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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
5月:「迷いながら進む道」
33/122

5月3日(土曜日)

「……今日、なんか、めっちゃ暇」


私、井上美咲は、ベッドの上でスマホをいじりながらつぶやいた。カーテンの隙間から差し込む初夏の光が、白いシーツをやさしく照らしている。窓を少し開けると、ほんのりと草と土の匂いを含んだ生ぬるい風が部屋に流れ込んできた。でも、外に出る気分にはなれなかった。


ゴールデンウィークの真っただ中。友達のSNSは遊びに行った写真で溢れてる。ディズニー、海、公園バーベキュー。みんなのキラキラした笑顔がスマホの画面越しに眩しい。


美咲も誘われたけど、なんか乗り気になれなかった。


「別に、行きたくないわけじゃないけど……」


ひとりごとのようにぼそりと呟き、スマホをポイとベッドの上に投げ出した。天井をぼーっと見上げると、部屋のファンが静かに回っている。壁掛け時計の秒針の音がやけに大きく感じた。部屋の空気は、退屈というより、どこか閉じ込められたような重たさだった。


(なんでだろ)


理由はよくわからない。ただ、みんなと笑っている自分を、今日はうまく想像できなかった。


「……とりあえず顔洗お」


重い腰を上げて洗面所へ。鏡に映る自分は、寝癖がついて髪はぼさぼさ、目の下にはうっすらクマ。冷たい水で顔をバシャバシャと洗うと、ほんの少しだけ頭がスッキリした。


簡単にトーストとヨーグルトで朝ごはんを済ませ、またソファにごろん。テレビでは旅番組が流れていた。見覚えのある観光地や、知らない街並み、知らない人たちが、画面の中で楽しそうに笑っていた。


(みんな、未来に向かって進んでる感じ)


ぼんやりそんなことを思った。画面の中のキラキラした世界が、遠くて、手が届かないもののように感じた。


(私、進んでるのかな)


学校じゃ明るくしてる。友達とも普通に喋ってる。でも、本当はずっと焦ってた。進路のこと、将来のこと。


「……あーもう、だるっ」


ソファに顔をうずめ、思いっきり大きな溜息をつく。背中に伝わるソファの柔らかさが、逆にだるさを助長している気がした。耳の奥で自分の心臓の音だけが響いているみたいだった。


午後、なんとなく気分転換したくて外に出た。玄関を開けると、むわっとした空気が肌を包んだ。夏の匂いが混じった風が、少しだけ汗ばんだ肌を撫でていく。


最寄りの駅前は、いつもよりにぎわっていた。買い物袋をぶら下げた人たち、カフェのテラス席でおしゃべりするカップル、制服姿の高校生たち。子ども連れの家族が、楽しそうに笑いながら歩いていく。


「マジで、置いてかれてる気するわ」


小さくつぶやいて、コンビニでアイスコーヒーを買った。手に伝わる冷たさに、ほんの少しだけ救われた気がした。


駅前のベンチに腰を下ろし、冷たいコーヒーを口に含む。苦味と少しだけの甘み。のどを通るその感覚が、今はやけにリアルだった。


適当にベンチに座って、ぼーっと人の流れを眺める。親子連れが楽しそうに手をつないで歩き、小学生くらいの子が、無邪気に笑いながら駆けていく。その笑顔がまぶしくて、少し胸がチクリと痛んだ。


(いいなぁ、ああいうの)


未来とか、不安とか、そんなの知らない顔。


そのまま、近くの公園まで足を伸ばした。アスファルトの照り返しがジリジリと肌を焦がす。公園の入り口には大きなツツジが満開で、甘い香りが漂っていた。


新緑の香り。芝生の上にはシートを広げた家族連れ。カップルが並んでアイスを食べ、小さい子どもたちがシャボン玉を追いかけて元気に走り回る。


ベンチに座り、スマホをいじるふりをしながら、空を見上げる。青い空に、ふわふわと浮かぶ雲。どこまでも自由そうで、どこか切なかった。


(私も、こんなふうに生きたい)


何の気負いもなく、ただ笑っていたい。でも、現実はそううまくいかない。受験、親の期待、将来。不安ばかりが積み重なっていく。


(めんどくさい)


心の中でだけ、思いっきり叫んだ。声に出したら、きっと泣いてしまう気がした。


夕方。空はオレンジ色に染まり、太陽がゆっくりと沈んでいく。公園の空気も、昼間の熱気が嘘みたいにひんやりしてきた。


美咲はカバンから小さなノートを取り出した。誰にも見せたことのない、秘密のノート。


ページを開き、ボールペンを握る。最初はペン先が震えたけど、深呼吸してから、ゆっくりと書き始めた。


『やりたいことリスト』

・カフェ巡り

・雑誌編集の仕事に興味あるかも

・大学行きたい

・でも、何学部とか全然わかんない

・人の話を聞くのは、わりと好き

・新しいことを始めるのも、ちょっと怖いけどワクワクする


書きながら、自然と口元がほころんだ。


(めっちゃ中途半端じゃん、私)


でも、ゼロじゃない。ちゃんと、自分の中に何かはある。小さな一歩でも、踏み出せたなら、それでいい気がした。


「よし、帰ろ」


小さな声でそう言って、ノートを大切にカバンにしまった。


帰り道、ふわっと吹いた風が、少しだけ涼しく感じた。頭上ではカラスがカァカァと鳴き、遠くの家々からカレーの匂いが漂ってきた。すれ違う人たちの笑い声、遠くで走る自転車のベル、すべてが日常の音だった。


(大丈夫。きっと、なんとかなる)


井上美咲は、そんなふうに思いながら、ゆっくり歩き出した。夕陽に染まった雲が、明日へ続く道をやさしく照らしているみたいだった。

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