表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
4月:「新しい風が吹く」
29/122

4月29日(火曜日)

「……あ、やっぱり覚えてた。」


カフェのテラス席でスマホをいじりながら、私、井上美咲は小さくつぶやいた。今日は昭和の日で学校は休み。天気も良くて、ゴールデンウィーク初日の空気は少し浮かれている。


でも、私の胸の中には、ずっと小さな棘みたいなものが刺さっていた。


元彼の誕生日。


別れてからもう何か月も経ったのに、今日という日は無視できなかった。SNSの「今日は〇〇の誕生日です」という通知も、しっかり届いてしまった。友達と約束していたカフェに来たけど、心のどこかはずっとモヤモヤしていた。楽しいはずの連休初日なのに、気持ちだけが追いつかない。


「美咲ー!ごめん、待った?」


遠くから根岸が手を振って走ってきた。私は慌てて笑顔を作る。


「全然、大丈夫!」


席についた根岸は、私の表情にすぐ気づいたみたいだった。


「……なんか元気ないね?」


「え、そ、そんなことないよ?」


慌てて否定するけど、根岸はじっと私を見つめたあと、にやっと笑った。


「もしかして……今日、元カレの誕生日?」


図星すぎて、私は思わずコーヒーを吹きそうになった。


「なんでわかるの!?エスパー!?」


「女の勘ってやつ!」


からかうように笑う根岸に、私は力が抜けたみたいにため息をついた。


「……別にさ、忘れたふりしようと思ったんだよ。SNSも見ないようにしてたし。でも、やっぱり、ダメだね。」


「そりゃそうだよ。そんな簡単に忘れられたら、苦労しないって。」


根岸はストローでアイスティーをかき混ぜながら、優しい顔をして言った。


「でも、思い出すのは悪いことじゃないと思う。ちゃんと好きだった証拠だし。」


「……そっか。」


私は空を見上げた。春の日差しがまぶしくて、目を細める。風に揺れる木の葉の音が心に染みた。


好きだった気持ちに嘘はない。それをなかったことにする必要なんてない。そう思ったら、少しだけ心が軽くなった気がした。


「ありがとう、根岸。」


「どいたま!じゃ、今日は楽しいことだけ考えよ!」


元気よく言う根岸に釣られて、私も笑った。


私たちはカフェを出た後、ショッピングモールへと向かった。人混みの中を歩きながら、友達同士の何気ない会話が続く。新作コスメの話、流行りの服の話、くだらない笑い話。


そんな中、ふと根岸が真面目な顔になった。


「ねえ、美咲。進路、もう決めた?」


私は少し考えて、素直に答えた。


「まだ……かな。周りはどんどん決めてるけど、私は……正直、何がやりたいか、まだわかんないんだ。」


「焦らなくていいんじゃない?美咲はさ、人の気持ちに寄り添えるし、きっと何をやっても大丈夫だよ。」


その言葉に、少しだけ心が温かくなる。寄り添える、か。確かに私は、誰かのために何かをするのが好きだ。でも、それをどうやって仕事に繋げたらいいのかは、まだ模索中だった。


「でもね、最近ちょっとだけ思うんだ。」


「何を?」


「保育士とか、カウンセラーとか、人とちゃんと向き合う仕事。やってみたいかもって。」


「おおー!絶対向いてるよ!」


根岸がぱっと明るく言ってくれる。その明るさに励まされるように、私も自然と笑みがこぼれた。


「でも、まだ具体的な道筋は決められないし、勉強もしないとだし、簡単じゃないよね。」


「簡単じゃないけど、今気づけたのはすごいことだと思うよ。」


その言葉に、私はうなずいた。進路って、特別な何かじゃなくてもいい。誰かの役に立ちたい。そんなシンプルな想いを大切にしたい。


モールの吹き抜けの天井から降り注ぐ光が、未来への希望みたいに感じられた。ふと目に入った文具店の前で、将来の夢に向けた参考書やノートが並ぶのを見て、胸の奥に小さな火が灯るのを感じた。


帰り道、夕暮れの駅前広場で二人並んで座ったベンチ。風が少し冷たくなってきたけど、心はあたたかかった。


「進路ってさ、結局、自分で決めるしかないんだよね。」


ぽつりとつぶやくと、根岸は「うん」と頷いた。


「怖くても、不安でも、最後は自分だよ。美咲なら大丈夫。」


「ありがとう。」


私はもう一度スマホを開いて、さっき届いていたSNSの通知を静かに削除した。


過去にしがみつくんじゃなくて、自分の未来を、自分で選び取るために。いま目の前にあるこの日常が、きっと未来に繋がっていく。


電車がホームに滑り込んでくる音が聞こえた。私は立ち上がり、根岸に向かって笑った。


「じゃあ、またね!」


「うん、またね!」


夕暮れの空に、電車のライトがにじんで見えた。私はまっすぐ、未来に向かって歩き出した。歩幅は小さいけれど、確かな一歩だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ