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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
5月:「迷いながら進む道」
44/122

5月14日(水曜日)

「ヤッベ、マジで1ミリもわかんねえ」


朝の教室。俺、江口健介はプリントを眺めながら頭を抱えていた。


「なんとかなるっしょ。俺、野球部主将だし?」


そう呟いて、自分で自分に苦笑い。隣の席の寺田が、それを見て肩をすくめた。


「お前さ、それいつまで言い訳にすんの?」


「え、今のでツッコむとこ?」


「いや、ツッコまないと、お前ずっとそれ言い続けるだろ。主将だから勉強できなくても仕方ないって、誰が決めたん?」


「……うっせ。自分だよ」


教室の窓から差し込む日差しが、プリントの白をまぶしく照らす。

この数週間、野球部の練習が終わると、ただただ疲れて寝落ちする毎日だった。

試験勉強なんて、正直、してない。いや、できなかった……ってことにしていた。


「俺さあ、たぶん、"忙しかったから"って言い訳したくて部活やってんのかも」


「……本音かそれ」


「たぶん、な」


ホームルームの後、最初のテスト「現代文」が始まった。


問題文を読みながら、健介は妙な既視感に襲われていた。


“自己と向き合うことの意味”

“役割からの解放”

“他者の期待と、自分自身の声”


「なんで今日の問題、俺の心えぐってくんの……」


鉛筆を持つ手が止まりそうになる。

書けない。書きたいことはあるけど、答えとして成立しない。

選択肢が、全部「正解っぽく」見えるのが、また腹立つ。


後ろの席から微かにペンがカリカリと走る音がした。

あれ、朝倉だな……部活組のくせに、なんであんなに切り替え上手いんだろ。

引退して、もう次のステージ見据えてるのか。

俺はまだ、野球部主将って肩書きが抜けない。


自分の“立場”に、まだしがみついてる。

それが、自分を楽にしてるって気づいてるのに、捨てられない。


(このままじゃ、やべえぞ)


考査初日なのに、いきなり心が折れそうだった。


昼休み、屋上。いつものメンツ――中村と山田と、3人並んでパンをかじる。


「どうだった?現代文」


「ダメ。選択肢が全部敵に見えた」


「ははっ、それはもはや国語力じゃなくて、精神状態の話だろ」


「マジでな。俺さ、思ったんだけどさ……」


パンの袋をくしゃっと握りつぶして、健介は空を見上げる。


「野球部の“主将”って役割に守られすぎてたんかも。主将だから忙しい、主将だから勉強できない、主将だから……って。全部それで片づけて、自分が何者かって向き合ってなかっただけ」


「おお、なんか急に深ぇな」


「お前、国語の問題引きずってんだろ」


「うるせぇよ」


でも、笑ったのは自分だけじゃなかった。

中村も山田も、ちょっとだけ真面目な顔でうなずいてくれた。


「けどさ、健介は健介じゃん。野球してるときの顔、マジで“主将”だし」


「そういうのに、甘えてたんだよ。部活終わったら俺、何になんの?」


「日本史」はボロボロだった。


いや、プリントを開いた瞬間、教科書で“読んだ気”になってたページが並んでて、手が止まった。

「見たことある」と「覚えてる」は違うって、痛感した。


試験監督の本田先生が、教壇で静かに腕を組んでいた。

その目が、なぜか鋭くて、見透かされてる気がした。


(もっとちゃんと、向き合わなきゃダメだ)


終わった瞬間、深いため息が出た。


その日の帰り道。

部活はオフ。だからこそ、ぽっかり空いた時間が重たく感じた。


「江口くん!」


後ろから声がして振り返ると、吉田が自転車を押して立っていた。


「どうだった?テスト」


「……言わすなよ」


「そっか」


吉田は、それ以上なにも聞かなかった。ただ、並んで歩いた。


「さ、やっぱ夏の大会で引退、だよね」


「うん、インターハイ予選終わったら、ちゃんと勉強モード……入る予定」


「予定?」


「予定は未定ってやつ」


「うわ、名言ぽく言ってるけど、ただの逃げだよそれ」


笑いながら、吉田が自分のリュックの中から、一枚のプリントを差し出した。


「これ、塾の資料。推薦とか、指定校とか、いろいろ載ってるやつ。うちの顧問がくれたけど、私はいらないから」


「なんで俺に?」


「必要そうだったから?」


「……ありがと」


吉田の顔は、真剣だった。


「江口くん、部活終わったら“何者”になるか、ちゃんと考えたほうがいいよ。主将って肩書き、ずっとは使えないから」


帰宅して、夜。部屋の机に向かってみたけど、なんとなく手が動かない。


プリント、教科書、問題集。

全部、今の自分を責めてくる存在に見えた。


「野球やってたから、忙しかった」

その言い訳が、今夜はなんだか妙にかっこ悪く響いた。


スマホを開くと、朝倉のストーリーに“参考書写経中”って投稿。

えぐい。完全に切り替えてるじゃん。


その瞬間、ふと昨日の自分のセリフが蘇った。


「俺、野球してるときが一番“自分”だったかもな」


でもそれって、「もう終わった自分」ってことか?


画面を閉じて、もう一度、机に向かう。

時間は、22時。


明日は「英語」と「数学」。どっちも、自信はない。


でも、

「やってないからできない」って言い訳だけは、そろそろ卒業しようと思った。


翌朝のプリントの余白に、走り書きのような文字。


『主将って肩書きがなくなっても、俺は俺でいられるか。』


少しずつ、自分で答えを出すしかないんだ。

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