4月14日(月曜日)
「はぁー、もうちょっと寝てたいんだけどなぁ……」
朝7時前、私、小林 彩夏は、鏡の前で髪を直しながら、小さく伸びをする。昨日は日曜だったけどバイトが長引いて、帰宅後も妹に夕食を用意したりして結局夜更かし気味。母は美容師として朝早くから働くから、家事はなるべく私が引き受けてあげたいけど、正直ちょっと疲れが抜けきらない。
「彩夏、あんた早くしないと遅れるわよ」
母の声が奥から飛んでくる。ふだんはサバサバしていて干渉が少ないけど、時間にルーズなのはうちの家系の悪いクセ。とはいえ、今日は月曜の朝。新学期が始まってもう2週目で、いい加減だらだらはできない。髪型を整えて制服の裾を軽くチェックすると、ぎりぎり許される範囲でのメイクとアクセを身につけて、慌ただしく家を出る。
「いってきまーす。朝ごはん、テーブルに置いといたからね」
「はいはい、助かるわ。気をつけて!」
家を出て坂道を下ると、爽やかな春の風が吹き抜ける。髪が少し揺れるたびに「校則違反ってほどじゃないよね?」と気になってしまうが、今のところ注意されるレベルではない。自分なりにおしゃれは好きだし、学校生活で唯一の楽しみみたいな部分でもある。けど、クラスにはきっちり地味めな格好の子も多いし、たまに浮いてるって言われそうで怖いのが本音。
学校に着いて靴を履き替えると、ちょうど同じクラスの井上や根岸あたりが集まっていて、「おはよー!」と声をかけてくれる。前に一緒に学食に行ったり、放課後カフェに行ったりする仲間だ。井上はチアリーディング部だけあって元気な印象、根岸は情報通でSNSに敏感。彼女たちもおしゃれに興味があって、私とは気が合う。気軽に会話できる相手がいるのは嬉しい。
「ねえねえ、今日の放課後、またカフェ寄らない? 今すごい映えスイーツがあるらしいよ」
根岸がにこにこしながら言うので、私も「めっちゃ行きたい!」と即答。井上も「私、バイト19時からだからそれまでならオッケー」と乗り気だ。こういう女子トークで盛り上がるときは、母や妹のことを少し忘れられる。自分の時間を楽しんでもいいよね、と前向きになれる。
教室に入り席につくと、斉藤や清水らがホームルームの準備をしている。今井先生はまだ来てないが、今日はクラス委員を正式に決めようとかなんとか言ってた気がする。私は正直、委員とか責任のある役は向いてないかなと思っている。バイトに妹の世話に……やることが山積みだから、これ以上は背負えないかも。ただでさえ、最近成績が落ち気味で提出物も溜まっているし、自分のことで手一杯なんだよな。
1時間目は政治経済。新聞を読んでおけとか、社会の動きを把握しろとか言われても、バイトと家事で夜更かしの毎日だとニュースを細かくチェックする時間がなくて少し焦る。授業中も欠伸を噛み殺しながらノートを取るが、頭に入っているか疑問だ。二度寝したい……と思いながらも、先生の目線がこっちを向くと背筋がピンとするからごまかしがきかない。
2時間目、3時間目と淡々と授業が続いていく。そのたびにプリントが増えていき、机の中が少し散らかっていくのを感じる。やらなきゃいけない宿題はもちろん、進路調査の用紙もある。でも私、行きたい進路ってまだボンヤリしてる。「美容師に興味あるけど、母みたいに朝から晩まで働く生活は正直大変そうだな」と思ってしまうし、大学か専門学校か、それとも就職かと聞かれてもはっきり答えられない。
昼休み。井上や根岸が「やっぱ学食でしょ」と誘ってくれるが、今日はすぐにバイト先から「夕方入れないか?」の連絡が来るかもしれないし、ちょっとスマホを確認したくて一旦席で落ち着きたい。二人に「先行ってて」と言うと、「わかったー、あとで合流してよ」と笑顔で出ていく。こういうところ、あっさりしているのは助かる。
スマホを開くが、バイト先からは特にメッセージなし。逆に「彩夏、今晩ごはんはどうするの?」と妹からLINEが来ていた。「母さん遅番らしいから、先に家で食べとく」と書いてあって、少し安心。じゃあ私もカフェに行っていいかもな……と思うと心が弾む反面、「夜遅くならないように気をつけて」と頭の片隅でブレーキがかかる。
午後の授業では、数学の先生が模試対策の話をしていて、ちょっとだけ胸が痛む。模試なんて全然勉強してないよ……。野球部やバレー部の子たちみたいに部活を頑張ってるわけじゃないし、私って何してるんだろう? そう考えると少し自己嫌悪を感じるけど、バイトや妹の世話をしてるから仕方ないじゃん! と自分を納得させる。その繰り返しだ。
放課後。約束通り、井上や根岸らとカフェへ行くことになった。教室を出るとき、山田や江口たちが「ゲーセン行こうぜ」と盛り上がっていたが、私は「ごめん、また今度」と笑顔で断る。井上が「ここのクレープが映えそう」とテンション高く話すのを聞きながら昇降口を出ると、日差しが傾きかけていた。
駅前のカフェはそんなに広くないけど、新作のスイーツが評判らしく店内は若い客で賑わっている。私たちも空いてるテーブルを見つけ、注文を済ませると、写真を撮ったりSNSに投稿したりと大忙し。根岸が「彩夏も撮ってあげる!」とスマホを構えるので、一応ポーズをとってみる。友達と過ごすこんな時間、嫌いじゃない。むしろ大好きだ。家のことに追われてる自分とは違う、単なる“普通のJK”になれそうな気がする。
「彩夏、バイト大変そうだけど、学校は大丈夫? 最近ちょっと眠そうじゃん?」
井上が心配そうに言うので、私は少し肩をすくめて笑ってみせる。
「まぁね。夜遅いことも多いし。でもなんとかやってるよ。成績はちょっとヤバいかもだけど……」
「3年になったし、そろそろ受験とか悩むよね。私もだけどさ」
「うん。いろいろ考えてはいるんだけどね……家のこととかあって、あんまり自由に決められない感じ」
ポロッと本音が出た気がする。こうやって少し弱音めいたことを言えるのは、井上や根岸があまり詮索しない気のいい子たちだからこそ。根岸が「もし何かあったら言ってよ、私らでよければ相談乗るから」と明るく笑ってくれ、私は「ありがとう」と素直に答える。心がほんの少し軽くなる。
クレープやドリンクを味わいつつ、SNS映えする写真も撮って、気づけば日が傾き始めていた。私が「ごめん、そろそろ帰らないと妹が待ってるかも」と言うと、二人は「あ、じゃあ私たちも出よっか」と合わせてくれる。会計を済ませて店を出たころには、外はオレンジ色に染まっていた。
「ね、また来ようよ。今度は他の子も誘ってみんなでパフェとか狙いたいし!」
「いいね、それ。今度はゆっくり食べたいなぁ」
そんな会話を交わしながら駅前で解散。私が手を振ると、井上や根岸も「また明日ね!」と返して歩き去っていく。ちょっと気になるのは「時間大丈夫かな?」という母への遠慮だけど、今日はLINEも来てないし、妹も自主的にやってくれてるんだろう。
「このくらいの息抜きは悪くないよね」
一人になってからこそっと呟き、帰り道を歩き始める。スイーツの甘さと友達との笑い声が頭に残っていて、心がポカポカする。家に帰れば現実が待ってる。母の状態や妹の宿題、バイトのシフトの確認……だけど、とりあえず今日はうまく回った気がする。こういう日があるから頑張れるんだって自分に言い聞かせたい。
「明日からまた授業もバイトも大変だけど、なんとかなるでしょ」
そう思いながら、家の明かりが見える道を曲がる。制服のポケットに手を突っ込みながら、ちょっと肩をすくめて笑う。まだ将来のことなんか全然見えないけれど、“楽しむ時間”を捨てたくはない。家族のために頑張りながらも、自分のオシャレや友達との日常だって大事にしたい。こんな揺れ動く気持ちも、青春らしいってことでいいじゃないか……なんて思いながら、自宅の扉を開く。
「ただいまー。……さて、晩ごはんの準備でもしよっか」
暖かい室内の空気とともに、妹の「おかえり~」という声が聞こえてくる。カフェの甘い記憶を胸の奥にしまい込み、再び家族の“お姉ちゃん”としての顔を取り戻す。いつもこの繰り返しだけど、今日は少しだけ肩の力を抜けた気がする。
それで十分。私の3年生ライフはこうやって進んでいくんだから。家族に囲まれて、友達にも支えられて、まだまだ迷いながらでも歩いていこう。そんな思いを抱きつつ、私は妹の待つリビングへと向かった。




