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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
4月:「新しい風が吹く」
24/122

4月24日(木曜日)

「なあ、北川。ちょっと、いい?」


帰り支度をしていた北川詩織の背中に、小さな声で声をかけた。教室の空気が緩みだす放課後、俺、石川 拓海はずっとタイミングを見計らってた。言いたいことがあるのに、うまく言葉にならなくて。…でも、今日こそはって決めてた。


北川は、文芸部で文章を書いてる。俺とはまるで違うジャンルだけど、「何かを表現する」ってことには共通点があるって、ずっと思ってた。作品に命を吹き込むっていう感覚。筆と文字、違うけど、きっと通じるものがあると思って。


「うん、なに?」


振り返った北川の表情は、相変わらず静かで、でもどこかあったかくて。少しだけ緊張がほどける。


「ちょっと…さ、美術室寄ってくんない?」


「え、今から?」


「うん。見せたい絵があるんだ」


北川は少し驚いた顔をしたけど、すぐに小さく頷いた。


「うん、いいよ」


美術室。誰もいない静かな空間。窓から差し込む光が、木製の机や絵の具の匂いと混ざって、どこか懐かしい匂いがした。誰もいない時間帯のこの場所は、まるで自分の秘密基地みたいで、少しだけ胸が高鳴った。


俺はロッカーの中から、一枚のスケッチブックを取り出す。


「これ…今描いてる途中なんだけど」


ページをめくると、そこには風景画でもポートレートでもない、抽象的な色と形が交差する一枚の作品。


「……なんか、すごいね。言葉にしにくいけど、なんか、ぶわってくる感じ」


北川が、ぽつりと呟いた。


「それさ……俺が、初めて“描きたい”って思ったやつなんだ」


「え?」


「いつもは、課題とか、コンテストとかで評価されるために描いてた。けど……これは違ってて。言葉にできないものが、どうしても出てきて。筆が止まんなかった」


そう言いながら、少しだけ笑う。恥ずかしさと、ちょっとだけの誇りとが入り混じった笑み。


「描きたいものって、評価されるもんじゃないんだなって……なんか、気づいちゃってさ」


北川は、しばらく黙ってその絵を見つめてた。


「……それって、たぶん、小説も同じかも」


「うん?」


「私もね、よく“賞とか目指して書いてるの?”って聞かれるけど……違うんだよね。書きたいから、書いてるだけ。伝えたいものがあって、それを言葉にするしかなくて」


「……そうか。なんか、安心した」


「安心?」


「うん、俺だけじゃないんだなって」


そのとき、少しだけ教室の外から吹き込んだ風でスケッチブックのページがふわりとめくれた。


「これも描いたの?」


「んー、これは、ちょっと前のやつ。あんま人には見せてない」


「でも、好きだな。色使いが、なんか…感情って感じ」


「……うわ、照れる」


北川はクスッと笑って、椅子に腰かけた。


「なんかね、今日ここ来てよかった」


「え?」


「最近、ちょっと行き詰まってたから。誰かと“何かを作る”ってことを、忘れてたかもしれない」


「それ、わかるかも。俺もずっと、一人で描いてばっかだったからさ。人に見せるのって、勇気いるけど…でも、嬉しいよな」


2人の間に流れる沈黙が、さっきよりも優しくなった気がした。


「拓海って、美大目指してるんだよね?」


「……一応。親には“趣味で十分”って言われてるけど」


「うーん、それ、もったいないなあ」


「だろ? でも、現実は甘くないんだよ」


「でもね、私、今日の絵見て思ったよ。“これが石川拓海の描きたい世界なんだな”って」


「……うん」


「それだけで、なんか勇気出る」


「え、なんで?」


「わかんないけど……同じ時代に、同じ教室で、こんな絵を見られるって、ちょっとすごいことじゃん?」


その言葉に、俺は思わず吹き出した。


「……お前、詩人かよ」


「文芸部ですから」


ふたりで笑った瞬間、美術室のドアが「ギイ…」って音を立てて開いた。顔を出したのは、美術部顧問の大塚美里先生。


「あれ、まだいたの? 鍵閉めるわよ」


「すみませーん、今出ます!」


慌てて荷物をまとめながら、俺はスケッチブックを大事そうにしまった。


「なあ、北川」


「なに?」


「また、見に来てよ」


「うん、絶対来る」


その言葉を聞いて、なぜか胸が熱くなった。


帰り道、並んで歩く俺たちは、言葉少なめだったけど、沈黙が気まずくなかった。


「……石川さ、文化祭でもなんか描く?」


「え?」


「展示用のやつ。きっと“描きたいもの”があるなら、出したらいいよ」


「……それ、アリかもな」


「アリだよ。てか、絶対見たい」


「…じゃあ、さ。北川の小説も展示しよーぜ。並べてさ」


「へ? いやいやいや、無理無理。恥ずかしいし」


「俺だってそうだったよ。でも今日、北川が“描きたい世界なんだな”って言ってくれて、マジで救われたんだよ」


「……拓海って、たまにズルいよね。そういうこと、サラッと言えるとこ」


「え、ズルいか?」


「うん、ズルい。……でも、そういうとこ、嫌いじゃない」


信号待ちの横断歩道。2人して歩道の縁に足を揃えて立ち止まる。夕陽が伸びた影を長く引いて、俺たちの前に道が続いていた。


「なあ、北川。もし、将来…それぞれ違う道に進んでもさ、またどっかで“作品”で会えたらいいな」


「うん。言葉と絵で。きっと、またどこかで繋がれる気がする」


「そのとき、お互いに“あの頃”が作品に残ってたら…ちょっとカッコよくない?」


「カッコいいよ、それ」


少し照れくさいけど、確かにそう思った。


それは、小さな一歩。  

でも、確かに踏み出した、俺なりのスタートだった。  


そしてそれは、誰かと“表現”で繋がる、初めての記念日でもあった。


この日のことは、たぶんずっと覚えてると思う。絵を見せること、言葉を交わすこと、それがこんなにも誰かの心に届くことなんだって、初めて実感した日。


またひとつ、世界が広がった気がした。


そして、もしこの日がなかったら、自分の中にある“好き”を誰かに伝える勇気を持てなかったかもしれない。


「描くこと」だけじゃなく、「伝えること」の大切さを、今日、やっと知った。


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