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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
6月:「揺れる気持ちと小さな光」
69/122

6月8日(日曜日)

模試明けの日曜日。朝から空は薄い雲に覆われていて、雲の切れ間から差し込む光もどこか儚げだった。湿気を帯びた風がゆるく吹き抜け、気温のわりに涼しく感じられた。


私、北川詩織は、少し遅めに起きて、ホットミルクとトーストだけの簡単な朝食をとった。食卓の上には昨日の模試で使った問題集がそのまま置きっぱなしになっていたが、開く気にはなれなかった。


「今日は、何もしない日でいいよね」


そうつぶやいて、詩織はリュックに財布と文庫本、そしてお気に入りのボールペンを入れて、近所の古本屋へ向かうことにした。


道端には、昨日の雨の名残をまとったアジサイが鮮やかに咲いていた。ゆっくりと歩きながら、小さなカフェの黒板メニューをのぞいたり、公園のベンチに腰を下ろして深呼吸をしたり。スマホはバッグの中で静かに眠っていた。


古本屋の入り口に吊られた風鈴が、風に揺れてチリンと鳴る。その控えめな音が、詩織の心をふっとほどいた。重たいものをそっと地面に置くような、そんな感覚だった。


店内に足を踏み入れると、ひんやりとした空気と紙の匂いが迎えてくれた。木製の棚がいくつも並び、天井から吊るされた裸電球が柔らかく灯っている。


文庫本、詩集、児童文学、古い雑誌——時間が止まったような空間に、数人の客がそれぞれの静けさの中にいた。


詩織は詩集の棚の前で立ち止まり、背表紙を指でなぞりながら一冊ずつ丁寧に眺めていく。中学生の頃、国語の授業で読んだ詩をふと思い出していた。その詩の一節が、今もなぜか胸に残っている。


ページをめくってふと出会った言葉、「偶然が人を結ぶ」。知らない作家の詩だったけれど、その一行が今日の空気とぴたりと重なった。


そのとき——


「……久しぶり」


背後から、聞き覚えのある声がした。


思わず振り返ると、そこには新谷翔太が立っていた。中学の同級生。特別仲が良かったわけじゃないけれど、図書室でよく隣の席になった子だった。


「翔太……くん?」

「うん。覚えててくれたんだ」


彼の笑顔は少し照れくさそうで、それでもどこか落ち着いた雰囲気をまとっていた。背が少し伸びて、声も低くなっていた気がする。


「高校、違ったよね?」

「うん。でもこの古本屋、家の近くなんだ。昔からたまに来てる」


彼の手には、少し年季の入った小説が一冊だけ握られていた。詩織は、手にしていた詩集をそっと閉じた。


「それ、詩集?」

「うん……なんとなく、読みたくなって」


目が合った瞬間、詩織は反射的に視線を落とした。頬が少し熱くなるのを感じる。


「覚えてるよ。中学のとき、図書室でたまに一緒だったよね」

「うん……静かだったよね、あの時間」


翔太の言葉に、詩織は「うん」とだけ返しながら、小さく笑った。会話はぎこちないのに、なぜかその空気は心地よかった。


「最近、どう?」

「まあ……受験勉強とか、模試とか」

「俺も昨日だったよ。英語、マジでボロボロ」


翔太の冗談めいた口調に、詩織も思わず笑ってしまった。その笑いで、どこか張りつめていたものが一気にほどける。


「こんな偶然ってあるんだね」

「ほんと、映画みたいだよな」


ふたりの間に、短い沈黙が流れる。その沈黙さえも、どこか心に優しかった。


「……よかったら、また話そうよ。時間あるときにでも」


その一言は、何気ないようでいて、とても特別に聞こえた。詩織の胸が静かに高鳴る。


「うん……また、どこかで」


言葉はそれだけだったけれど、二人の間に確かな何かが生まれたような気がした。


古本屋の天井では、扇風機がゆっくりと回っている。風が棚の端に積まれた紙片を揺らし、ページの角がかすかにめくれた。


詩織はその詩集をレジに持っていき、店を出る。扉のベルがチリンと鳴り響き、振り返ると翔太が軽く手を振っていた。


「またね」


「うん、また」


その瞬間、風鈴がもう一度、短く高く鳴った。まるで、ふたりの再会を祝福するように——静かな夏の始まりを告げるように。

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