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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
5月:「迷いながら進む道」
38/122

5月8日(木曜日)

「……石川、ちょっと時間あるか?」


放課後のチャイムが鳴った直後、教室を出ようとしたところで、担任の今井先生に呼び止められた。


「あ、はい……」


「進路の話、少しだけ」


職員室の前を通り過ぎ、相談室へと向かう足取りはどこか重かった。


部活のあるわけでもない。バイトもしてない。でも、今日の“呼び出し”は、なんとなく予感してた。昨日の模試の返却と、先週出した進路希望調査の提出。そのタイミングでこの時間。まさか「推薦、難しいぞ」と言われるんじゃないかって――。


その“まさか”は、案の定だった。


「推薦は、ちょっと厳しいな」


今井先生の言葉は、静かだったけど、確実に心に落ちた。


「成績も努力はしてるの分かってる。だけど、石川の志望校、倍率がえげつないんだ。しかも、実技審査なしで“ポートフォリオと書類だけ”ってなると……かなりハードル高い」


「……でも、俺、ポートフォリオなら夏までに何とか」


「もちろん挑戦はできる。ただ、推薦で狙うには、もっと“表現としての一貫性”とか、“表現者としての姿勢”が問われるんだよな。提出作品だけじゃなくて、面接で何を語れるか。それが肝心になる」


「……つまり?」


「正直な話、現状の実績じゃ“推薦枠の候補”には入れづらいってことだ。だから、一般入試で実技と筆記の両方を受けるルートを念頭に置いた方が……」


先生が言葉を濁す。その言い方がいちばんキツかった。


「……やっぱ俺、“普通の道”を選ばなきゃダメっすか?」


静かにそう呟いたとき、先生が不思議そうな顔をした。


「普通?」


「……推薦とか、成績で行けるとこで安全に進むやつ。みんな、最近そればっかだし。“堅実に行け”って大人も言うし。なんか、“普通”じゃないとダメなのかなって……」


「石川」


先生が、まっすぐこっちを見た。


「進路に“普通”も“異常”もない。あるのは、お前にとって“リアル”かどうか、だけだよ」


校舎を出ると、日が傾いていて、夕陽がグラウンドの端っこを真っ赤に染めていた。


周りには、部活帰りの声が響いてる。サッカー部がまだ練習してて、バスケ部の掛け声も聞こえる。そういえば、朝倉も部活組で、まだ体育館にいるかもしれない。


でも、今は誰とも話したくなかった。


スマホを開いて、通知を見る。クラスのグルチャがやたらと賑やかだった。


「模試の返却どうだったー?」

「中間マジでヤバい」

「進路ガイダンスさ、また説明長すぎ」


そんな中に、たった一つだけ気になる名前が表示された。


北川詩織


北川「文芸部の校外取材、明日行く人あと1人だけ欲しい! 静かな場所で取材だけど、石川くん、気が向いたらどう?」


――詩織。去年の文化祭で表紙イラストを頼まれてから、たまに連絡を取ってる。


石川「ごめん、今ちょっと忙しいかも」


送った直後、すぐに既読がつく。


北川「うん、了解。また気が向いたら教えて。無理はしないでね」


そのやさしい言葉が、今はちょっと刺さる。


“無理しないで”か――でも、こっちは無理しなきゃ進めない気がしてるんだよ。


家に帰ると、母がいつものように夕飯を準備していた。リビングには、見慣れないパンフレットが置いてある。


「それ……何?」


「ああ、それ? ポストに入ってた。美術系の専門学校の案内よ。AO入試の説明会があるんですって。新聞取ってるとよく来るのよね、こういうの」


「専門学校……?」


「うん。大学とはちょっと違うけど、デザインとか絵のこと、本気でやりたい子には合ってるらしいわよ。拓海、絵は続けたいんでしょ?」


母はそう言って、何も強制はしなかった。ただ、パンフレットをそっとテーブルに置いて、夕飯を並べ始めた。


ページをめくってみると、少人数制の授業、実技重視、現場実習、作品展――


「……推薦じゃなくても、選べる道ってあるんだな」


当たり前のようで、ずっと目を背けていたことだった。


推薦で失敗=終わり。推薦がダメ=“落ちこぼれ”。


勝手にそんな方程式を作って、ずっと怖がってた。


夜。部屋にこもって、スケッチブックを取り出した。


埃をかぶってた表紙を指でなぞってから、ゆっくり開く。


最後のページには、3月の終わりに描いた“青い影”の絵。あれから1枚も描いていなかった。


「描けるのか、俺……」


最初は、鉛筆がうまく動かなかった。でも、ふと手が動く。


気づけば、グシャグシャの線の中に、何かを叫んでいる自分の姿が浮かんできた。


――叫びたい。うまく言葉にできないモヤモヤを、絵でしか伝えられない感情を。


紙の端に、小さく書いた。


『推薦で行けなくても、俺の道を描く。』


その瞬間、少しだけ息がしやすくなった。


スマホをもう一度開き、北川のトーク画面をタップする。


石川「明日、やっぱ取材行ってもいい?」


少しして、通知が鳴った。


北川「うれしい。静かな場所で、ちょっと遠出だけど、きっと気持ちいいよ」


“気持ちいい”か――そういう感覚、最近忘れてたかもしれない。


ベランダに出ると、風が涼しくて気持ちよかった。街の灯りが少しだけ滲んで見えた。


“普通の道”じゃなくても、“俺の描きたい世界”があるなら、それを信じてみたい。


推薦じゃなくても、評価されなくても、絵の中だけは自由でいられる。


明日は、久々に誰かと“絵の話”ができるかもしれない。


ちょっとだけ、眠るのが楽しみになった。

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