5月7日(水曜日)
「……ねえ、マジでもう無理かも」
昼休み。教室の一番後ろ、カーテンの影に隠れるような場所で、斉藤優希は珍しく机に突っ伏していた。
「どうしたの?」
近づいてきたのは、同じくクラス役員の清水悠人。無邪気なトーンで声をかけたつもりなんだろうけど、その言葉にビキッと神経が逆撫でされた。
「清水さあ……昨日のLINE見てなかった?」
「え?」
「グルチャでさ、みんな時間も場所も好き勝手に書いてて、私、アンケート三回も作り直したんだよ?」
「いや、それは……ありがと。助かったよ、マジで」
「“ありがと”だけ? 清水はさ、途中で既読スルーしてたよね?」
清水の顔が固まった。
「……ごめん」
「ほんと、それだけ? ……もう私ばっかまとめ役とか、面倒見る係とか、無理だよ」
あまりのトーンに、周りの数人がざわついた。
「優希……」
「もういいから」
そう言い捨てて、立ち上がる。席の脇に置いていたカバンを肩にかけて、そのまま教室を出た。
空気がピリついてるのが背中に刺さるけど、今はどうでもよかった。自分でも驚くくらい、涙が込み上げていた。
図書室の前の廊下。誰もいない静かな場所に腰を下ろして、優希はスマホの電源を落とした。
「……なんか、ずっと張ってた糸が、切れたみたい」
今度の生徒総会の準備も、今週のHRの進行も、全部、斉藤優希がやっていた。誰に頼まれたわけじゃないけど、気づいたら「やらなきゃ」が口癖になってた。
「ほんと、バカだなあ……私」
頭の中には、昨日の深夜まで必死に作ってた進路希望調査の集計表が浮かぶ。A推薦、B推薦、総合型、未定――。みんなの進路も不安も、ぜんぶ整理して把握して、先生に渡して、終わったと思ったら次のイベント。
「私、何のためにやってるんだろ」
それなのに、今日の朝のグルチャでは、
「優希、また神対応ありがと!」
「さすが委員長w」
「斉藤ってほんと便利だよな」
「便利」って言葉が、グサッと刺さった。
「頼られるのが好きなわけじゃない。頼られ“すぎる”のが、もう苦しいんだよ……」
ひとりごとのように、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
午後の授業。図書室で時間をつぶしてから、HRだけは戻ろうと思っていた。
けど、教室に戻ると空気がやたら静かだった。優希の席の周りだけ、微妙な距離感。みんな、さっきのやり取りを見てたらしい。
清水が、席の近くで立っていた。
「……優希、ちょっと話せる?」
「……今さら?」
「うん。今さらかもしれない。でも言いたいことがある」
その言い方が、あまりに真剣で、つい立ち止まってしまった。
ふたりは廊下に出る。昼の陽射しがガラス越しに落ちて、ちょっと暑いくらいだった。
「さっきは、ほんとにごめん。俺、自分でも気づいてなかった」
「何を?」
「任せてるっていうより、“頼ってる”つもりだった。でもそれって、任せっぱなしだったんだなって」
「……いつも、私がやって当然みたいな空気じゃん」
「うん、そうかも。正直言うと、優希がいるから大丈夫だって思ってた。勝手に」
「…言葉だけじゃもう、しんどいんだよ」
「じゃあ、変えるよ。委員の仕事も分担しよう。グルチャの管理も、俺がやる」
「……ほんとにできるの?」
「やってみる。ってか、やらなきゃだめだよな。俺、今まで優希のこと“便利な奴”だなんて思ってなかったつもりだけど、結果的にそうなってた。気づけなかった俺が一番ダメだった」
その言葉に、優希はしばらく沈黙した。
「……じゃあ、1回だけ任せる」
「うん、ありがとう。マジで」
ちょっとだけ、肩の荷が下りた気がした。
放課後。職員室。
「斉藤、ちょっといいか?」
今井先生が呼び止めてきた。HRでの出来事が伝わっていたらしい。
「先生、もしかして……怒られます?」
「いや、むしろ、よく言ったと思うぞ」
「え?」
「誰かがやらなきゃ回らないのは事実だ。でも、その“誰か”が壊れる前に声を上げてくれて、先生はホッとしてる」
「……壊れてたかもしれません」
「なら、なおさらだ。自分の限界、知れたことは悪いことじゃないよ」
その言葉に、ちょっとだけ涙がこみ上げた。堪えながら、優希は深くうなずいた。
夜。部屋の机に座りながら、優希はノートを開いた。
そこには、今日の自分の気持ちが乱雑に書かれていた。
『限界まで頑張ってた。自分で“私がやらなきゃ”って思い込んでた。でもそれって、誰のためだった? 誰も私に全部を期待してたわけじゃなかったのに』
スマホの電源を入れると、清水からのメッセージが届いていた。
清水「アンケート、新しいの作ってみた! 明日チェックしてくれたら助かるけど、無理にじゃないから、気にしないでな」
ふふ、と笑みがこぼれる。
優希「ありがと。……でも、ちょっと見てあげるよ。委員長としてじゃなく、友達としてね」
送信して、スマホを伏せた。
母が部屋をノックして入ってきた。
「夕飯できたわよー。今日、学校どうだった?」
「ちょっとだけ泣いた」
「えっ?」
「でも、ちょっとだけラクになった」
母は驚いた顔のまま、でも何も言わず、優しく頭をなでた。
「じゃあ、いっぱい食べなさい」
「うん、わかった」
夜風がカーテンを揺らす。
今日は、壊れそうになったけど、ちゃんと自分の気持ちを出せた日だった。
『自分を大事にする』って、こういうことなのかもしれない――
そう、静かに思った。




