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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
4月:「新しい風が吹く」
17/122

4月17日(木曜日)

「…大丈夫、落ち着いて」


朝7時前、ベッドの上で膝を抱えながら、俺、関根 康太は、そっと自分に言い聞かせる。今日は夜中に少しだけ喘息の症状が出て、久しぶりに発作っぽくなりかけたから、あまりぐっすり眠れなかった。医者から処方されている吸入薬と予防薬を使えば重症化は防げるんだけど、夜中の発作が続くとやはり心細い。通学してる間に調子が悪くなったらどうしよう――そんな不安に押しつぶされそうになるのを、必死でこらえる毎日だ。


「康太、朝ごはんできてるわよ」  

リビングから母の声が聞こえ、我に返る。枕元の吸入薬をカバンに入れて、制服を着こんで部屋を出る。父は既に出勤していて、母が朝食を用意しながら「昨夜は息苦しそうだったけど、今朝は大丈夫?」と心配そうにのぞき込んでくる。  

「うん、今は平気。ありがとう」  

「無理しないで、悪化するならすぐ保健室行くのよ。学校は休んでもいいんだから」  

「うん…でも授業もあるし…とりあえず行くよ」


母は「無理しないでね」と何度も言いながら、あったかいお味噌汁を注いでくれた。体が弱い分、家族には相当気を遣われているんだろうなとは思うけれど、私は高校生活をみんなと同じように楽しみたいから、できるだけ普通に登校しようと決めている。もう3年生だし、あと1年で卒業。体調に不安はあっても、悔いのないように過ごしたい。


家を出るころ、まだ少し胸に違和感がある。念のため予備の吸入薬も確認してから自転車にまたがる。といっても、自宅から学校までは平坦な道なのでさほどきつい運動にはならないはず。鼻先に春の風が当たると、昨夜までの苦しさが嘘みたいにさわやかで、少しだけ気が楽になる。


昇降口に着くと、ちょうど同じクラスの上原さんがドアを開けているところだった。彼女は保健委員で、いつも体調の悪い子や怪我をした子に手を差し伸べる優しい存在。私も何度か保健室に行くときにサポートしてもらったことがある。  

「あ、関根くん、おはよう。顔色、大丈夫?」  

「おはよう…うん、たぶん大丈夫。ありがとう」  

「そっか、よかった。無理だけはしないでね」  

いつもの柔らかい微笑みを向けられ、胸の奥がホッとする。こういう何気ない言葉が、私の不安を和らげてくれるんだよな。周りのクラスメイトも体調には気遣ってくれて、あまりきつい運動や騒がしいところに無理に連れ出そうとしないけど、だからといって孤立しているわけでもなく、適度な距離感で接してくれる。このクラスの雰囲気は居心地がいい。


朝のHRが始まり、担任の今井先生が今日の予定を告げる。どうやら5時間目に全学年集会があるらしい。「服装頭髪の注意と、模試に関する説明があるから、遅れずに体育館に来るように」なんて言っている。私は内心で「体育館の席が後ろだと空気が悪いかも」と少し不安になる。たまに密集した場所やほこりっぽい場所だと呼吸が苦しくなるんだ。まあ、最悪途中で抜けて保健室へ行くこともできるかな。


1時間目は数学。俺は理系科目が比較的得意で、実は将来は医療系に行きたいと思っている。ずっと病気と向き合ってきた自分だからこそ、医療の道に進んで人を助けたい――そんな思いを抱えている。でも、親にも先生にもはっきり言えていないのは、体力面で大丈夫かという不安が捨てきれないからだ。実際に体力勝負と言われるし、果たして自分みたいに喘息もちで体が弱い人間がやっていけるのか、誰も保証してくれない。


授業が進んでいく中、途中で肺が少しヒューヒューと鳴る感じがしてきた。「まずいかも」と思ったので、懐から吸入薬を取り出し、さりげなく休み時間に胸元へ吸い込む。ふう、何とかひどい発作にはならずに済む。斉藤が「関根くん、大丈夫?」と視線を向けてきたので、小さく頷いて「平気…ありがとう」と返す。こういう人の気遣いには感謝しかない。


昼休みは混雑した食堂を避けて、空いている教室でお弁当を食べる。近くの席には同じく静かなタイプの杉本さんや北川さんがいて、私も自然と合流する形で一緒にご飯を広げる。三人とも大きな声で盛り上がるわけじゃないけれど、ゆるい会話で和めるメンバーだ。  

「関根くん、今週土曜の模試は受けるの?」  

杉本さんが尋ねてくるので、「うん、受けるつもりだよ」と答える。彼女は姉の存在を気にして自分に自信がないようだが、成績は決して悪くない。それでも「どうせ平凡だし」と自分を下げてしまうところがあるようで、俺にも共通する部分が感じられる。  

「そっか、私も受けるけど…結果が怖いなぁ」と杉本さんはしょんぼりする。北川さんは文芸部だが、将来の進路はまだ模索中のようで、「私も一応受けるけど、国公立とか狙えるのかな」と不安げに笑う。三人ともそれぞれ悩んでいるけど、今はただの昼休みの雑談という感じだ。


午後になり、5時間目の全学年集会が体育館で行われる。俺はなるべく空気の通りがいい体育館の前方の隅あたりに座るように調整するが、それでも人が多いと息苦しさを感じる。担任の今井先生が「もしきつかったら無理しないで抜けていいからな」と事前に耳打ちしてくれたのが救いだ。  

集会が始まると、まず生徒指導の先生が服装チェックやマナーについて長々と話し、その後は進路担当の先生が模試や進路相談について説明をする。俺はパイプ椅子に腰かけながら、何とか呼吸を整えるものの、やっぱり胸が少し圧迫される感覚がある。酸素が薄く感じると少し焦るけど、今日はどうにか大丈夫そうだ。  

ずっと話が続いて退屈にもなるが、進路の情報は聞き逃せない。医療系希望……まだ誰にも本気で言ってないけど、先生たちも「理系なら早めに科目対策を始めなさい」と強く言っている。そりゃそうだろう。それだけに、体力面の不安がいつも頭をもたげてくる。


集会後、教室に戻ると友人の山田や朝倉が「うわー眠かった!」と騒ぎ、寺田が「足しびれたー」と伸びをしている。私は少しだけ胸をなでおろしながら席につき、息をゆっくり吐く。中村が「関根、大丈夫だったか?」と気遣ってくれるので、「うん、ちょっと苦しかったけど大丈夫」と微笑んでおく。


放課後、今日は特に委員会も部活もないし、家に直帰しようかと思っていると、上原さんが保健委員の仕事で職員室へ寄るらしく、「帰り道、一緒にどう?」と声をかけてくれる。お互い静かなタイプということもあって、一緒に帰るのも気が楽だ。  

職員室で少し待ち、上原さんが書類を出してくる間、俺は廊下の窓からグラウンドを眺める。野球部がノックをしていて、江口や中村たちが元気よくボールを追いかけている。いいなあ、ああやって思い切り体を動かせるのが羨ましい。もちろん、自分の体じゃ無理しても続かないのは分かっているけど、憧れだけは消えない。


上原さんと合流して昇降口を出るころには、日が傾きかけていた。二人で「明日の英語、小テストあるらしいよ」とか「土曜の模試、行き帰り大変だよね」などと当たり障りのない会話をしながら校門を抜け、しばらく歩いていく。  

「そういえば、関根くんは将来何になりたいとかあるの?」  

不意に上原さんが軽く尋ねるので、ドキリとする。言うべきか迷うが、彼女にはなんとなく打ち明けても大丈夫かもと思い、「実は医療系に進みたいと思ってる」と小さく答える。上原さんは目を見開いて「えっ、そうなんだ。すごい夢じゃん!」と驚く。  

「いや、でもさ、体がこんなんだから正直きついよね。夜勤とか無理かもしれないし…」  

「そんなことないよ。きちんとケアすれば可能性はあると思う。だって、体が弱い人の気持ちを一番分かってあげられるようになれるんじゃない?」  

その言葉にハッとさせられる。自分では「どうせ無理」と後ろ向きにしか考えていなかったのに、上原さんは「むしろ強みになるんじゃないか」と受け取ってくれた。そんな風に考えたことなかったから、胸がじんわり暖かくなる。


「ありがとう……そう言ってもらえると、ちょっと励みになるよ。」  

「うん、頑張ってね。私も色々家のことがあるけど、お互いできることを見つけて前に進もうよ」  

そう返されて、二人は互いに微笑み合い、分かれ道で「じゃあまた明日ね」と手を振る。夕方の風がどこか優しく感じられるのは、体のことを理解してくれる仲間がいるからだろうか。


家への帰り道、空がオレンジ色に染まるのを見上げながら、小さな夢を、もう少し大事にしてみようと思った。喘息や虚弱体質は確かに大きなハンデだけど、そこを克服してこそ意味があるんじゃないか。  

もちろん簡単じゃない。勉強だって人並みに頑張らないと合格できない。でも、誰かが肯定的に「いいんじゃない?」と言ってくれるだけで、こんなにも気持ちが変わるんだと思うと、俺にもまだ可能性があるのかもしれない。


「よし、今夜は少し計画立ててみよう。模試に向けた勉強も、体力の管理も……できる範囲でだけど、続けていこう」


胸ポケットに潜んでいる吸入薬をそっと触りながら、俺は薄暗くなりかけた住宅街を進む。次の発作がいつ来るか怖いけど、恐怖だけに負けるわけにはいかない。3年生のこの一年を、精一杯に生き抜くための一歩を踏み出せた気がする。  

家が見える角を曲がって、母の心配する顔が頭に浮かぶ。でも、ただ「大丈夫だよ」と返すだけじゃなく、「ちょっと希望が芽生えてきた」と言えるかもしれない。そんな自分になりたい。そっと夕日を見上げて一度息を吐くと、呼吸は思ったより深く吸えたような気がした。翌朝の発作も、今は恐れずにいられるかもしれない――そんなささやかな安心を抱えながら、俺は家のドアを開けるのだった。

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