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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
5月:「迷いながら進む道」
57/122

5月27日(火曜日)

朝、目覚めたときから、今日が「何も起こらない日」だって予感がしていた。


私、上原 由佳は、ベッドの中で天井を見上げながら、何となくそんなことを思った。アラームは鳴る前に止めた。誰にも起こされず、誰を起こすでもない。無言のまま制服に着替え、朝食もそこそこに家を出た。


教室に入っても、特に話しかけてくる人はいない。挨拶を交わす数人、でもそれだけ。にぎやかなクラスの喧騒に紛れて、自分の存在がぼんやりと霞んでいく。


昨日は、斉藤が誰かの予定をまとめていた。川崎がギターの録音をしていた。朝倉は筋肉痛だと言いながら笑っていた。誰かが何かをしていて、誰かに頼られていて、誰かが誰かに期待されている。


だけど、私は。


今日は一日、誰にも何も頼られなかった。


——それが、少しだけ胸に刺さる。


授業中はノートを取り、先生の話を淡々と聞いていた。わからないことがあれば、教科書をめくって自己解決する。昼休みはひとりでお弁当を食べ、グループに混ざるでもなく、図書館で静かに過ごした。


こんな日は、きっと何度もあった。けれど、今日はなぜか、その「静けさ」が妙にリアルに感じられる。教室のどこかで笑い声が響くたびに、自分がそこにいないことを突きつけられている気がした。


窓の外では、風に揺れる木々がざわざわと音を立てている。遠くで誰かが笑っている。そのすべてが、まるで「私はここにいない」と言わんばかりに、自分から距離を取っていくようだった。


「別に、いいんだけどね……」


由佳は、自分にそう言い聞かせる。誰にも期待されなければ、プレッシャーもない。気を遣う必要も、合わせる必要もない。ひとりでいるのがラクだと、ずっと思ってきた。


だけど今日は、その“ラクさ”が、どうしようもなく冷たい。


午後の授業は、なぜかやたらと長く感じた。時計の針がゆっくりとしか進まない。隣の席の女子がノートに落書きをしながら誰かと笑っているのを横目に見て、無意識に目を逸らした。


放課後。教室にいたくなくて、少し早めに荷物をまとめて校舎を出た。


どこに行くあてもなかった。けれど、気づけば足は市立図書館のほうに向かっていた。学校の図書館よりも広く、静かで、誰にも干渉されない場所。お気に入りの隅の席に座り、文庫本を開く。


読書は、孤独を誤魔化すにはちょうどいい。物語のなかでは、誰もが誰かとぶつかり、悩み、前に進んでいく。由佳は、その流れの中に自分の存在をそっと溶かし込んでいく。


ページをめくる音だけが、耳に残る。物語の主人公たちは、誰かと出会い、別れ、葛藤し、成長していく。そのすべてが眩しくて、自分との距離を感じる。


「……あの子たちも、孤独だったのかな」


ふと浮かんだ言葉が、心に刺さる。小説の登場人物たちは、孤独を抱えながらも誰かと繋がろうとしていた。でも、私は? 誰とも繋がろうとしてないんじゃないか。そう思った瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ。


カバンからスマホを取り出して、LINEを開く。通知はゼロ。スクロールしても、今日は一度も誰とも会話していない。


そういえば、今朝から一度も名前を呼ばれていない。


そっとスマホを伏せて、目を閉じた。静寂の中、自分の存在が薄れていくのを感じた。


けれど——


その静けさの中で、ほんの少しだけ自分の心の音が聞こえた気がした。


頼られなくてもいい。頼らなくてもいい。


でも、どこかで誰かと繋がりたいと願っている自分も、確かにここにいる。


図書館を出た頃には、空が赤く染まり始めていた。校舎の屋根が夕日に照らされて、まるで映画のワンシーンのように映えた。


歩道を歩きながら、由佳はふと空を見上げる。鱗雲の隙間から差し込む光が、まるで何かを示しているようだった。あの日、入学式のときに見た空も、こんな風だった気がする。


明日も、きっとまた静かな一日がやってくる。だけど、それが永遠ではないことも、なんとなくわかっている。


だから、今日はただ、静けさの中で自分を見つめることにした。


——誰にも頼られず、誰も頼らない日。


その一日が、確かに私の胸を刺した。だけど、同時に、小さな種を残していった。


まだ芽吹かない、けれど確かにそこにある、つながりの予感。


誰かに手を差し伸べる勇気も、誰かに寄り添う気持ちも、もしかしたら私の中にもあるのかもしれない。


上原 由佳、17歳。沈黙のなかで、そっと息をひそめながら、自分の居場所を探している。


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