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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
5月:「迷いながら進む道」
56/122

5月26日(月曜日)

空が、やけに青かった。


五月も終盤だというのに、今日はどこか三月のような風が吹いている。昼はもう初夏の陽気なのに、日が傾き始めた川沿いの空気は少しだけ肌寒い。シャツ一枚では心もとないが、それがちょうどよかった。余計なものを冷ましてくれるような、静かな冷たさだった。


俺、川崎 蓮は、いつもの土手に腰を下ろしていた。制服のネクタイは緩めたまま、ギターケースのファスナーを開けて、中から黒いエレアコを引き出す。音を出すつもりはなかった。ただ、手元にあるだけで落ち着く気がした。


「曲、作ってる場合じゃないんだけどな……」


ぽつりと、誰にともなくつぶやく。口にした瞬間、その言葉の意味が自分でもよくわからなくなる。わからないけれど、今この瞬間、指が自然とコードを探している。頭の中には、昨夜思いついたメロディの断片が残っている。


進路。受験。周りの友達は、塾に通い始めたり、オープンキャンパスの話をし始めている。あいつらが話してる大学の名前、正直、どれもピンとこない。斉藤や清水はもう志望校を絞っていて、休日には模試やガイダンスに出かけている。北川や石川も、自分のやりたいことに向かって動いている。


じゃあ、自分は?


「逃げられないんだよな、音楽から」


ギターのネックを握る手に、じわりと汗がにじむ。指先が覚えているのは、昨夜までいじっていたフレーズ。コード進行、メロディ、リズム……全部、自分の中にあるものをかき集めた結晶だ。未完成のままだけど、それでも何かを形にしたいという衝動だけは、ずっと胸の奥でざわついている。


音楽にしがみついてる。そんな自覚がある。でもそれは、単に好きとか、夢とか、そんな言葉で片づけられるほど軽くはない。音楽をやってる時間だけは、自分が「ちゃんと生きてる」って感じがする。


「……ほんと、バカだよな」


誰にともなく笑ってみせる。こんな時期に新曲なんか作ってどうすんだって、何度も思った。でも、浮かんでしまったものを放っておけない。それが、蓮という人間なのだ。


ふと思い出す。LINEグループでは、今日も進路の話題が飛び交っていた。推薦か一般か、私立か国公立か。みんながそれぞれの現実に向き合いはじめている。


「俺は……なにしてんだろ、ほんと」


無意識にコードを押さえて、ジャラーンと鳴らしてみる。川の音と混ざって、ほんの少しだけ世界がやわらかくなった気がした。コードはCからAmへ、そしてF。優しい響きの中に、どこか物悲しさが漂う。


気づけば、ギターを抱えたまま1時間が経っていた。誰かと会う予定もない。塾もない。今日は、ただの月曜日の放課後。それなのに、こんなにも自由で、こんなにも孤独だ。


夕日が川面に反射して、黄金色に揺れている。風に揺れる草の音、遠くのグラウンドから聞こえる野球部の掛け声、犬の散歩をするおじさんの鼻歌。全部が混ざって、まるで自分のBGMみたいに思えてくる。


その瞬間、脳裏に浮かんだワンフレーズを、慌ててスマホに録音した。


——逃げるな、って言われたくないんじゃない。


——逃げたくても、逃げられないだけ。


その言葉をメロディに乗せた。メジャーコードからマイナーコードへの流れが、やけに今の気分にフィットした。自分で弾いて、自分で口ずさんでみる。その音が空に溶けていく。


ふと、川の対岸に目をやると、同じ制服を着た誰かが歩いている。距離があるせいで顔までは見えない。でも、その姿を見た瞬間、なぜか胸がざわついた。自分と同じように、誰かも迷っているのかもしれない。そんな想像だけで、少しだけ救われた気がした。


スマホを置いて、川をじっと眺める。さっきより風が強くなってきた。体温を持っていかれそうな冷たさが、逆に気持ちよかった。


「……いい加減、ちゃんとしなきゃな」


独り言をこぼしてみるけど、誰もいないからこそ言える言葉だ。家じゃ、母ちゃんが口うるさく「勉強しなさい」って言ってくるし、学校じゃ先生たちの目がある。担任の今井先生には、面談で何度も「進路希望を早めに出せ」と言われている。


ここだけが、自分でいられる場所だ。


ギターをしまい、ケースを背負う。気づけば日が落ちかけていた。


川沿いの道を歩きながら、スマホでさっき録ったメロディをもう一度再生する。悪くない。いや、むしろ、今まででいちばん「自分の声」が出てる気がする。


「……まだ間に合うかな」


進路も、夢も、これから決めればいい。焦って選んだって、どうせ続かない。だったら、迷ったままでも進むしかない。


誰かに笑われても、自分のやり方で、自分のリズムで。


そう思ったら、少しだけ前向きな気持ちになれた。


信号を渡った先のコンビニで、アイスコーヒーを買う。店員の女子が、同じ学校の下級生だったらしく、「あ、川崎先輩ですよね?」と笑顔を向けてきた。


「うん、そうだよ」


そう答えながらも、なんとなく照れくさい気持ちになった。


「がんばってくださいね、バンド」


その一言が、胸にじんわりと染みた。


川崎 蓮、17歳。ギターと青春のはざまで、今日も迷いながら、生きている。


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