4月9日(水曜日)
「よーし、今日も気合い入れてこ!」
私、寺田 奈央は、朝、玄関を出て深呼吸すると、まだ少し肌寒い空気のなかに春の香りが混じっている。昨日までは新入生の入学式準備や学級のホームルーム中心だったけど、今日からはいよいよ本格的に授業が始まるらしい。さらに、午後には新入生歓迎会と部活動紹介がある。私たち3年生は各部の先輩としても、しっかり新入生を迎えなきゃならない。
家族に「行ってきます!」と声をかけ、いつもより少し早めに家を出る。私は陸上部の短距離エースとして、この春最後のインターハイを目指す身だ。3年生になったし引退は間近だけど、後輩たちの勧誘には力を入れてあげたい。昨日、顧問の先生から「今年も期待してるぞ」って言われたし、今日の部活紹介が勝負どころだろう。
学校に着くと、昇降口には新入生らしき子たちが少し緊張した面持ちで行き交っている。ピカピカの制服姿を見ていると、自分も2年前はあんな感じだったなあと懐かしくなる。そんなことを思いながら教室へ上がると、すでにクラスメイトの山田や江口がわいわい話していて、私を見つけるなり「おはよー寺田!」と手を振ってくれた。
「おはよ。なんか新入生いっぱい見かけると、いよいよ始まったって感じするね」
「なあ、めっちゃ初々しいよな。俺らも先輩風吹かす日が来たんだよ」
山田が軽い調子で笑う。隣で江口も「野球部の紹介どうしようか迷うわー」と苦笑いしている。どの部もパフォーマンスやスライドを使った紹介を準備しているらしく、午後の体育館ステージは大盛り上がりになりそうだ。
一方で机に向かう岡田は、まだ教科書の整理やら何やらでバタバタしている様子。クラスのあちこちから「この後すぐ授業だよね?」とか「時間割のプリントどこだっけ?」なんて声も飛び交っていて、3年生も序盤は落ち着かない。私もノートや筆記用具を取り出しながら、少し緊張混じりのワクワク感を感じる。いよいよ3年生の授業開始かあ……競技と勉強の両立、頑張らないとな。
1時間目は全体集会で新年度の注意事項を聞き、2時間目から本格的に授業スタート。国語担当の今井先生がさっそく教材を配り始め、「3年生の国語はしっかり文章表現の力をつける。大学受験にも役立つぞ」と若干の気合いが入った口調で説明している。私は勉強は正直そこまで得意じゃないけど、最後の夏までは部活を優先させたい。その後に切り替えて果たして間に合うのか……という不安はあるけど、今はとりあえず目の前の授業に集中だ。
午前中の授業が終わると、お待ちかねの昼休み。とはいえ、今日は午後から新入生歓迎会があり、その準備でバタバタする人も多い。私も陸上部の顧問と打ち合わせしたり、後輩たちと簡単に出し物のリハーサルをする予定があるから、あんまりゆっくりしていられない。教室でお弁当を広げながら、同じく陸上部の後輩が「先輩、すぐ体育館裏でミーティングしてくださいって顧問が」とメモを渡してきて、慌ててかき込むように食べる羽目になった。
そんなわけで昼休みの後半はほとんど走り回っていた。どうやら今年の部活紹介は、部ごとにステージで1分程度の挨拶をするだけらしい。パフォーマンス系の運動部はデモンストレーションを少しやるらしく、バスケ部はドリブルやシュートの実演、吹奏楽部は短い演奏など。陸上部は「走ってみせるわけにはいかない」が、少し跳躍力をアピールするとか? 顧問が「砲丸投げでもやるか?」と冗談を言って後輩を苦笑いさせていたけど、最終的には先輩がマイクで部の雰囲気を伝える方向に落ち着きそう。私も舞台に立ってひと言しゃべるらしく、「え、私ですか!?」と思わず声が裏返った。
午後、5時間目は短縮になり、そのあと新入生歓迎会が体育館でスタート。私たち3年生はステージ近くの補助席で待機しつつ、持ち時間が来たらサッと壇上へ上がるよう指示を受けている。ステージ上では生徒会の子たちが新入生に向けて学校行事や校風の紹介をし、その後「部活動紹介です!」のアナウンスが響き渡ると、会場の雰囲気が一段と盛り上がる。
最初は吹奏楽部。曲の一節を演奏して、新入生から「おー!」と拍手が起こる。次いでバスケ部がドリブルやパスワークを披露、演劇部が寸劇をするなど、出番ごとに賑やかに変化していく。私も後ろで見守りながら、そわそわが止まらない。ステージを降りてくる他部の先輩たちが「めっちゃ緊張した」「でも楽しかったー」なんて口々に言っていて、さらにドキドキする。
そして陸上部の番が回ってきた。顧問とともに私と後輩がステージへ進むと、会場の視線が一気に集まってきて冷や汗が出そうになる。運動部仲間の江口や朝倉なんかが客席の後方から応援の目を向けているのが見えて、ちょっと助けられる気分。軽くマイクを受け取って、最初は顧問が「陸上部は全身を使うスポーツで…」と概略を話し、それから私に振られる。
「えーと…3年の寺田奈央です。陸上部では短距離を中心に活動していて、毎年夏の大会を目指して頑張ってます! 初心者も大歓迎ですし、一緒に走る楽しさを体感しませんか? 気軽にグラウンドを覗きにきてください!」
自分で言ってて声が上ずってるのがわかるけど、客席からは温かい拍手をもらえてホッとする。後輩が続けて、「女子も男子もわきあいあいで練習してます。待ってまーす!」と可愛い声で締めくくり、私たちは大急ぎで舞台袖へ下がった。控室へ戻ると、私は思わず「ふう…」と大きく息を吐き、後輩と顔を見合わせて笑いあう。とりあえず一仕事終えたって感じ。
部活紹介がすべて終わる頃には会場も熱気で包まれ、新入生もだいぶクラブに興味をもってくれたように見える。「じゃあ、これで本日のプログラムは終了です」と生徒会役員が締めくくり、拍手喝采で幕が下りた。私たちも他の3年生と合流して、舞台裏で「お疲れー!」とハイタッチや握手を交わす。江口や朝倉、井上あたりもそれぞれの部紹介をしっかりこなしたらしく、満面の笑み。なんだかこういう行事って、クラスや部活の枠を超えて一体感が味わえるから好きだなと思う。
そのあと、私たち3年生は片付けや新入生誘導の最後のフォローを手伝って解散。クラスに戻ったらもうホームルームはやらないとのことで、高野先生(体育教員)に「寺田、お疲れさん。さすが慣れたもんだな」なんて言われたけど、全然慣れた感じじゃなくて内心はバクバクだった。ま、結果オーライか。
下校時刻が近づき、友達数人と昇降口へ向かう途中、新入生らしき子が近づいてきて「陸上部ってどんな感じですか?」と声をかけてくれた。私が「えっ、あ、興味あるの?」と答えると、「中学でちょっと走ってて…」なんて言う。ついテンションが上がって「ぜひ来てよ! グラウンドの隅でやってるからいつでも見学どうぞ!」と宣伝。新入生が「ありがとうございます!」と笑顔で去っていくのを見届けると、隣の山田が「いい感じじゃん」とニヤリ。まさに思惑どおりだ。
校舎を出ると、一気に風が緩んで春の夕暮れが広がっていた。もう昼間の賑やかさは去って校内も落ち着き始めているけど、私の心はまだ少し高揚している。新入生に声をかけてもらったことも嬉しいし、ステージで自分なりにアピールができた達成感もある。3年生としての責任は大きいけど、こういう行事があると「頑張ろう!」って気合いが入る。
「明日からは普通の授業になるのかな……部活も本腰入れて続けないと」
そうつぶやきながら校門を抜けると、空には淡いオレンジ色が残っていた。クラスのメンバーとはまだ全員しっかり話せていないけれど、行事を通じて少しずつ仲が深まりそうな予感がする。受験に向けて不安もあるけど、最後のインターハイにかける思いもある。忙しくなるのは間違いないけど、それ以上に充実した日々を送れそう。
「よし、明日はもっと堂々と笑おう!」
そんな前向きな気持ちを抱えながら、私は帰り道を歩き出す。新入生歓迎会と部活紹介という大きなイベントを終え、3年生としての新生活はますます本格化する。仲間や後輩と支え合いながら、私らしく走り続けたい。そんな思いを胸に、夕焼けに染まる校舎を振り返って、もう一度小さく決意を固めたのだった。