6月25日(水曜日)
「川崎、今井先生が呼んでるぞ」
昼休みの終わり際、クラス委員の清水が声をかけてきた。俺、川崎蓮は、内心「来たか」と舌打ちした。今日から三者面談の本格スタート。俺の番は、今日。しかも、よりによって昼休み明けの、眠気が襲いかかる5時間目だ。
重い足取りで職員室に向かう廊下は、やけに静かだった。すれ違う生徒もまばらで、その静けさが俺の焦燥感を煽る。他の奴らは、推薦だ、一般だ、専門だ、と具体的な進路を口にし始めてる。だけど俺は……。
面談室のドアを開けると、担任の今井先生と、両親が座っていた。父は長距離トラックの運転手で、普段は家にいない。母もパートで忙しいはずなのに、わざわざ仕事を休んでまで来てくれている。そのことが、余計に俺の胸を締めつける。
「蓮、座れ」
父の声は、いつもより少しだけ、低い。母は心配そうな顔で俺を見つめている。今井先生はにこやかに「今日はよろしくお願いします」と挨拶したが、その笑顔の奥に、何かを探るような視線を感じた。
面談は、まず先生から俺の学業成績について淡々と説明された。数字が並んだ紙には、俺の現状がはっきりと示されている。正直、褒められるような成績じゃない。父は腕を組み、黙って聞いている。母は、時折不安そうに俺の顔をちらりと見ていた。
「それで、蓮くんの将来の希望についてですが……」
今井先生が、俺の進路希望調査票に目を落とした。そこには、先日面談で話した時に言った通り、「未定」と書かれている。
「何か、具体的に考えていることはあるかな?」
その問いに、俺は一瞬言葉に詰まった。父と母の視線が、俺に突き刺さる。
「……音楽、です」
絞り出すように、そう答えた。
「音楽?」
父の目が、わずかに見開かれた。母も、不安そうに眉をひそめている。今井先生は、相変わらず穏やかな表情だが、その目はまっすぐには俺を見ていない。
「具体的には、どういう形で考えているんだ?」
先生の問いに、俺は言葉に詰まる。専門学校、大学の音楽学部、それとも……。どこも、まだ具体的に調べられていない。難しい答えしか出てこない。
「あの……まだ、そこまでは……」
「そうか。お父さん、お母さん、蓮くんは音楽に情熱を傾けていますが、まだ具体的なビジョンは見えていないようです」
今井先生の言葉は、淡々としていて、俺の言葉を代弁しているようにも聞こえる。しかし、その言葉の裏には、「このままではまずい」というニュアンスがひそんでいるのが分かった。
父が、大きくため息をついた。
「蓮。夢を追うのはいい。だが、現実も考えろ。音楽で食っていくのがどれだけ大変か、お前は分かっているのか?」
父の言葉は、まるで何回も聞いた台本のように、頭の中で再生される。母も、「安定した仕事の方が……」と、やんわりと父に同調した。
誰も、俺の「音楽です」という言葉を、まっすぐに受け止めてくれていない。
そのことが、俺の胸に重くのしかかった。
「……音楽、しか、考えられなくて……」
そう言うのが精一杯だった。声は、震えていた。
面談は、その後も重い空気のまま進んだ。結局、「夏休みまでに、具体的な進路の方向性を決めること」という宿題を課されて、面談は終了した。
面談室を出て、両親が先に歩いていく。父の背中は、いつもより少しだけ大きく、母の背中は、いつもより少しだけ小さく見えた。
校舎を出ると、夕焼けが西の空を赤く染めていた。風が、頬をかすめていく。
(誰も、俺の目を見て、話してくれなかったな……)
音楽をしたい。その気持ちだけは、本物だ。だけど、それを言葉にして伝えるたびに、誰かの目が、どこか違う方向を見てしまう。それが、俺にはたまらなく苦しかった。
家に帰り、自室のベッドに倒れ込んだ。ギターを手に取る気力も湧かない。ただ、天井のシミをじっと見つめていた。
スマホを開く。バンドのグループチャットは、今日も賑やかだ。
《文化祭の曲、マジで楽しみ!》
《蓮のギター、最高だよな!》
そんなメッセージを見て、胸が締めつけられる。彼らは、俺の音楽をまっすぐに受け止めてくれる。だけど、その「好き」だけでは、通用しない現実がある。
夜、蓮は机に向かい、広げたノートにペンを走らせた。
『6月25日(水)
三者面談。
「音楽です」って言ったのに、誰も目を合わせてくれなかった。
父も母も、先生も。
俺の目を見て、話してくれなかった。
将来の夢って、そんなに甘いもんじゃないって、わかってる。
でも、俺は音楽を諦めたくない。
どうすれば、俺の「本気」が伝わるんだろう。
どうすれば、俺の「好き」が、現実になるんだろう。』
言葉が、とめどなく溢れてくる。誰にも見せない、自分だけの正直な気持ち。
そのあと、蓮は、スマホの検索履歴に「音楽 専門学校 学費」「奨学金 音楽系」と打ち込んだ。
眠りにつくまで、何度も何度も、その言葉を繰り返した。
「俺は、俺の音楽で、勝負する」
窓の外は、静かな夜。遠くから、救急車のサイレンが聞こえる。
俺の「好き」は、まだ形になっていない。でも、それを形にするために、俺は、明日から、もっと「現実」と向き合わなければならない。
迷いながらも、その手で未来を掴もうとしていた。




