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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
5月:「迷いながら進む道」
42/122

5月12日(月曜日)

「やばいのわかってるんだよ…」


俺、川崎 蓮は、自室の勉強机に座ったまま、眉間にシワを寄せた。机の上には開きかけた英語の問題集と、乱雑に置かれたシャープペン。だが、ページをめくる前に手は自然とスマホに伸びていた。


「ちょ、インスタ見てる場合じゃないっしょ…」


そう呟いた直後、自分で苦笑する。「言い聞かせても無理なんだよなぁ、マジで。」


模試の自己採点結果は、スマホのメモアプリに打ち込んだまま放置してある。数IIで大問丸ごと落とした記憶が蘇り、思わず頭をかきむしった。昨日もギターの録音編集に時間を費やし、結局、教科書は開かなかった。


部屋の外から、洗濯機の回る音と母親の鼻歌がうっすら聞こえてくる。窓からは、初夏の陽射しが斜めに差し込み、カーテンの縁を明るく照らしている。部屋の空気はどこか、締めきったように重たかった。


「蓮、夕飯どうするー? 外食でもいいよー!」


「いらん、今無理!」


声を張ったあと、少し後悔する。母は悪くない。ただ、彼の中で何かが詰まっているだけだった。


その「何か」の正体は、自分でもはっきりわかっていた。


──将来、どうするか。


バンドは楽しい。文化祭でのステージだって楽しみだし、週末のスタジオ練も、仲間とのLINEも最高だ。だけど、音楽で食っていくなんて現実じゃない。わかってる。そんなこと、何十回も自問自答してきた。


それでも、進路の紙に「○○大学経済学部」と書くことに、納得なんてできるわけがなかった。進学は逃げじゃない。でも、本気にもなれていない。


ピロンッ。


スマホが震えた。バンド仲間のユウトからのグループLINEだ。


《今週の練、日曜な!てか新曲、蓮の歌詞でいけんじゃね?》


「やべ、うれし。」


ポロッとこぼしたその言葉に、自分でも驚く。


そう、嬉しいのだ。誰かが、自分の言葉に期待してくれることが。


でも、その“嬉しい”は、どこか後ろめたい。


だって、学校の勉強はどんどん置いてかれてるし、担任の今井には「模試の結果、このままだと進学は厳しいぞ」と冷静に告げられたばかりだ。


担任は怒鳴らない。でも、その目は重い。優しさの奥に、期待と失望が見え隠れするあの目が、どうにも苦手だ。


「マジでどうしたらいいんだよ…」


声に出してみたところで、答えなんて出ない。


それでも、時間は流れる。今日も教室では、中間考査(5/14〜)を前にしてみんなピリピリしていた。隣の席の岡田は休み時間もずっと英語長文読んでるし、青山なんて「過去問は3周が基本」って言いながら数学演習に没頭してた。


「同じ世界の住人じゃねーな…」


そう呟いたとき、背後から斉藤に話しかけられた。


「川崎、最近ギターうまくなってない? 前より安定してるっていうか。」


「え、まじ? それ、録音聴いた?」


「いや、ユウトがめっちゃ褒めてた。歌詞も良かったってさ。」


「……あー、うれしいけど……」


言いかけて口を閉じた。斉藤はそれ以上何も言わず、笑って席に戻っていった。


(歌詞で褒められるって、ちょっとズルいよな。俺が書いたこと、そんなに伝わってんのか…?)


5限の現代文は、好きなはずの教科だったのに、今日は頭に入ってこなかった。「自己表現とは何か」という評論文のタイトルだけが、やたら印象に残った。


放課後、図書室には寄らず、下駄箱に向かう。進路希望調査票はまだ提出してない。担任に声をかけられる前に逃げるように昇降口を出た。


昇降口の前では、同じバンド仲間のリクが後輩と談笑していた。


「おう、蓮。お前、今日顔やばいぞ?」


「いや、色々な…ってか、リクは志望校決めた?」


「んー、音楽系の専門学校、AOで出そうかと。ま、落ちたらバイトでもしながら考えるわ。」


「強ぇな、そういうの。」


「お前もそうすりゃいいのに。」


「……俺、たぶんビビってんだよ。」


「ビビってんのに歌詞書けるってのも不思議だけどな。」


リクの笑顔が、まぶしく見えた。


帰宅後、部屋のベッドに倒れこみ、再びスマホを開く。


《てか、蓮の歌詞、なんか悩んでる感出ててリアルだわw でも、そこがいい!》


「…お前ら、見る目あんな。」


ちょっと笑った。そのまま、ノートを開く。ギターのフレーズに乗せるため、昨日書いた歌詞を見直す。


《俺は まだ答えを知らない/でも このまま終わらせたくない/逃げてもいいけど 今は歌いたい》


その言葉に、自分の気持ちが少し追いついた気がした。


夕食時、母が静かに言った。


「蓮、好きなことは、諦めなくてもいいんだよ。」


「……わかってる。でも、怖いんだよ。」


「怖がるってことは、それだけ本気ってことよ。」


母のその言葉が、思ってたよりも響いた。


夕食の後、机に戻ると、プリントの山の下から進路希望調査票が顔を出した。もう一度眺めてみる。「経済学部」の文字が、やけに白々しく見えた。


その夜、川崎はギターを手にした。窓を少し開けて、五月の夜風が部屋に入ってくる。


「マジで…やべーけどさ、俺、たぶん、逃げたくねぇんだよな。」


コードを一つ鳴らして、続けてもう一つ。


手元のノートには、走り書きのままの歌詞。


《俺は まだ答えを知らない/でも このまま終わらせたくない》


そのフレーズを見つめたまま、川崎はゆっくりと呟いた。


「今だけは、これでいいって思いたいんだよ。」


その夜、進路希望調査票の“?”は、二重線で消され、空欄になった。


ギターの音が、夜の街に静かに溶けていった。少しだけ、明日の自分を信じてみようと思った。

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