5月22日(木曜日)
「やばい、緊張してきた……」
私、岡田真由は、教室の隅でプリントを握りしめていた。今日は生徒総会。そして、3年生の生徒会役員が引退する日。岡田は去年、生徒会書記をしていた。そのとき作った議案書のデータが、今年もベースとして使われている。なのに——自分はもう裏方じゃない。3年になった今、後輩に任せて引く立場だ。
「岡田、前出るタイミングって、何時からだっけ?」
声をかけてきたのは斉藤優希。学級委員長にして、やっぱりまとめ役は健在だ。
「14時ちょい過ぎから、生徒会の報告タイムって書いてある。あたしらはその後、引退セレモニーって形」
「そっか。あー、緊張する〜。でもなんかさ、ちょっと名残惜しいよね」
「……うん、わかる」
そう返しながら、岡田は去年のことを思い出す。遅くまで残って議事録をまとめたり、全校配布の文書を何度も校正したり。バカ真面目にやってたあの時間が、今は妙に懐かしい。
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体育館ではすでに全校生徒が整列し、空気はぴりっと引き締まっていた。マイクテストの音が「ドン、ドン」と響く。
「緊張してんの? 岡田って意外とそういうのあるんだな」
後ろからヒョコっと現れたのは、軽音部の川崎 蓮。
「……別に。あんたこそ、なんでここにいんの。総会なんて興味ないでしょ?」
「そーだけど。なんか今日は、区切りって感じじゃん。3年だし」
あくび混じりにそう言う川崎の表情は、どこか真面目だった。
「なに? キャラ変?」
「いや、ただの気まぐれ」
あの頃、ふざけてばっかだった川崎が、こんな風に話すなんて思ってなかった。何かあったのか、それとも変わろうとしてるのか。岡田にはわからなかったが、そんな川崎の“今”が、少しだけまぶしく見えた。
セレモニーは、生徒会長の挨拶で始まった。
「…今年の生徒会は、体育祭も文化祭も、全部“自分たちでやる”をテーマに走ってきました。何度もぶつかって、でも、最後までみんなが踏ん張ってくれたから、ここまで来られたと思っています」
マイクを握る手が少しだけ震えていた。でも朝倉の声は、はっきりと体育館に響いていた。
——そういえば、去年の体育祭。雨の予報に会議が紛糾して、放課後ずっと体育倉庫前で議論したんだっけ。
斉藤も岡田も、その場にいたメンバーだ。あのときは、全員ピリついてた。
今、あの頃のメンバーはバラバラだ。受験に集中してる人もいれば、部活引退が迫っている人もいる。家の事情でバイト漬けの人もいれば、未だに進路のことを決められずにいる人もいる。
「それでは、生徒会役員から、後輩たちへの引き継ぎの言葉です」
司会の声で、ステージの脇に並ぶ3年生たちが前に出る。岡田は一歩を踏み出した瞬間、ふと手の震えが止まっていることに気づいた。
——あたし、やれるじゃん。
緊張なんて、もうどこにもなかった。
引退セレモニーが終わったあと、体育館の裏で数人が自然と集まっていた。
「……もう、ホントに最後だったんだね」
斉藤がつぶやくと、朝倉が笑って言った。
「でもさ、私たちの“仕事”は終わったけど、高校生活は終わってない。まだ文化祭もあるし、受験もあるし」
「朝倉、あんたそれ、前も言ってたよ。体育祭の後だったか?」
「マジ? じゃあ、成長してないのかな、私」
「いや、たぶん……続けることが成長なんじゃね?」
その声に、みんなが一瞬黙る。
言ったのは川崎だった。いつもふざけてるイメージしかないやつの言葉が、やけに重く感じた。
「……カッコつけんなよ、蓮」
「つーか、そっちがマジすぎるんだよ。俺なんか、まだ全然“引退”って感じしねーし」
「それは……たしかに」
笑いが広がる。空気が、ちょっとだけ軽くなる。
その日の放課後。
生徒会室には、2年の新役員たちが書類をまとめていた。中でも、後任の書記になった吉田が、岡田に向かって言う。
「岡田先輩、これ……去年のファイルですか? メッチャ分かりやすいっす!」
「あ、うん。自分で作ったんだけど、使えるならどうぞ」
「先輩のあと、正直めっちゃプレッシャーですけど……頑張ります」
「プレッシャー感じるくらいなら、ちゃんとやれるよ。自分がやったことに自信持って」
自分で言っておきながら、岡田はちょっと照れくさかった。でも、その瞬間、ほんの少し「先輩」ってやつになれた気がした。
教室に戻ると、クラスの誰かが叫んでいた。
「おい、明日テストの返却日だぞー!」
「うわ、マジか……死んだ……」
「お前ら、生徒総会の日にそれ言う? 空気ぶち壊しじゃね?」
「あーでもそれがうちらっぽいっしょ」
廊下から差し込む夕陽が、ちょっとだけ眩しかった。
——まだまだ、ここからだ。
岡田は、誰にも聞こえない声で小さくそう呟いた




