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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
6月:「揺れる気持ちと小さな光」
84/122

6月23日(月曜日)

「北川、ちょっといいか?」

放課後のホームルームが終わってすぐ、担任の今井先生に声をかけられた。予感はしていた。今日の放課後は、三者面談のピークだ。私の番は夕方。父も母も来るから、いつもより少しだけ、胸の奥がざわつく。

「はい、先生」

「面談室で待ってるからな。気を楽にしてこい」

そう言われても、楽になれるわけがない。私は、北川詩織。文芸部の部長で、本と文字に囲まれて過ごすのが一番落ち着く。でも、今日はそうもいかない。

教室を出ると、ちらほらと面談に向かうクラスメイトと保護者の姿が見える。皆、どこか緊張した面持ちで、書類を手にしている。ふと、数日前の岡田さんの面談のことを思い出す。彼女も、親との進路の意見の相違に悩んでいたようだった。私だけじゃない、みんな何かを抱えているんだ。

面談室の前に着くと、すでに父と母が座っていた。父は高校の国語教師、母は図書館司書だ。二人とも、私と同じくらい本が好きで、文学の世界に理解があるはず……そう信じたい。しかし、進路となると話は別だ。

「詩織、来たか」

父が静かに声をかけてきた。いつもの穏やかな笑顔だけど、その目は少しだけ真剣だった。母も隣で、にこやかに頷く。

「お世話になります」

私は一礼して、席に座った。目の前には、私の成績表と、進路希望調査の書類が置かれている。志望理由の欄には、ぎこちないながらも「言葉で世界を表現したい」と書いた。

今井先生が面談を始めた。私の成績や、模試の結果について淡々と説明が進んでいく。私が文芸部で活動していることにも触れられ、両親は静かに耳を傾けていた。

「北川さんは、国文学系への進学を希望されていますが、よろしいでしょうか?」

先生の問いかけに、母はすぐに「はい、娘が好きな道なら」と答えてくれた。その言葉に、少しだけ安堵する。

しかし、父が口を開いた。

「文学部というのは、詩織が本当にやりたいことなのだろうか。詩織の希望を尊重したい気持ちはあるが、文学部というのは、就職の面で、少しばかり……厳しい点もあるのではないか」

その言葉に、胸の奥がキュッと締めつけられた。父の言葉は決して強い口調ではなかったけれど、その中に含まれる「現実」という重みが、私を打ちのめした。

「小説家など、食べていけない仕事だ。安定した道を選んでほしい」——そんな言葉が、聞こえた気がした。いや、直接言われたわけじゃない。でも、父の表情と口調から、その本音が透けて見えた。

私は何も返事ができなかった。ただ、うつむいて、手元のプリントを握りしめるだけだった。言葉にしたいことはたくさんあるのに、どれも喉の奥に引っかかって、出てこない。

今井先生は、父の言葉を受けて「もちろん、どの学部を選ぶにしても、本人の努力次第で道は開けます。ただ、ご家庭のご心配も理解できます」と、やんわりとした口調で場をとりなしてくれた。

面談は、その後も淡々と進んだ。最終的には「本人の意思を尊重しつつ、もう少し幅広く検討していく」という形で落ち着いた。

面談が終わり、両親と校舎を出る。夕暮れ時の空は、まだ明るい光を残していたけれど、私の中はどんよりと重い空気で満たされていた。父と母は、駅までの道を他愛もない話をしながら歩いている。私はその隣で、ただ黙って足を進めるしかなかった。

「……はぁ」

家に帰ると、制服のまま自室のベッドに倒れ込んだ。バッグから、面談で配られた進路資料がくしゃっと顔を出す。投げ出してしまいたい衝動を必死で抑え、机に向かった。

白い紙が、私の目の前で「何かを書け」と語りかけてくる。でも、何を書けばいいのか。書くべき言葉が見つからない。

父の言葉が、耳の中で反芻される。「就職が……厳しい」。その言葉が、私の書こうとする言葉のすべてを、まるでインクが滲むように曖昧にしていく。

「……書けない」

そうつぶやき、ペンを投げ出した。

しばらくして、ふと、古書店で出会った大学生・相馬優一さんの言葉を思い出した。「書くってことは、世界と繋がることだよ」1 。あのときは、その言葉に救われた気がしたのに、今の私には、その「世界」がひどく遠くに感じられた。


スマホを手に取り、文芸部のグループチャットを開く。先日、私が投稿した小説へのコメントが目に入る。「なんかすごく“リアル”で、ドキッとした」2、「言葉にしなきゃ伝わらないって……なんか、すごく刺さりました」3。あのときは嬉しかった言葉が、今は胸を締め付ける。


(本当に、伝わってるのかな。私の気持ち、本音で書けてるのかな)

ふと、ノートの最後のページを開いた。そこはいつも、誰にも見せない、自分だけの言葉を書き記す場所。

鉛筆を握り、ゆっくりと書き始めた。

『就職って言葉が、私を縛る。

言葉で生きたい、そう願うのは、逃げなのか。

書くことだけが、私を私でいさせてくれるのに。

誰にも理解されないかもしれない。

それでも、私は書き続ける。

この筆だけが、私の真実だから。』

涙が、一粒、また一粒、ページに落ちて、文字を滲ませていく。でも、止まらなかった。泣いている自分を許すように、ただひたすら書き続けた。

誰にも言えない、誰にも理解されないかもしれないこの気持ちを、私は言葉にすることでしか吐き出せない。

夜が更け、部屋は静まり返っていた。外から虫の声がかすかに聞こえる。明日はまた、いつもの学校生活が始まる。父や母は、また私に「現実」を語るだろう。

それでも、私は。

ペンを置き、そっとノートを閉じた。まだ揺れる気持ちは消えない。でも、言葉にすることで、少しだけ心が軽くなった気がした。この言葉が、いつか誰かの心に届く日が来ることを願って。

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