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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
5月:「迷いながら進む道」
55/122

5月25日(日曜日)

「またここ、凡ミス……」


俺、青山大輝は、ノートに赤でぐるぐると丸を描きながら、小さく舌打ちした。リビングの片隅、ちゃぶ台の上に模試の問題用紙と解答、そして赤ペンと蛍光ペンが散らばっている。


先週の模試、結果はD判定。志望校は国公立大の教育学部。それなりに時間はかけた。解いた。見直した。けど――届かない。


「英語、また57か……」


スマホで確認した自己採点結果のスクリーンショット。LINEの“模試共有グループ”では、何人かが「B判定だった!」とか「社会爆上がり!」とか、テンション高めに投稿してる。


でも、大輝はそこに何も書き込まない。ただ黙々と、ひとり反省会。


「マジで……東大目指す意味ある?」


その瞬間、スマホが震えた。画面に表示された名前を見て、心臓がドクンと跳ねる。


「兄貴」


兄からの電話。日曜の昼。嫌なタイミングすぎる。


ためらいながらも、通話を取る。


「……もしもし」

「お、出たな大輝。今大丈夫?」

「まあ、一応。てか、どうしたの?」


兄は、東京大学の3年生。父と同じ東大。母に言わせれば「完璧な長男」。そして、弟にとっては“重すぎる存在”。


「模試の結果、どうだった?」

「……まだ途中。自己採点はしたけど、微妙。英語死んだ」

「そっか。ちなみに志望校はまだ変わらず? 教育?」

「うん……まあ」


少し沈黙が流れる。兄のため息がスマホ越しに伝わってくる。


「大輝さ、本当にそれでいいのか? “できるから”じゃなくて、“やりたい”から選んでる?」


「……うっせ」


喉元まで出かかったけど、口には出さなかった。


「東大、目指してんの?」

「いや……今は一応、前期は教育学部。国公立」

「前期“は”? 後期は?」

「経済……一応」


兄は笑った。皮肉じゃなく、少し驚いたような声で。


「お前、俺と同じ道は、選ばなくていいぞ?」

「別に真似したくて選んだわけじゃねーし」


言い終わった後、後悔した。余計なこと言った。兄はただ心配してるだけなのに。なのに、どうしても反発したくなる。


「……ごめん」

「いいって。まあ、親父がうるさいのはわかるしな。お前、頑張ってるの知ってるよ」


その一言で、なぜか胸の奥がきゅっと締めつけられた。兄は、全然責めたりしない。ただ、まっすぐ見てくる。そんなの、逆にしんどい。


「俺さ、翔太兄貴みたいに頭良くねーし」

「バカ言うな。お前はお前でちゃんとやれてる。つーか、俺も内心毎回ギリギリよ」


「は?」


「え、だって単位落としかけて教授に頭下げたり、ゼミの発表でボロクソ言われたり……。東大来たからって全部楽勝ってわけじゃないよ」


「……マジ?」


「マジ。お前も“完璧な兄貴像”とか思わなくていい」


大輝は笑った。ほんの少し、肩の力が抜けた。


「ありがとな、兄貴」


「困ったら、また電話しろよ。あと、無理して勉強すんな。たまには昼寝でもしとけ」


「……お前に言われたくねーよ」


電話を切ったあと、大輝は天井を見上げた。


「東大、かぁ……」


兄貴は、確かにすごい。けど、それ以上に“東大の兄を持つ自分”が、自分にとって足枷になってる気がしていた。


父は東京大学法学部卒。兄も東京大学に部在学中。青山家には、「一流であれ」という無言の空気がある。


そして大輝自身も、それを疑わなかった。“そうあるべき”だと思い込んでた。


けど、今こうして電話越しに素の兄の声を聞いて、ちょっとだけ気づいてしまった。


自分は、“誰かのコピー”として進路を選んできたんじゃないか?


「教育学部って……俺、本当に教師になりたいのか?」


ベッドの上で寝転びながら、天井のシミを見つめた。教えること自体は嫌いじゃない。塾のバイトで中学生に教えてみたいって思ったこともある。


でも、「本気で人の人生に関わる職業」としての“教師”は、果たして自分に向いてるのか?


「……なんか、違う気がする」


ふと、模試ノートの片隅にメモを書いた。


> 「何のために進学するか。何をやりたいか。問い直す。」


今日の“勉強”は、それで終わりだった。


夕方。母がピアノ室から出てきてリビングに来る。


「大輝、お昼食べてなかったでしょ? パスタ茹でたけど、食べる?」


「……うん。食べる」


食卓に並べられたナポリタン。湯気と一緒に、母の優しいまなざしが広がる。


「模試、頑張ったね」


「……頑張ったけど、結果は微妙」


「それでも、頑張ったんでしょ? えらいよ」


母の言葉に、また胸がざわついた。兄貴の電話と同じだ。なんか、泣きそうになる。


「……ありがと」


口に入れたナポリタンは、ちょっとしょっぱかった。


でも、それはケチャップのせいじゃなかった。

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