5月24日(土曜日)
「それ、長ネギ。玉ねぎはこっち。丸いやつ」
「……マジで?見た目そんなに違う?」
スーパーの野菜売り場で、俺は手に持ってた長ネギをそっと棚に戻す。
隣では妹がカゴを抱えながら、わざとらしく溜息をついた。
「兄ちゃんさぁ、高3にもなってこれはヤバいって」
「野球部が全員、野菜マスターだと思うなよ…」
俺、江口健介。県立青嵐高校の3年生。
小学校の頃からずっと野球ひと筋で、授業中も、休み時間も、放課後も、頭の中は野球、野球、野球。
料理なんて、カップ麺作れるくらいが関の山。
今日は土曜日。午前中は部活で軽めの練習をして、午後はオフ。
ゴロゴロしてたら、母さんに「買い物ついてきてくれない?」って言われて、
つい「まぁヒマだしな…」って答えてしまった。
そしたら妹まで「じゃあ私もー」ってついてきて、気づいたら家族3人でスーパーにいた。
「たまご、安くなってるよ!母さん、買っとこう」
「そうね、来週はお父さんも毎日お弁当だし、2パック買っておこうかな」
「え、父さん来週ずっと家にいるの?」
「ええ。来週は市役所の担当部署で会計監査があるから、出張も夜勤もなし。
久々にちゃんと家にいるのよ」
ああ、そうだった。
うちの父さんは、市役所で働いてる地方公務員。
平日は朝早くから出勤して、残業多め、地域行事の手伝いもあったりで、
意外と“家にいるけどすれ違ってる”って日が多い。
でも、今週末は珍しく「土日フルで休み」ってやつらしくて、
母さんはなんかちょっとウキウキしてる感じだった。
「父さん、唐揚げ食べたいって言ってたじゃん」
「そうそう。それとポテサラと、あと刺身も少しね。明日はちょっと豪華にしよ」
「てことは、兄ちゃんが揚げ物担当ってことで」
「いやいや、俺が?マジで?」
「できないとか言わない。チャレンジこそ青春」
すっかり中学生らしくなった妹が、得意げに言ってくる。
小学生の頃は「兄ちゃん、あーんして~」とか言ってたくせに、
今や料理も学校のことも、なんか大人っぽくアドバイスしてくるようになってる。
「兄ちゃん、進路はどうするん?」
「んー…一応、スポーツ推薦の話ある。でも悩んでる」
「野球、やめるん?」
「やめるっていうか…終わるって感じ。俺、野球以外の自分、マジで想像つかなくて」
自分で言ってて、少しだけ怖くなった。
「野球の江口」じゃなくなったとき、自分って誰なんだろって。
「父さん、それ知ってると思うよ。兄ちゃんの最近の顔、ちょっと硬いもん」
「え?」
「この前、父さんが私に聞いてきた。“健介、今、楽しくやれてる?”って」
父さんは、口数少ない。
俺のことも、ほとんど「がんばれよ」の一言で終わる人だ。
でも、昔から試合の日は、絶対来てくれてた。
外野の端っこで立って、最後まで無言で見てて。
で、帰りに「お前のスライダー、ちょっと浮いてたな」とか言うだけで。
それだけで、俺はめっちゃ嬉しかった。
「父さんさ、たぶんちゃんと話したいと思ってるよ。
でも、兄ちゃんが話してこないから黙ってるだけだと思う」
「でも、なんか照れるし…」
「じゃあ、唐揚げ揚げながら話せば?」
なにそのフランクすぎる親子の会話シチュエーション。
笑いながらそう言う妹を見て、俺もちょっと笑ってしまった。
なんでもない買い物なのに、
なんか、ちょっとだけ大事なことが浮かび上がってきてる気がする。
「将来ってさ、何になりたいとかあるの?」
「…わかんねぇ。でも、野球が終わった後に何も残ってなかったら怖いなって思ってる」
「うん、わかる。私も中学入ってから“このまま部活だけでいいのかな”とか思うようになったし」
「…でも、そういうの、父さんに言うのって難しくね?」
「じゃあ、“父さんって何考えてた?”って聞いてみなよ。高校のとき、どうだったのか」
なるほどな。
父さんが高校球児だったって、昔から聞いてたけど、
そのとき父さんがどんな気持ちで、どこを目指してて、何に悩んでたかって、ちゃんと聞いたことなかった。
レジを終えて外に出ると、陽が少し傾いていて、風が少しだけ涼しかった。
母さんが重たい袋を両手に持ちながら、ぽつりと言った。
「2人ともありがとう。ほんと助かったわ。なんだか、家族ってこういうのが一番嬉しいのよね」
「……うん。家族って、こういうことかもな」
俺がつぶやくと、妹がニヤニヤしながら「名言っぽくてちょいキモ」ってツッコミを入れてきた。
でも、なんかそれすら、ちょっと心地よかった。
家までの帰り道。
いつもの道、いつもの店、いつもの風景。
だけど、ほんのちょっとだけ、心の中の風景が変わった気がする。
「兄ちゃん、明日はうまく揚げてね」
「任せろ。俺の唐揚げで家族を黙らせてみせる」
「やば、なんか楽しみになってきた」
明日、父さんと話すきっかけは…たぶん、唐揚げになる。
それもいいなって、ちょっとだけ思えた。




