4月13日(日曜日)
「……やっぱり、ここ落ち着くなぁ」
日曜の午後、誰もいない図書室の静けさを感じながら、私、北川 詩織は、本のページをそっとめくる。今日は学校は休みだけど、図書委員の友人と調整して図書室を一時開放することになり、その鍵を借りてきたのだ。実際にはほとんど人が来なくて、事実上は私だけのプライベート空間になっている。
青嵐高校の図書室は日差しが心地よい窓があって、そこから見る中庭の景色がきれいだ。普段は平日放課後や昼休みに利用するけど、こうして休日に静まり返った図書室にいると、なぜか心が落ち着く。文芸部に所属する私にとって、本と向き合う時間は欠かせない。
「さて……どうしようかな」
鞄からノートを取り出して机に広げる。実はこの春休みから少しずつ進めている小説がある。まだプロットの段階だけど、3年生になったからこそ感じる日常の些細な揺らぎをテーマにしたい。受験や将来への不安を抱えながらも、友人や家族との関係に支えられている――そんなストーリーを紡げたらいいな、とぼんやり考えているのだけど、うまく文章にならなくて何度も書き直し中だ。
ノートのページをめくり、シャープペンを走らせる。頭の中には主人公のイメージや、脇役の友達とのやりとりが浮かぶのに、いざ言葉にすると固くなってしまう。
「主人公は私よりも、もう少し積極的な性格のほうが物語は動かしやすいかな。それとも静かなのがいい?」
思考が堂々巡りして、ペン先が止まったところで、図書室のドアが開く音がした。びっくりして振り向くと、背の高い男子が遠慮がちに立っている。…石川 拓海くん? 同じクラスの美術部所属で、彼も休日によく学校に来るタイプらしい。
「えっ…あ、石川くん? どうしたの、今日は部活?」
「いや、部活っていうか、ちょっと絵の資料を探そうと思って。図書室が開いてるって聞いて……。北川さんも来てたんだね」
そう言いながら、石川くんは空気を少しだけ震わせるような静かな足取りで近づいてくる。彼はあまりクラスで目立たないけど、絵に没頭している姿は印象的で、私も文化祭のポスターで協力してもらったことがある。
「うん。私も執筆の参考に何か読もうと思って。でも結局、自分のノート書いてたところ」
「そっか、文芸部だもんね。ごめん、邪魔してない?」
「ううん、大丈夫」
石川くんはホッと息をついたように見えた。私自身、誰かがいると少し緊張するけれど、それも悪くはないかもしれない。私たちのように“文化系”と呼ばれがちな生徒は、休日の部室や図書室でのんびり作業するのが好きなんだろうと勝手に共感している。
彼は棚から何冊かの美術関連の本を選び、窓際の机に並べ始めた。内容はイラストやデザイン、色彩論など多岐にわたる。ページを繰るたびに集中した眼差しを見せる姿は、私と同じ“何かを創りたい人”のオーラを感じさせる。
「その、本……何か描くの?」
思わず小さく声をかけると、石川くんはノートを開きながらこちらを向き、「ああ、うん。ポスターイラストとか、あと個人で描いてみたい作品の資料。いろんな構図とか色づかいを勉強したくて」と答える。
「へぇ、ポスターって、また何か行事?」
「いや、まだ決まってないんだけど、文化祭とかでまた依頼がくるかもしれないし。早めに研究しておくと後で困らないかなって。……正直、親には“普通に大学行ったら?”とか言われてるけど、やっぱり絵の道に進みたい気持ちが捨てられない」
「そっか……私も似てるかも。小説を書くの好きだけど、両親は“文学部? ちゃんと食べていけるの?”みたいに心配してるし」
「そっか……北川さんも大変だよね。」
静かな図書室で、ぽつりぽつりと会話が進む。家族の現実とか将来の不安とか、そういった重たい話題は周りが賑やかなときにはなかなか口にしづらい。でも、創作という共通点を持っている私たちは、意外にもスムーズに話し合えそうな雰囲気を感じる。
しばらくして私が「読んでみたい小説とかある?」と話を振ると、石川くんは意外にも「SFとか興味あるけど、まだ詳しくない」と言う。私が何冊かオススメのタイトルを思い出し、図書室の棚から探し出すと「うわ、こんなにあるんだ」と驚いてくれて、ほんの少し嬉しくなる。
一緒にタイトルやあらすじを確認しながら、「絵の資料を探しに来たはずが、文学の世界に足突っ込むかも」と笑う石川くん。私も「でも絵と物語の世界観はつながってると思うし、何かインスピレーション湧くかもしれないね」と少し得意気に語る。
気づけば1時間以上、彼と本の話をして過ごしていた。普段はお互い地味なポジションだし、クラスでもあまり話すきっかけがなかったけれど、こうして創作の話をすると意外と盛り上がるんだ……と自分でも驚きだ。
「そろそろお昼近いし、どうしようか。お腹空かない?」
「確かに。あれ、北川さん、もう少しここにいる予定?」
「うん、夕方まで鍵借りてるけど……途中で戻してもいい。石川くんは?」
「午後から美術室で作業するかもしれない。でも、よかったら一緒に軽くごはん食べに行かない? おごるとかはできないけど…」
石川くんが何気なくそう提案してきたので、私は「え、私でいいの?」と内心ドキドキしながらも頷く。男の子と二人きりでご飯なんてあまり経験がないけど、クラスメイトとしての仲間意識みたいなものが背中を押してくれる。
鍵をかけて図書室を出ると、校舎は日曜でほとんど人気がない。昇降口から外に出ると、青空がまぶしく、心地よい風が頬を撫でていった。石川くんは「じゃあ駅前のコンビニで適当に買って、ベンチで食べる?」と提案し、私は「うん、いいね」と返事。バイクや車の音がわずかに聞こえる静かな日曜の朝。少しだけ遠くまで歩くのも、なんだか新鮮だ。
コンビニでそれぞれサンドイッチやおにぎりを購入し、近くの公園へ移動する。木陰のベンチに並んで座ると、さっきまでの図書室とは打って変わって、鳥のさえずりや子供の遊ぶ声が耳に入ってくる。
「まるで休日のデートみたいだね」
不意に石川くんが笑いながら言うので、私は一瞬ドキッとして、「ち、違うでしょ」と変に慌てる。すると彼は「ごめん、冗談冗談。でもこういうの久しぶりだなあ」と肩をすくめる。なんだかお互いコミュ下手っぽいところが似てるのかもしれない。
「そういえば、文芸部の活動って土日はどんな感じなの? 小説書いてるって聞いたけど」
「うちの部活は結構自由で、各自が作品を書くのがメインかな。集まるのは週1、2回くらい。私は家や図書室で書くことが多くて。でももう3年だから、最後の文化祭の部誌とか、力入れたいなって思ってる」
「そっか、じゃあ俺が表紙とか挿絵を描けたら面白いかもね」
「わ……それ、すごく嬉しいかも。ぜひお願いしたいな」
思いがけない展開に、胸が弾む。挿絵付きの文芸部誌なんてすごく素敵だろうし、石川くんの絵の実力は評判だし。もし一緒に作品を作れたら、私ももっと創作意欲が湧くかもしれない。
「うん、じゃあまた今度、具体的に話そうか。よかったらストーリーの構想とか教えてよ。俺もやってみたいし」
「ありがとう。じゃあ、今度部室とかで打ち合わせして、先生にも相談してみようね」
午後の予定があるからと彼は13時前に「じゃ、俺は先行くね」と立ち上がる。私も図書室に戻ってもう少しノートを進めようかなと思い、ベンチを後にする。ほんの1時間ほどだったけど、一緒にご飯を食べながら創作の話ができたのはすごく刺激になった。
校舎に戻りながら、今日の出来事を思い返すと、なんだか心が軽やかだ。いつも一人で空想に浸っている私は、「人と一緒に何かを作るのも悪くないかも」と思えてきた。3年生になってから数日しか経っていないのに、こんな風に新しいつながりが見えてくるなんて想像してなかった。
図書室に戻ると鍵はちゃんと掛けられていて、私は再び静かな空間へ身を沈める。けれど先ほどまでとは少し違う。頭の中には「誰かと共作するかもしれない」というワクワクとした光が宿っている。ノートを開き、シャープペンを走らせる手が軽い。
「……よし、これならもう少し前に進めそう」
私は一度だけ深呼吸し、思いついたアイデアをざっと書き留めていく。どこかに挿絵を入れるなら、こんなシーンがいいかな……主人公が誰かと手を取り合う瞬間を描いてもらうとか、クライマックスに象徴的なモチーフを用意するとか。いろんなイメージが次々と浮かんできて、止まらない。
時々窓の外を見やると、午後の日差しが図書室の本棚を斜めに照らしている。静かで穏やかなこの場所は、私が大切にしてきた“ひとり時間”の象徴。でも、これからは「ふたりで作る世界」も楽しんでみたいと思う。石川くんの絵と私の物語が合わさったら、どんな作品になるだろう。そう考えると不思議な高揚感があって、自然と笑みがこぼれそうになる。
気づけばもう夕方近くで、外の空気が少しオレンジ色に染まってきた。そろそろ鍵を返しに行かなきゃと思い、ノートを閉じる。今日はひとりのはずの休日が、思わぬ方向に充実したものになった。
教室にも寄らず直接職員室に鍵を返しに行き、昇降口を出ると、冷え始めた風が制服の袖を揺らす。明日からまた平日が始まる。授業も進路のことも待ち構えているけど、ちょっとだけ勇気が湧いてきた。創作だけじゃなく、人との交流も悪くない。
「やっぱり書くのが好き。絵も好き。文芸部誌、頑張らなくちゃ」
そんな前向きな独り言を呟きながら、私は門を出て家路へ向かう。空にはやわらかい夕日が浮かんで、まるで新しい可能性を照らすような気がした。散りかけの桜の木々はすっかり葉桜になりかけているけど、その緑にも春の力強い息吹が感じられる。
明日は月曜日。クラスのみんなとはどんな話をするだろう。石川くんとのコラボのことを、いつかクラスにも紹介できるのかな。考え始めると止まらない。だけど、今はただ、この小さな充実感を胸に大切に抱きしめ、また新しい一週間を迎えようと思う。創作と友情と、少しだけの勇気。それだけあれば、きっと私は新しい物語を描き出せるだろう。そんな希望を胸に、私の休日はゆっくりと幕を閉じていくのだった。




