5月19日(月曜日)
「……やっぱ、2位か」
教室の窓際の席で、私、岡田真由はひとり、封筒の中身をじっと見つめていた。
誰にも見られないように手で隠しながら、白い紙の中ほどに書かれた【総合順位:2位】の文字を何度も見直す。
“私が、2位……?”
ずっと1位を取ってきた。中学の頃から、勝ち続けてきた。
誰よりも早く学校に来て、授業中もノートをびっしりと埋め、家に帰ればスマホは2時間までと決めて、毎日欠かさず復習した。
それでも――今回、2位だった。
「…………」
誰かに見られたくなくて、真由はそっと成績表を封筒に戻した。
中身が透けないよう、折り目をきっちり重ねる。
「はい、みんなー、静かにー」
1時間目の始業チャイムと同時に、教室に入ってきたのは担任の今井先生。国語担当で、声は大きいが、怒鳴ることは滅多にないタイプ。
だが今日はいつもより少しだけ、声が低く聞こえた。
「今日から個人面談スタートな。3限と4限使って、1人ずつ進路希望の確認する。後ろの黒板に貼っといたから、自分の番が来たら時間厳守で来いよ」
「はーい」
「……はい」
教室のあちこちから返事が飛ぶが、真由は一言も返さなかった。返せなかった。
隣の北川詩織が一瞬だけこちらを見た気がしたけど、気づかないふりをして、ペンを走らせるふりをした。
昼休み。
真由は静かにお弁当を広げた。周りの子たちがわいわい話す中、音楽を聴いているふりをしてイヤホンを片耳だけ入れる。
「ねぇ、真由」
声をかけてきたのは、隣の詩織だった。
「……うん?」
「今日、面談でしょ?」
「うん。3限にある」
「真由って、東関大の国文学志望だよね?」
「そう」
「前に言ってたよね。“言葉で人を動かす仕事がしたい”って」
「……うん」
詩織は、言いにくそうに間を空けたあと、静かに言った。
「今日、成績表……見た?」
「……見た」
「……どうだった?」
真由は一瞬、何も言えなかった。でも、うそをつくのも苦しくて、目線を落としたまま口を開いた。
「……2位だった」
詩織は驚くでもなく、ただそっと「そっか」と返した。
「でも、真由が2位って、逆にホッとしたかも」
「え?」
「なんか、ずっと完璧でいられる人なんていないって、今日改めて思った。真由って、いつも“負けない”って顔してたから」
「……それ、褒めてる?」
「うーん、ちょっとだけイジってる。でも、尊敬もしてるよ。
……順位に負けてほしくないなって思っただけ」
その言葉に、真由は目を伏せた。
悔しい。でも、詩織の言葉はどこか温かくて、自分のこわばった肩を少しほぐしてくれるようだった。
「……ありがとう」
そう呟いて、箸を口に運ぶ。卵焼きの味が少し薄く感じた。
3限。呼ばれて進路ガイダンス室へ向かう。
教室前には数人の生徒が待っている。静かな廊下に、プリントをめくる音だけが響いていた。
中へ入ると、副担任で進路指導の佐久間先生がにこやかに迎えてくれた。
「岡田さん、どうぞ。東関大・文学部志望で、今回は3回目の確認ね」
「はい、変わりません」
「模試の成績も、評定も、申し分ないです。進学先としては十分に狙えるライン。でもね……」
佐久間先生は、やわらかく言葉をつなげた。
「志望理由書。少しだけ気になったの。“国文学に興味があるから”って書いてあるけど、それだけじゃ足りない」
「……はい、わかってます」
「東関大って、ただ“文学が好き”ってだけじゃ通用しない大学だよ。“自分がどう生きたいか”まで問われる」
真由は、ぐっと唇をかんだ。
「……ずっと、1位じゃなきゃダメだと思ってたんです。でも、今回は2位で。すごく悔しかった。でも……詩織に言われて、ちょっとだけ気づいたことがあって」
「うんうん、何?」
「“順位に価値を委ねちゃダメ”って。私、成績でしか自分の価値を測れなくなってたかもしれない。でも、それじゃ意味ないなって」
佐久間先生は、優しく笑った。
「いい気づきだね。順位は“結果”であって、“目的”じゃない。自分の“軸”を大事にして。大学に求められてるのは、数字よりも“言葉にする力”だよ」
真由は、ゆっくりうなずいた。
「ありがとうございます。志望理由、もう一度書き直してみます」
「うん。真由なら、ちゃんと自分の言葉を持てる子だよ」
帰り道。駅のベンチに座って、真由はスマホのメモを開く。
イヤホンからは、ちょっと懐かしいバラードが流れていた。
『私は、言葉に人を動かす力があると信じています。
物語や詩、古典文学を通して、“伝える”ことに向き合い、
誰かの心に届く表現を生み出したい。』
それは、昨日までの「1位の岡田真由」が書けなかった文章だった。
順位のためでも、評価のためでもなく、\*\*“自分の本音”\*\*を言葉にした文章。
「1位じゃなくても、私の想いは変わらない」
電車がホームに滑り込んでくる音がした。真由はスマホを閉じて、立ち上がる。
「……私、ちゃんと、自分の言葉で戦う」
誰に言うでもなく、誰にも聞かれなくていい、
けれど、自分の中にだけ確かに響く言葉だった。




