表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
5月:「迷いながら進む道」
41/122

5月11日(日曜日)

「はぁ……」


私、岡田真由は、駅のベンチに座り込みながら、カバンの中からペットボトルの水を引っ張り出した。模試が終わったばかりの夕方。暑くもなく寒くもない、ただどこか息苦しい湿った空気が肌にまとわりつく。


今日は朝から一日がかりの模試だった。国語、英語、数学……脳みそを削られるような時間。真由は前から模試が苦手だった。特に数学になると、問題を見ただけで心拍数が上がる。


「また途中で時間配分ミスったし……」


ひとりごとが、つい口をつく。駅前のロータリーには、同じ制服姿の生徒たちがちらほらといる。誰もが少し疲れた顔をしているけれど、真由の耳に届いたのは、近くのベンチから聞こえる声。


「おれ、英語マジ手応えあったわ」「えー、あたし逆に英語ボロボロだった〜!」


楽しそうに笑う声に、心の奥がキリキリと痛む。


(なんで、笑えるの……?)


真由はスマホを取り出し、無意識にLINEを開いた。通知が一件、姉から。


――「模試お疲れ!自己採点したら教えてね。夕飯いる?」


その文面を見て、反射的に眉をひそめた。


(うるさいな……てか、放っといてよ)


姉・由梨は、2つ上の青嵐高の卒業生で、今は東京の私大に通っている。中学の頃から「勉強ができる」「何でもそつがない」と周囲に言われ続けた姉。家では穏やかだけど、無意識のうちに真由にプレッシャーを与えてくる存在だった。


「……私、別にあんたと同じ道なんか行きたくないし」


小さく呟くと、LINEの返信欄に「いらない」とだけ打って送った。


けれど、そのあと数秒間、画面を見つめたまま動けなかった。


(ほんとは……ちょっと安心したんだよ、あんたのメッセージで)


苦しい。でも、誰にも言えない。


電車がホームに滑り込む音に背を押されるようにして、真由は立ち上がった。電車の中は日曜の夕方にしては空いていて、ボックス席に一人で座れるくらいの余裕があった。


バッグから模試の問題冊子を取り出す。開く気にもなれない。自己採点は、帰ったらやる。やらなきゃ。でも、今は目を背けたい。


頭の中に、今日の数学の大問4が浮かぶ。解けなかった問題。ずっと考えたけど、時間が足りずに飛ばしたままだ。


(あれさえ解けてれば……)


また、後悔の波が押し寄せる。だけど、それ以上に、心の奥底にあるのは、


(なんでこんなに必死になってんの、私……)


っていう、叫びに近い戸惑いだった。


電車の窓の外では、夕焼けがじわじわと空を染めていた。誰かと話したい。でも、誰にも話したくない。


(誰かの言葉が怖い。結果を知られるのが怖い。全部、自分の価値みたいで)


電車が次の駅に止まる。ふと、座席の向かいに座った親子連れの会話が聞こえてきた。


「今日のテスト、どうだった?」「うーん、難しかったけど、頑張った!」


その無邪気な声に、真由は少しだけ、口角をゆるめた。


(そうだよね……頑張った、だけでいいんだよね)


電車を降り、自宅までの道を歩く。駅から家までの10分の坂道が、今日はやけに長く感じた。脚が重い。肩も痛い。だけど、今だけは、ちょっとだけ風が優しかった。


自宅に着くと、リビングの明かりがついていた。姉が帰ってきているのかと思ったが、部屋に入ると誰もいなかった。机の上には、母が置いたらしいメモとおにぎりがひとつ。


――「模試おつかれ。今日はバイトで遅くなるから、これ食べてね」


真由はそのメモを見て、ふっと息を吐いた。


(あー、もう……うちの家族って、こういうとこだけ優しいんだよな)


カバンを投げ出し、おにぎりを頬張りながら、今日の問題冊子をもう一度開いた。答え合わせは……やっぱり、苦手だ。でも、目を逸らし続けることもできなかった。


ノートを開き、シャーペンを走らせる。


間違っていた問題には、赤ペンで印をつけた。正解していた問題には、チェックマークをつけた。


そして、気づいた。


(……全部ダメじゃなかった)


得点は高くない。でも、白紙じゃなかった。最後まで投げ出さなかった自分を、少しだけ肯定できる気がした。


スマホにまたLINEが届く。姉から。


――「今日の夜は、近くのスーパーでチーズケーキ買ってきたよ。あとで半分こしよ!」


真由は、思わず笑ってしまった。


「……ほんと、うるさいし、ありがと」


誰もいない部屋で、小さく、確かにそう言った。


それから、窓を少しだけ開けて、夜の風を部屋に通した。外はもうすっかり暗くなっていて、遠くで犬の鳴き声が聞こえる。机の上にはまだ勉強道具が散らかっていて、やりかけの参考書が開きっぱなしになっていた。


スマホをもう一度手に取る。グループLINEには、今日の模試のことで盛り上がるクラスメイトたちのメッセージが並んでいた。


「英語ヤバすぎ」「数学爆死」「国語の評論なんだったのあれ」


見てるだけで、胸がざわつく。


(みんな同じなんだ……)


そう思った瞬間、スマホの通知が一つ。


――「真由、今日の自己採点、できたら教えてね。今度いっしょに復習しよ」


送り主は、同じクラスの斉藤優希だった。


(……あの子も、頑張ってるんだよな)


返信はまだしなかったけど、そのメッセージが妙に心に残った。


「私は私」


その言葉を、今日は初めて、ちゃんと自分の声で言えた気がした。


だからきっと、明日もがんばれる。そんな気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ