星流れる
きらびやかに飾り立てた人々。贅を極めた豪華な装飾の数々。この国で最も華やかであろう雰囲気。イオはげんなりとして、充満した香水の匂いに酔いながらもなんとか立っていた。くるくると踊る人々を見ていると気分が悪くなって、床ばかり見ていた。ぴかぴかに磨き上げられた大理石の床に、イオの顔がはっきりと映る。眉間の間に寄せられた皺まで見えた。すると、隣に立っていた隊長がイオに声を掛けた。
「イオ、大丈夫か。気分でも悪いんじゃないか」
「いえ」
短く返事をして顔をあげる。今日はリティナ王女の誕生祝いの宴で、イオたちはリティナの護衛という大役を与えられた。他の武官が不服そうにしながらも文句を言わなかったのは、数日前の騒動以来、すっかり尻込みしているからである。
隊長は当初、この宴を催すことに反対していた。なぜなら、王が出席しないのを皆が不思議がるだろうし、リティナに言い寄る連中が後を絶えないだろうと思ったからだ。それに加えて、父を亡くした娘の心痛を考慮してのことらしかった。しかし、リティナは気丈に言った。
「宴を催さない方が不審がられます。父は病で臥せっていることにします。私なら大丈夫」
そうして、リティナに押し切られる形で、今夜の宴が実現しているのである。
実際、リティナは今、銀のドレスに身を包み、少し高いところから階下を静かな瞳で見下ろしていた。その姿は、余裕さえ感じさせるものである。
「そうは言っても顔色が悪いぞ。ミリアもだ。少し風に当たってきなさい」
イオがちらりとミリアを見ると、なるほど、具合が悪そうだ。ミリアは素性が知れないため、特別隊の小屋で生活している。よくわからない人物のため、リティナと同部屋にするのはいかがなものかと議論したが、どうやらリティナは彼女の事情を知っているらしく、同部屋を使うことを快く許した。今夜は小屋にひとり残すわけにもいかず、男装をさせて特別隊の一員として警備にあたっているのである。ちなみに、リティナが特別隊の小屋で生活することに関しては、侍女たちから大反発があったが、リティナが説き伏せたようである。
ミリアが耐えられないようにホールの入口へ向かったため、イオも追わざるをえない。
外に出ると、夜の冷気が心地良かった。イオが一つ息をつくと、それを溜め息と思ったのか、ミリアが謝った。
「ごめんなさい。人混みは慣れなくて…」
「いや、俺もうんざりしてたから」
そう言うと、ミリアは安堵したようだった。彼女は長い髪を束ね、イオの昔の制服を身につけている。男たちの中でイオが一番小柄なのでイオの古着があてがわれたが、それでもミリアには大きそうだった。
「アロットは人気者だね。女の子がたくさん」
「ああ。奴は大貴族の息子だから。三男とはいえ、肩書きとしては申し分ない」
理由はそれだけではない。アロット自身に人をひきつける魅力があるのだ。だから、三男とはいえ、ファイデリー家の後継者として有力視されている。それだけに、特別隊といえどもアロットを冷遇する貴族はごくわずかだった。
まだ寒さは続いているが、確実に春へと近付いている。風が優しくなった。そのせいか、空に浮かぶ月や星もいつもより暖かく光って見えた。
「リティナも大変だね。こんなにたくさんの人にお祝いされて。私だったら逃げたくなると思う」
ミリアはなぜか、リティナに敬称をつけない。最初は皆驚いたが、当の本人たちがさも当然のような顔をしているので、誰も何も言わなかったし言えなかった。今でも違和感がある。
「あの日、ミリアはどうしてあんな所にいたんだ?」
あの事件の日、城の奥まった部屋に一人でいたミリア。イオは思い切って聞いてみた。ずっと問いたかったが、憚られるものがあって躊躇っていたのだ。
「よくわからない。気付いたらあの部屋にいて、イオが来たの」
ミリアは事もなげに答えたが、イオは余計に意味がわからなくなった。
「さらわれてきたのか」
「ううん。よくわからない」
どういうことだろう。イオはここ数日、言葉を残した男を忘れられず、そのことばかり考えている。そして、ミリアと関係があるかもしれないと思った。というより、他に考えられなかったのだ。
「花の乙女、と呼ばれたことは?」
「ないと思う」
「そうか」
これ以上問うても無駄だと思い、イオは口を閉ざした。背後から聞こえてくる音楽の調子が変わった。イオは気だるさを感じて、腕を組んで大扉に身をもたせ掛けた。
「イオはどうしてあんな所に来たの?」
「俺が城内の警備の担当だったからだ」
イオが答えると、ミリアは首を振った。
「そうじゃなくて、どうして私のいるところがわかったの?私は自分でさえどこにいるのかわからなかったのに」
「なんとなく…俺はずっと自然の中で育ってきたから、そういう勘は鋭いんだ」
どう説明していいかからず、イオは曖昧な口調で言った。あながち間違いではない。が、「草木の気配がした」とは言いにくかった。そこでイオは、ふと思いついた疑問を口にした。
「もしかして、緑の多い所で育ったのか」
「うん」
短い返事ではあったが、その笑顔から嬉しさが伝わってきた。きっと幸せな日々を送っていたのだ。それなのに、なぜ城にいたのだろう。疑問は消えなかったが、本人がわからないと言っている以上、どうしようもなかった。
「こんばんは」
不意に聞こえた声が自分たちに向けられたものとわかり、イオはそちらに目を向けた。するとそこには、若い二人の青年が口元に笑みを浮かべて立っていた。一人は見知らぬ青年だったが、もう一人は知っている。アロットの幼馴染である。
「そちらは新入りかな」
その青年は探るような目をしていた。笑みを浮かべているものの、そこに好意を見出すことはできない。
「ええ、まあ」
警戒しながら答えると、青年は今度は本当に愉快そうに笑った。
「そう。女性さえ隊に加えるとは、王がいなくなって仕事が増え、人員不足なのかな」
それだけ言うと、夜空のような紺色のマントを翻し、ブーツの音を高らかに鳴らしながら二人は行ってしまった。彼と一緒にいた青年はよく意味がわかっていないようだったが、嫌味な笑みをイオに向けて去った。イオは苛々しながらも、頭の中で彼の言葉を反芻していた。
「王がいない…」
ミリアが小さく呟いた。彼女もイオと同じ違和感を覚えたらしい。ミリアもあの事件に関わった者として、ある程度のことは知っているのだ。あの青年が言ったその言葉に、一体どれほどの意味が含まれているのか。そしてもし、王の消滅を指すものであったとしたら、なぜ知っているのか。拭いきれない不安が胸に立ち込めてくるのを感じた。
(あれは…シャルクじゃないか)
踊り終えた娘の手の甲に口づけをしながら、アロットは幼馴染の姿を見つけた。長身であるシャルクは目立つ。それでなくても、シャルクはいつもその長い髪を束ねないので分かりやすかった。
「あの、どうかなさいましたか」
手を握られたままの娘が少し動揺したように言った。その頬はかすかに紅く染まっている。アロットは視線を娘に戻した。
「いえ、この小さな手を離しがたくて」
いつものように微笑みかけると、娘は明らかに動揺した。まだあまりこのような場に出たことがないのだろう。ありきたりのやり取りを真に受けている節がある。
「しかし私はあくまで仕事中。つまらない男と思わないでいただきたい。また縁があれば、小さな花の君」
面倒なことになる前に、とアロットは踵を返した。特別隊といえどもアロットは政治の一端を担う大貴族の子息。今は若くやんちゃなだけで、いずれ家に戻ると思われているらしい。様々な家の娘がアロットのもとにやって来る。面倒ではあったが、アロットはいちいち相手にしていた。情報を集めるにはそれらの娘から聞き出すのが一番早いからだ。
アロットは歩きながらシャルクの姿を探した。シャルクのことは嫌いではない。高飛車な口をきくが、それはあまり気にしないことにしている。家の格式の高さがアロットより低いため、強がっていることが分かっているからだ。もっとも、ファイデリー家より高い格式をもつ家などないのだが。アロットはシャルクを、互いに認め合った者とみなしていた。そのため、近頃顔を見ていなかったので声をかけようと思ったのだ。
「シャルク」
アロットが名前を呼ぶと、幼馴染は足を止めて振り向いた。強気な目がアロットを射た。彼はいつもそのような目をしていた。
「久しいね。今しがた、君の友人に会ってきたところだ」
「イオのことか。どうせまた、嫌味を言ったのだろう。あまり意地悪をしないでやってくれ」
葡萄酒の入ったグラスを渡されながら言うと、シャルクは自分のグラスを空にしてから口を開いた。
「何度も聞くようだが、どうしてあの者たちと共にいる?言いたくないが、君は誰にも引けをとらない大貴族だ。その血統も能力も。君がどう思っているのか知らないが、イオとかいう奴はあまり賢くない」
アロットはグラスを回しながら苦笑した。
「ひどい言われようだな、イオは」
「それでは答えになっていないな。君はいつもはぐらかす」
期待してはいなかったが、と付け加えてシャルクは壁にもたれた。そんな幼馴染を横目で見て、アロットは問うた。
「で、誰がどこまで知っているんだ」
アロットの問いに、シャルクは呆れたように答えた。
「僕に聞いてどうするんだい。本当のことを言うと思う?君の家系は祭祀だろう。神にでも聞けばいい」
「生憎私は神より人間の方が好きでね。君の口から聞きたい」
「……それは大貴族ファイデリー家の人間としての命令か」
「まさか」
にこやかなアロットの端正な顔をしばらく見て、シャルクは溜め息をついた。命令だと言ってくれた方が話しやすいのに、この男は絶対にそれをしない。しかもシャルクにだけ。学生時代からそうだった。
「こういう情報は、上流であるほど伝わりにくいものなのだろうね。王が行方不明であることは、もうほとんどの貴族の当主や子息が知っている。何人かは神や精霊の関わりを疑っているようだ」
「ふーん……」
考え深げに顎をさわるアロットにシャルクは皮肉めいた笑みを向けた。
「そして君は僕に何も教えてくれはしないのだね」
「安心したまえ。君だけを仲間外れにしてはいないし、そもそも貴族の世界で仲間外れになっているのは私だろう。ほら、シャルク、あそこの娘が君を見ているよ。評判の悪い私と話しこんでいては君に申し訳が立たない。嫌われ者は消えるとしよう」
ぺらぺらとそれだけ言葉を紡ぐと、アロットは背を向けた。金の竜。恐竜を御する特別隊に入ってから、貴族たちの間でアロットはそう呼ばれていた。質素で地味な特別隊の軍服さえも、彼が着ると違って見える。格が違うのだ。ファイデリー家の兄弟の中でも彼の輝きは群を抜いている。何人たりとも彼を追うことも、ましてや蹴落とすことなどできはしない。
(それでも、僕だけは君に跪きはしない。追ってみせる)
もう見えないアロットの姿が見えるかのように、シャルクは人込みを見つめ続けた。
「さて、そろそろ戻るか」
戻りたくはなかったが、いつまでもリティナから離れているのもどうかと思い、イオは言った。ミリアは素直に頷く。
(やはり男には見えないか)
先ほどのシャルクの言葉を思い出しながらミリアを見た。イオでさえ男とは言い難いと思うのだ。
「戻らないの?」
動こうとしないイオにミリアが不思議そうな顔を向けた。イオは我に返り、慌てて歩を進めようとした。腕に鋭い痛みが走ったのはその時だった。
「……っ?」
腕を押さえながら周りを見回しても、優雅に宴を楽しむ人々しか見えない。それでも腕に刺さった針を抜きながら、イオは鋭い目で周囲を探る。
「イオ…それは一体…」
イオの異変に気付いたミリアは、イオの手に握られた針と苦痛に歪むイオの表情を見て息を呑んだ。そんなミリアにイオは厳しい口調で言った。
「騒ぐな。気を付けろ」
相手が何者か分からない以上、逃げろということもできない。しかもこの針は恐らく飛び道具。どこから飛んでくるか分からない凶器からミリアを守るのは難しい。イオはミリアを背に庇いながら壁際に寄った。こうすることが唯一ミリアを守る方法だった。
とはいえ、相手を野放しにするわけにもいかない。この会場には名だたる貴族も、リティナもいる。標的はいくらでも考えられ、可能性として最も高いのはリティナだ。どうしたものか思案していると、今度は腿に針が突き立った。今更だが、この針には毒が塗ってあるらしい。腕が痺れてきている。
(どうしたら…せめて隊長に伝えなければ…)
しかし気持ちとは裏腹に、腿にも痺れが襲ってきて、立っていることも難しくなってきた。
「イオ、私が隊長に伝えに行くから…!」
背に庇っているミリアが必死の声を出す。状況を理解することができたのだろう。きっとそうしてもらうのが最善なのだと思ったが、イオは動けなかった。相手の狙いがミリアであるような気がしてならなかった。そうでなければ、これだけ上手く身を隠せるのだ、わざわざイオに気付かれるような行動をせずとも標的を狙える。
「ミリア、走るぞ」
ということは、自分たちが逃げれば相手も追ってくるのではないだろうか。痺れと痛みで思うように動かない身体に鞭打ち、イオはミリアの腕を引っ張って外に出た。案の定、後方から芝生の上を走る音がする。どうやら二人組らしい。
「俺の前を走るんだ」
イオに引かれるままになっているミリアを前に押し出した。ミリアは目を丸くして振り返る。
「振り向くな!」
半ば怒鳴るように言うと、ミリアは躊躇いながらも前方に顔を向け直した。もしミリアを後方で走らせていたらそれこそいい標的だ。それに、今はイオよりミリアの方が早く走れるというのが事実だ。
ミリアの背中が遠くなる。二人組の足音が近付いてくる。全身に回り始めた毒がイオの身体を蝕む。
「くそ…っ」
二人組がイオを追い抜いたらどうするのか。誰がどうやってミリアを守るのだろう。ここは例え数刻でも自分が足止めするしかない。
イオは立ち止り、抜刀した。汗が全身から噴き出していた。この時初めて、自分たちを追っていた人物を見た。男と女。男は金持ちそうな商人の姿を、女はコックの姿をしていた。男は驚いた顔をしてイオを見た。あまり人の命を狙う人間にはふさわしくないような、人懐こい顔立ちだ。女は呆れ顔で腕を組んでいる。そして、男に目配せして走り去った。間違いない、ミリアを追ったのだ。
「待て!」
女を追おうとすると、男が歩を詰めてきた。舌打ちしながらイオが剣を構えると、男は複雑そうな表情で身構える。まだ若い男だ。ナギノやカナタとそう変わらない年齢だろう。
イオが剣を突き出すと男はひらりとそれをかわした。そのまま剣を薙ぐと、それも男は難なくかわした。何度同じことを繰り返しただろう。イオは焦りと怒りを感じていた。この男は明らかに時間稼ぎをしている。決して攻撃してこない。イオを足止めしている間に、あの女がミリアを狙っているのだ。
(どうしたらいいんだ、俺は)
疲労と毒で混濁してきた意識の中で、イオは思った。しかし何の考えも浮かばない。
その時だった。背後から爆音のようなものが聞こえた。そしてその音はどんどん近付いてくる。
「そいつを止めろ!」
あのミリアを追った女のものと思われる声がした。イオと対峙している男にむかって怒鳴っているらしい。しかし、イオは振り向くことができなかった。男に隙を与えることになるし、もうそれほどの体力さえ残っていなかった。前方からは男が、後方からは爆音が接近してくる。もう何も考えることのできないイオには、その一瞬がひどく長く感じられた。
気付いた時には何か乗り物に横たわっていた。激しい振動と大きな音で気分が悪い。事態を理解できないイオは、身体を持ち上げようとした。しかし、身体が言うことを聞いてくれない。ただ、見知らぬ男が運転しているのは分かった。
「誰だ、何をしている」
イオは頭だけを持ち上げて尋ね、剣を手探りしたが、何も掴めなかった。
「気付きましたか」
男はイオの方をちらりとも見ずに言った。風になびく髪は黒に近い灰色で、黒いローブを着ている。イオは、そのローブを記憶の中に見つけた。
「お前はあの夜の……」
「ご名答。覚えていてくれたんですね、お久しぶりです」
相変わらず男は前方から目を離さなかったが、その声は嬉しそうだった。相当な速度で走っているこの乗り物は、どうやら一筋縄の運転ではいかないらしい。
「お前にはずっと聞きたいことがあった。でもその前に、どうして俺がお前と一緒にいるんだ。お前はあいつらの仲間か」
「……」
「聞いているのか」
「……」
何も答えない男に苛立ったイオは、拳で乗り物を殴った。本当は男を殴りたかったが、身体が持ち上がらないから仕方ない。
「乱暴だな。壊れたらどうするんですか。後で答えるから待ってください。そもそも、逃げなきゃならないのは君たちなんだから邪魔しないで」
拗ねたような口調で男が言った後、後方から穏やかな声が聞こえた。
「この人は大丈夫」
イオはそちらに顔を向けたが、背もたれに阻まれて声の主が見えなかった。しかし、そこにいるのがミリアだということは分かった。ミリアはもう一度繰り返した。
「この人は大丈夫」
「そうか……」
不思議なことに、イオは簡単に納得してしまった。ミリアが何の根拠をもって言っているのかもわからないのに。考えてみれば、ミリアだって何者かわからないのに。ミリアの声にどこか労わりを感じて、イオは持ち上げていた頭を下した。眠ろうと思った。まず体力を取り戻さねば何もできない。
目に入ったのは満点の星空。冬の清廉な夜気の中、その輝きは一層美しかった。そして、イオは静かに目を閉じたのだった。
随分と間が空きましたが、続きです。
次話からはもう少し間隔を詰めます!