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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
5月:「迷いながら進む道」
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5月18日(日曜日)

「…なあ、マジでさ。東京の音楽系専門行こうと思ってんだよね、俺」


ファミレスの赤いソファの隣。冷めかけのポテトとナゲットをつまみながら、バンド仲間のヒロがサラッと言った。飲みかけのメロンソーダのグラスが、テーブルの上で汗をかいている。


「へー、ガチじゃん」


俺、川崎蓮は無理やり口角を上げて返した。グラスを持つ手が少しだけ湿ってた。自分の汗か、結露か。わからなかった。


「夏のライブでさ、プロダクションの人来るらしくて。そこで何かつかめたら、そのまま突っ走ろうかなって」


「え、親は?大丈夫なん?」


「まぁ、条件付きだけどな。専門卒業までに何もなかったら就職しろって」


ヒロはケラケラ笑った。あっけらかんとしたその顔が、いつもよりちょっと遠くに見えた。


「で、蓮は?」


その言葉が、地雷だった。


「え、俺?」


「うん。進路。どこ受けんの?」


スッと空気が変わる。ヒロの問いは無邪気だったけど、蓮の心に突き刺さった。


「うーん……まあ、いろいろ、考え中?」


「えー、でもそろそろヤバくない?てか模試、来週またあるんでしょ?」


「うん、まあ、たぶんね」


「たぶんって…蓮、やっぱ行くなら音大とかでしょ?なんか、ちゃんと見えなくなってるの珍しくない?」


「……そっかもな」


ドリンクバーの炭酸の泡が、耳の奥で弾けたみたいに響いた。何かをはぐらかすみたいに、蓮はストローをくわえた。


帰り道、電車の窓に映った自分の顔は、やけに無表情だった。イヤホンの中では好きなアーティストの新曲が流れていたはずだけど、歌詞の一つも入ってこない。


駅に着いて、家までの道を歩く。住宅街は静かで、コンビニの看板の光だけが無意味に明るい。


ポケットのスマホが震えた。


《来週の三者面談、火曜にしようか?お父さんの出張がズレたから》


母からだった。


《進路の話、ちゃんとしようって言ってたでしょ》


目を閉じると、昨日の食卓が浮かぶ。テレビの音、父のため息、母の口調。


「音楽だけじゃ…ねえ?」


「夢見るのはいいけど、現実もちゃんと見ようよ」


その“現実”って、なんなんだろう。


部屋に戻ると、蓮はギターのケースを開いた。アンプにつなぐ元気はなかったから、ただポロンと鳴らした。コードが少しビビった。弦のせいじゃない。指が迷ってる。


昨日作ったメロディ。サビに入る前のつなぎがまだ決まらなくて、今日のスタジオでも何回も止まった。


「なんで決まんねぇんだよ…」


舌打ちが漏れた。思わずスマホを手に取って、SNSを開いた。音楽系アカウント、知り合いの投稿、他校のバンド動画。みんな、輝いて見えた。


「なんだよ、みんな、ちゃんと走ってんのかよ」


画面を閉じた。イラつきが、喉元にまで上がってくる。枕を投げた。ギターのピックがベッドの上でカタンと音を立てた。


進路希望調査票。机の上に置きっぱなしのまま、名前だけ書いてある。


第一志望:○○大学 経済学部

理由:将来の安定と社会貢献を考えて


「何が“社会貢献”だよ。書いたの、オレだけどさ」


手にしたペンを強く握る。でも、線を引いて消す勇気は出なかった。


母親の目、父親の沈黙、先生の期待。全部が後ろから押してくる。


「音楽じゃダメなのかよ。俺は…そんな無理して“普通”になんなきゃいけないのかよ」


口に出した瞬間、涙が出そうになった。悔しくて、情けなくて、怖かった。


深夜。ギターをもう一度抱えた。弾けない。音が出ない。


代わりに、スマホのメモ帳を開いた。


『5月18日(日)

焦ってる。

置いていかれてる。

進路、夢、現実、全部に飲まれそう。

ヒロがまぶしい。

俺は、何も決められないまま。

でも――』


そこで指が止まる。言葉が出てこない。


そのまま、スマホを伏せて天井を見上げた。


「俺、どうしたいんだろ…」


もう、何度目かわからない問いだった。でも、今日だけはなんだかいつもより重かった。


夜明け前。ベランダに出て、冷たい空気を吸った。遠くで鳥の鳴き声が聞こえた。


もうすぐ朝が来る。


ギターのネックを握り直す。ポロッと鳴らしたその音は、さっきより少しだけ、芯があった。


「明日、ちゃんと音出してみっか。まずはそれからでいーや」


自分に言い聞かせるように、そうつぶやいた。


もしかしたらまだ、間に合うかもしれない。


まだ、自分を諦めなくていいのかもしれない。


蓮の部屋の机に置かれた進路希望調査票。その「第一志望」の欄だけが、空白のままだった。


でも、その紙の上に、こんなメモが置かれていた。


『専門、調べる。学費、奨学金も調べる。

親と話す前に、自分で準備。

「やりたい」が「言える」に変わるまで、弾く』


ギターが、小さく鳴った。

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