、ほとんど頭に入ってこなかった。夏休み中の補習スケジュールや、共通テスト対策の話が淡々と進む中で、俺はただぼんやりと窓の外を眺めていた。青い空に白い雲。夏が、もうすぐそこまで来ている。

補習ガイダンスが終わり、足取り重く体育館へ向かう。部活のミーティングがある。引退まで、あと少し。

体育館の入り口では、すでに数人の後輩たちが集まって、俺の姿を見つけるなり「主将、お疲れ様です!」と声をかけてきた。その中に、エース候補の2年生、佐藤の姿も見える。

「お疲れ。みんな集まってる?」

「はい!もうすぐ始まるみたいです!」

俺は軽く頷いて、部室へ向かう。ミーティングは、夏の大会に向けての最終調整と、今後の練習スケジュール確認がメインだ。監督の原先生が「今年は勝つぞ!」と檄を飛ばす声が響く。

ミーティングが終わり、後輩たちと話していると、佐藤がぽつりと尋ねてきた。

「主将、今年の夏で引退ですよね……なんか、寂しいっす」

その言葉に、俺は一瞬、言葉を失った。

「そうだな……まあ、引退したら、お前らが頑張る番だからな」

そう言って、俺は佐藤の肩を軽く叩いた。口ではそう言ったけど、内心は、複雑な気持ちでいっぱいだった。

(引退したら、俺、どうなるんだろう)

野球だけをやってきた高校生活。それが終わった後、自分に何が残るのか、正直、まだ想像がつかない。勉強は苦手だし、スポーツ推薦に頼り切っている自分に、これでいいのかという不安が募る。

「主将の背中、俺たち見てますから!」

佐藤が力強く言うので、俺は無理やり笑顔を作った。

「おう、期待してるぞ。お前らならやれる」

体育館を出ると、空はもう茜色に染まっていた。梅雨のじめじめした空気も、夕焼けの光の中ではどこか優しく感じられる。帰り道、俺はスマホを取り出し、父の電話番号をタップした。

「もしもし、親父?今日、期末考査終わった。……なんか、ちょっと話したいんだけど」

まだ何も解決していない。でも、この気持ちを、誰かに聞いてもらいたかった。父は元高校球児だから、きっと俺の気持ちを分かってくれるはずだ。

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