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『青嵐クロニクル~35人の青春群像~』  作者: あるき
7月:「暑さとともに募る想い」
113/122

7月22日(火曜日)

「…はぁ。今日もか」

俺、青山大輝は、図書館の学習室で大きく息をついた。窓の外からは、真夏の日差しが容赦なく降り注ぎ、アスファルトを焼く熱気が、クーラーの効いた室内にもじわりと伝わってくるようだ。夏休みに入り、本格的に夏期補習が始まった。だが、彼の心は、相変わらず一点も満たされない。

目の前には、共通テスト対策の分厚い参考書と、びっしりと書き込まれたノートが広がっている。朝から補習でへとへとになるまで頭を使い、放課後もそのまま図書館の学習室に直行。休む間もなく、ひたすらにペンを走らせている。周りを見渡せば、同じように黙々と勉強に打ち込む生徒たちの姿。青嵐高校の生徒だけでなく、近隣の高校生もちらほら見かける。その張り詰めた空気が、青山の焦燥感をさらに煽る。

昨日、期末考査の結果が返却された。数学は100点、英語も98点と、学年トップの成績を維持している。しかし、その結果が彼にもたらしたのは、達成感よりも、むしろ重たいプレッシャーだった。

(完璧じゃなきゃ意味がない…)

心の奥で、そんな声が響く。満点でないこと。わずかなミス。そのすべてが、彼を苦しめる。父の期待、兄の背中、そして自分自身に課した「完璧であれ」という呪縛。それらが、鉛のように彼をがんじがらめにしている。

「青山くん、お疲れ様」

不意に声をかけられ、青山は顔を上げた。そこに立っていたのは、同じクラスの岡田真由だった。彼女もまた、学年トップクラスの成績を維持する努力家で、いつも冷静沈着に見える。

「岡田さんも、補習帰り?」

「うん。そのままここに。青山くんも、疲れてるでしょ?」

岡田は、青山の隣の席に座り、バッグから参考書とノートを取り出した。彼女の言葉は、まるで青山の心の中を見透かしているかのようだった。

「…まあね。でも、やるしかないし」

青山は、苦笑いをしながら答えた。

「そうだよね。私も、もっと頑張らなきゃって…」

岡田の言葉は、以前よりも少しだけ、本音の色を帯びているように感じられた。彼女もまた、自分と同じように、見えないプレッシャーと戦っているのかもしれない。

しばらく、二人は黙々と問題集を解き続けた。鉛筆が紙をこする音だけが、静かに響く。

そんな中、ふと、青山が口を開いた。

「…岡田さんってさ、将来、何になりたいとか、ある?」

その問いかけは、あまりにも唐突だった。岡田は、一瞬ペンを止め、青山の顔を見た。

「え…?う、うん。小学校の先生に…」

彼女の声は、わずかに震えていた。

「そっか…」

青山は、それ以上何も言わなかった。ただ、鉛筆を握り直す手が、じんわりと汗ばんでいるのを感じた。

(教師…か。俺も、教育学部目指してるけど…)

その目標が、本当に自分の望む道なのか、彼には未だに確信が持てない。父の期待に応えたい。それだけが、彼の原動力だった。

「青山くんは…?」

岡田が、控えめに問い返してきた。

「俺は…教育学部を考えてるけど…正直、まだ迷ってる」

その言葉は、青山にとって、初めて誰かに打ち明けた本音だった。岡田は、何も言わずに、ただ青山の言葉を静かに聞いていた。その沈黙が、今の彼には何よりも心地よかった。

その時、学習室の入り口がざわついた。見ると、同じクラスの上原由佳が、保健室の先生と話しているのが見えた。上原は、最近顔色が優れないことが多く、家庭の事情を抱えているらしい。彼女もまた、補習には参加できていないようだ。

(上原さんも、大変だよな…)

青山は、ふとそんなことを思った。それぞれの生徒が、それぞれの「見えない葛藤」を抱えながら、この夏を乗り越えようとしている。

補習の時間が終わり、学習室を出ると、すでに外は夕暮れに染まっていた。青山と岡田は、無言で並んで歩く。

「…ありがとう。なんか、話せてよかった」

岡田が、小さくつぶやいた。

「俺も。岡田さんも、無理しすぎないでね」

青山は、そう言って、岡田に小さく微笑んだ。

二人は駅の改札で別れ、それぞれ家路につく。青山は、スマホを取り出し、父からのLINEメッセージをもう一度開いた。

『誕生日おめでとう。18歳か。これからが本当の勝負だな。期待している』

簡潔なメッセージ。だが、その言葉の重みが、ずしりと胸にのしかかる。

(期待…か)

その期待が、彼を縛り付けている鎖のように感じられた。

家に帰り、自室のベッドに倒れ込んだ。バッグから、今日の補習で使ったテキストと、進路希望調査の紙を取り出す。まだ「未定」のままの進路欄。

「俺は、何のために勉強してるんだろう…」

心の奥で、問いかけが響く。答えは、まだ見えない。

その夜、青山は、机に向かい、白紙のノートを広げた。ペンを握る手は、どこか力が入らない。

『完璧じゃなきゃ、意味がないのか?

父の期待、兄の存在。

誰かの理想を追いかけるのは、もう疲れた。

俺は、本当に東大に行きたいのか?

教師になりたいと、本当に思っているのか?

この努力は、誰のため?

何のために、俺はここにいるんだ?』

言葉が、とめどなく溢れてくる。誰にも見せない、自分だけの正直な気持ち。

書き終えた後、青山はノートをそっと閉じた。答えは、まだ見えない。だけど、自分の感情を言葉にできたことで、少しだけ心が軽くなった気がした。

窓の外は、静かな夜。遠くで、電車の音が聞こえる。明日から、また新しい一日が始まる。

(完璧じゃなくても、いい。

誰かのためじゃなくて、自分のために。

俺は、俺の道を探すんだ)

青山は、そう心の中で繰り返した。夏休みはまだ始まったばかりだ。彼の「自律」への道は、まだ長く、険しいものになるだろう。だが、今日、彼は確かに、その最初の一歩を踏み出した。


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