表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
5月:「迷いながら進む道」
43/122

5月13日(火曜日)

「……うーん、なんかピンとこない」


教室の一番後ろ、窓際の席。私、北川詩織は、ノートに書き出した短い文章を見つめていた。文芸部誌の特集テーマは「出発」。けど、書いても書いても、自分の言葉が嘘くさく思える。


「北川さん、何してんの?」


突然隣から顔を覗き込んできたのは、席が前の川崎蓮。相変わらず寝癖のままの頭をポリポリかきながら笑っている。


「べつに。メモ」


「えー、めっちゃ書いてるじゃん。なんか詩? それともまた小説? “この世界にさよならを告げた時、君の声だけが—”みたいな」


「そんな中二みたいなの書かないし」


「だよな!ごめんごめん!」


川崎はあっさり笑いながら席に戻っていった。


(……ああいう軽さ、ちょっと羨ましいかも)


黒板には現代文の板書が残っていた。「象徴と暗示」という単元。教師が言っていた、「行間に込められたものを読む力」が、今日はやけに胸に引っかかっていた。


──なんでこんなに、言葉が出てこないんだろう。


4限の授業が終わると、クラスの空気は一気に緩んだ。昼休み、女子たちのグループが教室の真ん中で弁当を広げて笑っている。自分も誘われたけど、今日は断って屋上へ。


(みんな、なんであんなに自然に笑えるんだろ)


屋上の隅、風の音と一緒に弁当を広げる。今日はコンビニのおにぎり。スマホでSNSを開くと、文芸部のグループチャットに「締切明日までです!」の文字。


(わかってるよ……)


午後の英語は、ほぼ聞き流していた。ノートの片隅に浮かんだ単語を走り書きしては消す。その繰り返し。


放課後。文芸部の部室に行く気にはなれず、図書館に逃げ込んだ。


けど、ページをめくっても、なにも頭に入ってこない。目に映る活字は、全部他人の言葉。自分の中の“書きたい”が見つからない。


(書くの、やめようかな)


その思いがふとよぎったとき、机の上のノートをそっと閉じた。


今日は、ふらっと歩こう。そう思って足を伸ばしたのは、駅から少し離れたあの古書店〈ふくろう書房〉。


前に一度来たとき、時間が止まったような不思議な空間に惹かれて、また来たいと思っていた。


店のドアを開けた瞬間、紙の匂いと少し湿った木の香りが鼻をくすぐった。


「いらっしゃい」


店主らしきおばあさんが、奥で静かに本の整理をしている。


店内は相変わらず、静かで落ち着く空間。詩織はふと、棚の中ほどに並んだ文芸評論のコーナーへ歩いていった。


手に取ったのは、薄い随筆集。ページをめくると、なぜか心がじんわり温かくなる。言葉に無理がなく、誰かにそっと語りかけるような文体。


「そのページ、好きなんだ」


ふいに聞こえた声に、ビクッとして振り返ると、そこにいたのは――


白いシャツの袖をまくった、眼鏡をかけた大学生風の青年だった。


「え……?」


「前に読んで、すごく印象に残ってて。特に、そのページの一文」


彼が指差したのは、詩織がちょうど開いていた一節。


「“本を読むという行為は、誰かの孤独に、そっと寄り添うことだ”」


「それ、わたしも……好きです」


自然と、そう言葉が出た。


「書いてる人でしょ?」


突然言われて、驚いた。


「え、なんで……?」


「いや、書き手っぽいなって。言葉の選び方が、読者じゃなくて“発信者”って感じ」


「……ちょっと、書いてます。文芸部で」


「やっぱり。俺もね、大学で文芸やってるんだ。相馬優一っていう。ここ、たまに来る」


「北川詩織です」


「詩織。名前も文章っぽいな。いい響き」


彼は壁際の小さな椅子に座り、詩織に手で「どうぞ」と促した。


迷ったけど、彼女も隣に腰を下ろした。


「最近、ぜんぜん書けなくて。言葉が空回りするっていうか……読まれることを考えすぎて、自分が何を書きたかったのか、分かんなくなる」


「あるある。俺も高校のとき、そうだったよ。部誌のために書いてるはずが、部員の評価とか先輩の目とか気にして……一度、全部消した」


「全部?」


「うん。でも、それが良かった。ゼロになって、“あ、自分って書くのが好きなんだな”って気づけたから」


その言葉が、どこか自分に重なった。


教室でも、図書館でも、部室でも、書けなかった。


でも今、ここでは――言葉が、浮かんできそうだった。


「……私、今日、来てよかったです」


「俺も。詩織ちゃんと話せて、すごく楽しかった」


「また、会えますか?」


そう言った自分に驚いた。でも、言葉はもう止まらなかった。


彼は少し目を見開き、すぐに微笑んだ。


「もちろん。また、本の話しよう」


詩織は、胸の奥がほんのりあたたかくなるのを感じた。


学校に戻れば、また現実が待ってる。文芸部誌の締切、考査前の授業、進路のこと。


でも、今日のこの出会いは、確かに彼女の中に何かを残してくれた。


“書くって、自分を信じること”


古書店を出た帰り道、駅までの空気がやけに澄んでいた。


詩織はスマホを開かず、風の音に耳をすませた。いつもより、世界が少しだけ優しく思えた。


そしてその夜。


彼女はノートを開き、ペンを走らせた。


ページの最初に書いた一行は、迷いのない言葉だった。


「静かな街の片隅で、誰かと出会った。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ