6月27日(金曜日)
放課後のチャイムが鳴り響く中、担任の今井先生の声が教室に響いた。私、斉藤優希は、大きく息を吸い込んだ。今日で三者面談週間は最終日だ。これまで何度も、クラスの連絡事項をまとめ、みんなの相談に乗ってきた。だけど、自分のこととなると、どうにも足がすくむ。
面談室に向かう廊下は、いつもより長く感じられた。すれ違う生徒や保護者の顔には、安堵や疲労、そして少しの希望が混じっているように見えた。みんな、それぞれの決断を下してきたのだろうか。
面談室のドアを開けると、父と母が既に席に着いていた。父は会社員、母は専業主婦で、いつも私を支えてくれる存在だ。今井先生はにこやかに「斉藤さん、どうぞ」と促してくれたが、その笑顔が、なぜか今日の私にはまぶしかった。
「お世話になります」
私 3 は一礼して、席に座った。目の前には、私の成績表、模試の結果、そして先日提出した進路希望調査の書類が置かれている。進路希望の欄には、まだ「未定」と書いたままだった。
今井先生は、私の学業成績や、クラス委員としての活動について淡々と説明してくれた。
「斉藤さんは、学業成績も非常に優秀で、クラス委員としても献身的にクラスをまとめてくれています。先生方も非常に信頼を置いています」
先生の言葉に、父と母は頷いている。その言葉は嬉しかった。クラスのために頑張ってきたことが、ちゃんと伝わっている。
「それで、斉藤さんの進路についてですが……」
今井先生が、私の進路希望調査票に目を落とした。そこに書かれた「未定」の文字が、やけに白々しく見える。
「何か、具体的に考えていることはあるかな?」
その問いに、私 は一瞬言葉に詰まった。父と母の視線が、私 に突き刺さる。頭の中では、「推薦」という言葉が何度も繰り返されていた。推薦入試の説明会も、希望者ガイダンスも、もう既に開催されている。周りの優秀な友人たちは、着々と準備を進めている。
「あの……まだ、はっきりとは……」
そう言うのが精一杯だった。本当は、「推薦で大学に進学したいです」と、はっきりと言いたかった。しかし、その言葉が喉の奥に引っかかって、出てこない。
「そうか。お父さん、お母さん、斉藤さんは、まだ将来の具体的な目標が見えていないようですね」
今井先生の言葉は、淡々としていて、私の言葉を代弁しているようにも聞こえる。だが、その言葉の裏には、「このままではまずい」というニュアンスがひそんでいるのが分かった。
父が、静かに口を開いた。
「優希。お前はこれまで、何事もそつなくこなしてきた。努力すれば、きっと道は開ける。焦ることはないが、そろそろ、本気で将来と向き合う時期ではないか?」
母も、「そうよ、あなたの人生なんだから、あなたのやりたいことを見つけなさい」と、やんわりと父に同調した。
誰も、私の「推薦」という言葉を待ってはいない。
そのことが、私の胸に重くのしかかった。推薦という言葉を口に出せば、それは「もっと頑張れ」という新たなプレッシャーにつながるような気がした。期待に応えられない自分を、見透かされるような気がした。
面談は、その後も重い空気のまま進んだ。結局、「夏休みまでに、具体的な進路の方向性を決めること」という宿題を課されて、面談は終了した。
面談室を出て、両親が先に歩いていく。私 9 は、その背中を追いながら、自分の不甲斐なさに打ちひしがれた。
校舎を出ると、夕焼けが西の空を赤く染めていた。風が、頬をかすめていく。
(なんで言えなかったんだろう……)
「推薦を狙いたいです」と、たった一言。その一言が、どうして言えなかったのだろう。
家に帰り、自室のベッドに倒れ込んだ。部活のように、全力で打ち込める何かがあれば、こんなに悩まなくて済むのだろうか。クラス委員として、みんなをまとめ上げることはできても、自分の未来をまとめることはできない。
スマホを開く。クラスのグループチャットは、今日も賑やかだ。
《面談終わったー!》
《うちも推薦で行くことになりそう!》
そんなメッセージが目に飛び込んでくる。胸が締めつけられる。彼らは、自分の道を、まっすぐに進んでいる。
夜、私 11 はベッドの中で天井を仰いだ。白い天井が、どこまでも遠く、高く見えた。
「臆病だな、私……」
ぽつりと、自分の本音が口からこぼれた。
誰かの期待に応えようとばかりして、自分自身の本当の願いを無視してきた。その結果、肝心な時に、自分の言葉を出す勇気さえ失ってしまったのかもしれない。
明日から、また新しい一週間が始まる。夏休みも、もうすぐだ。
私 12 は、もう一度、深く息を吸い込んだ。
(臆病な自分は、もうやめよう)
たとえ、推薦が無理だったとしても。たとえ、周りに追いつけなかったとしても。
今度は、自分の言葉で、自分の道を切り開いていきたい。
静かな夜の闇の中で、小さな決意を固めた。それは、自分自身への、最初で最後のエールだった。




