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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
6月:「揺れる気持ちと小さな光」
76/122

6月15日(日曜日)

進路ガイダンス——。


梅雨の晴れ間、久々にのぞいた太陽の光が校舎の窓から差し込み、教室の床に長い影を落としていた。蒸し暑さを感じさせる空気の中、正門には制服姿の生徒たちと、少しよそ行きの格好をした保護者の姿が続々と現れていた。


日曜ということを忘れてしまいそうな校内の緊張感。普段とは違う張りつめた空気が、ゆっくりと各教室に流れ込んでいた。廊下にはいつもより多くのスリッパの音が響き、教室のドアを開け閉めする音も、どこか慎重で静かだった。掲示板には大学のパンフレットが並び、色とりどりの資料が壁に貼られていた。


三者面談。先生、保護者、生徒。


それぞれが手元の資料に目を落とし、交わされる言葉にうなずいたり、少し困ったように口ごもったりしていた。机の上には模試の結果や志望校のパンフレット、昨年度の進学実績をまとめた資料。中には、付箋でびっしりと書き込まれたページもある。


先生は生徒の成績推移を指差しながら、「このあたりが現実的なライン」と説明する。保護者はその横で、「本人はどう考えてるのか……」と問いかける。生徒の顔に、ほんのわずかに影が差す。


「うーん……まだ、ちゃんとは決めてなくて……」


「でも、そろそろ考えなきゃいけないタイミングですよ」


「推薦も可能性としてはあるけど、今後の頑張り次第ですね」


先生の語るのは、データに基づいた“可能性”。保護者が望むのは、“安心できる未来”。でも、生徒の心は「今」の不安でいっぱいで、言葉にできない思いが胸の中に渦巻いていた。


志望校リストに記された大学名と偏差値。調査票の「志望理由」の欄には、ぎこちない文字で綴られた一文。志望の動機すら、借りてきた言葉のようで、真意が感じられない。そもそも大学を選ぶ基準が分からないまま、流されるように選んだ名前。そこに、本当の希望があるとは限らない。


本当にやりたいことが見えている生徒はごくわずか。大半が“なんとなく”“みんなが目指しているから”“親が安心しそうだから”。それでも口に出すと、自分の弱さがばれてしまいそうで、沈黙するしかない。


親の隣で、ただ黙ってうなずいている生徒。資料にメモを取りながらも、視線はどこか浮ついている。手元の資料をいじる指先が、わずかに震えているのを先生は見逃さない。保護者のまなざしにも、不安と期待が入り混じっていた。


「芸術系も興味があるって言ってたんですけど……」


「美大となると、今からの準備では少し遅いかもしれません」


「経済的にも、私立は負担が大きいので……」


「国公立を第一にして、併願で私立を……」


会話は、現実的な線に沿って流れていく。だが、そこには言葉にしきれない想いや迷いが、確かにあった。


廊下には順番を待つ親子が並び、少しずつ緊張が蓄積されていく。待合の椅子に座り、手を握りしめる生徒。スマホを見つめるふりをして、何も見ていない目。隣の保護者がそっと肩に手を置く。その一瞬のしぐさに、今日という日の重さがにじんでいた。


面談室のドアの向こうでは、また別の家庭のドラマが展開している。


「もっと選択肢を広げて考えよう」

「いや、あまり冒険は……」

「本人の気持ちをまず優先してあげては……」


同じ時間、同じ教室にいても、それぞれの見ている景色は違っていた。空調の音すら耳に残るほど、教室の空気は張りつめていた。時折響く笑い声や、深いため息。見つめ合う視線と、交差しない会話。


先生は「結果」を見ている。

保護者は「リスク」を見ている。

生徒は「迷い」を抱えている。


ガイダンスとは、決断の場ではない。


むしろ、迷いを抱えるための時間なのかもしれない。自分自身と、親と、先生と、向き合うことで、「本当にやりたいこと」を問い直す機会。


学校・家庭・生徒——三者が同じ方向を向いているようで、微妙にずれている。だからこそ、すれ違いが生まれる。でも、それは当然のこと。背景も価値観も違う三者が、今という時間の中で一緒に悩み、考える。そのこと自体に意味がある。


けれど、完全な一致など最初から存在しない。


ただ、それでも、誰かの一言が、誰かの心に何かを灯す瞬間がある。小さな問いかけが、じわりと染み込み、やがて決意へとつながっていく。


「……もう少し考えてみます」


そう言って教室を出ていった生徒の背中は、ほんの少しだけ前よりまっすぐだった。


誰かに“理解された”という実感はなくても、自分のことを“ちゃんと話した”という達成感。


それが、小さな一歩になる。ほんのわずかでも、自分で考え、自分の言葉で話したという事実。


今日一日、校内のあちこちで交差した“温度差”。


そのどれもが、本当の意味での「進路」のスタートラインだった。


そして、帰りの下駄箱で、靴を履き替えるその瞬間、生徒たちの顔には、ほんの少しの疲労と、小さな決意のような光が混じっていた。


夕方、学校の門を出ていく親子の背中に、ゆっくりと夕陽が差し込んでいた。


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