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第二章

 名探偵の御手洗潔は、顧問弁護士の三崎俊介と共に、久遠寺家の別荘内を調査し始めた。メインホールに集まった一族は、未だ動揺を隠せない様子だ。

 「とにかく、もう一度現場を見せてもらえますか」と御手洗が言うと、執事の川原が無言で頷き、部屋へと案内した。

 「皆さんは、ここでお待ちください」

 川原の言葉に、一族はざわつきながらも、その場に留まる。長年仕えた執事の言葉には、逆らえない威厳があった。

 ドアが開けられ、哲也の遺体が横たわる寝室へと続く。絨毯に足を踏み入れた瞬間、不吉な空気が二人を包む。

 御手洗は遺体に近づき、丹念に観察する。引き攣った表情、床に投げ出された腕。抵抗の跡は見られない。

 「ガラス瓶も、ワイングラスも見当たりませんね」

 御手洗は部屋を見渡し、つぶやく。毒殺の凶器となるものが何も見つからないのだ。

 「三崎さん、これをご覧ください」

 御手洗が哲也の口元を指差すと、そこには薄い白い泡が浮かんでいた。

 「これは、毒物の影響ですね。哲也さんは毒殺されたようです」

 「ええ、そのようですね。事件は一層複雑になってきました」

 頷く三崎の表情は曇り、眉間に深い皺が刻まれる。

 「部屋に毒物の痕跡があるか、調べてみましょう」

 二人は手袋をはめ、慎重に部屋を探索し始めた。

 まず、哲也の枕元に置かれたガラスの水差しを手に取る。中身を嗅いでみるが、何の臭いもしない。

 「水差しの水は、問題なさそうですね」

 続いて、寝室に備え付けの洗面台を調べる。歯磨き粉や髭剃り用品が並ぶ中、小さな薬瓶が目に留まった。

 「これは……睡眠導入剤ですか」

 だが、瓶の中身はほとんど減っていない。

 「哲也さんが常用している薬のようですね。これで毒殺は難しいでしょう」

 二人は念入りに部屋を調べたが、毒物の痕跡は何一つ見つからなかった。

 「犯人は、証拠を隠滅した可能性が高いですね」

 「だとすれば、犯行は周到に計画されたものだ……」

 御手洗は眉をひそめ、考え込む。誰もが完全犯罪を狙っている。

 ふと、壁に飾られた一枚の写真が目に留まった。

 「三崎さん、あの写真はいつ頃のものですか?」

 「ああ、あれは哲也さんが若い頃、確か30代の写真です」

 写真の中の哲也は、鋭い眼光を放ち、どこか挑戦的な表情を浮かべている。

 「当主としての威厳が感じられますね。こんな方が殺されるとは……」

 御手洗は溜息をつき、写真に視線を落とす。

 その瞬間、ふと違和感を覚えた。

 「あれ?写真の右端に誰か写っていませんか?」

 よく見ると、哲也の隣に立つ初老の男の姿が写っている。

 「ええと、たしかこれは……」

 三崎が眼鏡を外し、写真を覗き込む。

 「顧問弁護士を務める私の先代の方だと思います。水城克明さんという方です」

 「水城克明……聞いたことのない名前ですね」

 「ええ。水城さんは20年ほど前に亡くなられたと聞いています。体調を崩されて……」

 「そうですか。ところで水城さんは、哲也さんと仲が良かったんですか?」

 「いえ、むしろ反りが合わなかったと聞いています。水城さんは几帳面な性格で、哲也さんのやり方にいつも文句を言っていたそうです」

 「なるほど。ありがとうございます。三崎さん、水城さんについてもう少し詳しく調べてもらえますか。何か事件に関係があるかもしれません」

 「はい、分かりました。至急、調査しておきます」

 写真の謎を一つ握りしめ、御手洗は現場の捜査を続行した。


 時刻は正午を回り、雨脚は一向に弱まる気配がない。

 別荘の門扉が開き、一台の車が入ってきた。

 「警察が来たようですね。少し話を聞いてみましょう」

 御手洗と三崎が玄関に向かうと、雨合羽を着た刑事が立っていた。

 「私は捜査一課の糸川刑事です。こちらが法医学者の青山先生です」

 「よろしくお願いします。私は探偵の御手洗、こちらは久遠寺家の顧問弁護士の三崎です」

 名刺を交換し、一同は居間に通された。

 「ところで刑事さん、被害者の方は病死ではなく、他殺だと?」

 「ええ、そのようです。部屋の鍵が内側からかけられていて、自殺には見えませんからね」

 「司法解剖の結果はいつ頃出ますか」

 「早ければ明日にはわかるでしょう。死因は窒息死か、毒殺の可能性が高いですね」

 「毒殺……私もそう見ています。ただ、部屋に毒物の痕跡が全く見つからないんですよ」

 「何ですって? だとしたら、犯人は何か巧妙なトリックを使ったのかもしれませんね」

 糸川刑事の言葉に、御手洗はゆっくりと頷いた。

 「警察の方には、別荘の外の捜査をお願いできますか。不審者の目撃情報などがあれば、聞きたいのです」

 「わかりました。私たちは、現場の鑑識をしっかりやります。御手洗さんは、どうぞ屋敷の中の捜査に専念してください」

 「ありがとうございます。ぜひ緊密に連携しましょう」

 言葉を交わし、刑事たちとは別れた。


 強い雨音に混じって、沈んだ声が聞こえてくる。

 御手洗と三崎が居間に戻ると、そこには疲れきった面持ちの英樹の姿があった。

 「探偵の御手洗さん、昨晩のことを話します。聞いてくれますか……」

 その声は、今にも泣き出しそうなほど弱々しく細い。

 「お聞かせ願えますか。何でも、思い出せる限りで結構です」

 御手洗は英樹を座らせ、ゆっくりと聞き出した。

 「昨晩は確かに、皆でパーティー会場にいました。兄さんは部屋で休むと言って、先に引っ込んだんです」

 「それは何時頃でしたか」

 「確か、11時前だったと思います。その後は朝まで、誰も部屋を出た様子はありません」

 英樹は昨晩の出来事を必死に思い出す。

 「では英樹さん、あなたは普段からお兄様とあまり良い関係ではなかったんですね」

 御手洗の言葉に、英樹の顔が曇る。

 「……兄さんとは、ずっとうまくいってなかった。親父が亡くなった後、財産を巡ってもめ続けてきたんです」

 「昨日も、遺産の話で口論になったそうですね」

 「……ああ、そうだ。兄さんが遺産の大半を、三崎弁護士に譲ると言い出したから、カッとなって……」

 「財産目当てに兄さんを殺した、と思われても仕方がないでしょう」

 苦々しげに言う英樹に、御手洗は静かに問いかけた。

 「英樹さんは、本当にお兄様を殺していないのですね」

 「ああ、もちろんだ! 確かに兄さんとは犬猿の仲だったが、殺人だけは絶対にしない!」

 力強く否定の言葉を口にする英樹。だが、その目は真っ直ぐに御手洗を見つめられない。

 「英樹さん、あなたに嘘をつく資格はありません。でも、私はあなたが無実だと信じたい。だから、本当のことを話してください」

 じっと英樹を見据える御手洗。

 沈黙が、雨音だけが響き渡る。

 やがて、英樹の唇が微かに震え始めた。

 「……探偵さんの言う通りです。私は、兄さんに遺産を全部持っていかれそうになって、頭に血が上った。殺す、なんて口走っていました」

 「それで、犯行に及んだのですか?」

 「いいえ、違うんです。私は、昨日の晩、ずっとパーティー会場で寝ていたんです。犯行なんて、できるはずがない」

 涙に濡れた頬を拭う英樹。御手洗は、ハンカチを差し出した。

 「英樹さんの言葉、信じます。無実を証明できるよう、全力を尽くしましょう」

 「……ありがとうございます。私、本当は兄さんと仲直りしたかった。こんな形で別れるなんて、つらすぎます」

 嗚咽を漏らす英樹の肩を、御手洗はそっと抱いた。


 メインホールに集まった親族たちは、不安と疑念に囚われていた。

 「まさか、本当に毒殺だったのか?」

 「誰かが兄さんを殺したって言うの?」

 「信じられない……こんな事件が起きるなんて」

 「パーティの最中だったのに、誰も気付かなかったなんて……」

 がやがやと囁き声が飛び交う中、御手洗と三崎が再び姿を現した。

 「皆さん、少しお話を聞かせてください」

 御手洗の言葉に、一族は一斉に顔を向ける。深い溜息が漏れ、視線が彷徨う。

 「皆さんは、昨夜は一体何をしていたのですか」

 「私たちは、パーティー会場で歓談していたよ。兄さんの部屋に行った者はいないはずだ」

 重ねて、英樹が言う。先ほどの弱々しさから一転、鋭い目つきだ。

 「ええ、そうです。みんなずっと一緒でしたわ」

 妻の佳奈子も同調する。だが、その声は微かに震え、目は宙を泳いでいる。

 (嘘をついている……?)御手洗の脳裏をよぎる疑問。

 「私は、少し酔いが回ったから、トイレに行ってた時間もあったな」

 弘樹が言葉を挟む。飲んだくれの常習犯だ。

 「久遠寺さんの遺産について、聞かせてください。皆さん、争いなどありませんでしたか?」

 御手洗の問いに、場の空気が一変する。

 親族たちは、申し合わせたように沈黙し、視線を泳がせる。

 「お、俺は知らない……兄さんがどう考えていたのかは……」

 絞り出すように言葉を紡ぐ英樹。嘘の臭いがプンプンする。

 「実は、兄さんの遺言で、遺産の多くが三崎さんに譲られることになっていたんだ」

 ついに、弘樹がとぼけた様子で切り出す。だが、額には脂汗が浮かんでいる。

 「は?冗談じゃない。どうして他人の三崎さんに?」

 その言葉に、英樹が眉をひそめ、怒りをあらわにする。握りしめた拳が震える。

 「ちょっと英樹さん、落ち着いて」

 佳奈子が制止の言葉をかける。だが、それはどこか棒読みだ。

 「俺たちは、兄さんの面倒を何年も見てきたんだ。それが、どうして……」

 感情を抑えきれない英樹に、弘樹が言葉を継ぐ。

 「兄さんは三崎さんを信頼していたからね。遺言状にはそう書いてあったよ」

 「ふざけるな。兄さんの半生は私が支えてきたんだぞ!」

 「英樹さん、ここは……」

 「三崎さんに頼るくらいなら、私が兄さんを殺した方がマシだ!」

 堪忍袋の緒が切れたように、英樹が吠えた。

 その言葉に、一同が息を呑む。

 名探偵の脳裏を、ある可能性がよぎる。

 (遺産を巡るトラブルが、事件の引き金になったのか?)

 「事情は分かりました。今のところ、皆さんには感情的にならず、冷静にいてもらいたい」

 御手洗がなだめるように言うと、英樹は唇を噛みしめ、憤然とその場を去った。

 残された親族たちの間に、醜い疑念が渦巻く。

 (どいつもこいつも、怪しい……)

 「御手洗さん、やはり私たちの中に、犯人がいるのでしょうか……」

 弘樹がおずおずと尋ねる。三崎の顔にも、皺が刻まれている。

 「可能性は、ゼロではありません。しかし、真犯人はきっと意外な人物かもしれない。私にはそんな気がしてならないのです」

 二階の窓辺に佇む御手洗。外は土砂降りの雨だ。

 (この密室殺人を可能にしたトリック、一体何なのか……)

 ガラス越しに広がる灰色の風景。別荘を叩く雨音。

 御手洗の鋭い眼光の先には、複雑に入り組んだ謎が渦巻いていた。


 屋敷の一室では、ある人物が窓の外を見つめていた。

 「こんな storm の夜に、殺人事件とは……」

 その瞳に、静かな怒りの炎が灯る。

 「探偵ごときに、真相がわかるはずがない」

 ポケットの中の凶器に、指が触れる。冷たい感触。

 「このゲーム、まだまだ終わらせない」

 不敵な笑みを浮かべ、人影は闇に溶けていった。


 嵐の夜は更けていく。

 真相を求めて、名探偵は孤島の館に立ち尽くしていた。

 やがて東の空が、かすかに明るさを取り戻し始める。

 「夜が明けるまでには、謎を解かねば……」

 御手洗は、重い足取りで別荘に戻っていく。

 時計の針が、容赦なく事件解決への残り時間を刻んでいた。


 颯爽と廊下を歩く執事の川原。

 「坊ちゃまを殺した犯人……絶対に見つけ出してみせます」

 昨夜から荒れ狂う嵐、ピリピリとした屋敷の空気。

 御手洗、糸川刑事、川原、そして親族たち。

 別荘に集った登場人物たちの思惑が、複雑に絡み合っていく。

 「今日こそ、仮面を剥がしてみせる」

 御手洗は、歯を食いしばり呟いた。

 真犯人への、決定的な証拠を掴むため――。


 二階の一室では、電話に向かう人影があった。

 「もしもし、私です。状況は思わしくありません」

 低く抑えた声で、人影は囁く。

 「探偵の御手洗、なかなかの切れ者だと聞いています。油断は禁物ですよ」

 電話の向こうから聞こえる声。人影は顔をしかめる。

 「分かってる。こっちのペースに引き込んでやるさ」

 「それもいいでしょう。しかし、確実に口封じをしないと。探偵にいらぬ真実を知られては困ります」

 「……了解した。では、次の連絡を待て」

 人影は電話を切ると、静かに携帯を手に取る。

 指が、ゆっくりとダイヤルを押していく。

 「喰らいついてきな、御手洗。そして、その命を貶めるがいい」

 悪魔のような笑みを浮かべ、人影は携帯を耳に当てた。

 ツーツーツー。不気味な呼び出し音が、別荘に木霊する。


 孤島の別荘に吹きすさぶ強風。

 雷鳴が轟き、稲妻が屋敷を照らし出す。

 「この嵐、まるで事件の真相みたいだな」

 糸川刑事が壁に寄りかかり、つぶやく。

 美しくも哀しい島の伝説が、御手洗の耳に蘇る。

 (昔々、ある島に悲しい運命を背負った姫君がいた……)

 雨に煙る風景。御手洗の眼前に広がるのは、陰鬱な事件の予感。

 (今、まさにこの別荘で、同じような悲劇が起きている)

 疑心の渦が、真実を覆い隠そうとしている。

 真犯人は、影に潜み、時を待っている。

 「私が、必ずあなたを闇から引きずり出してみせる」

 御手洗の瞳が、鋭く輝いた。

 孤島の別荘に、新たな殺意が蠢いていた。

 名探偵 VS 真犯人。

 頂上決戦の幕が、いよいよ上がろうとしている。


 *


 心臓を突き刺すような悲鳴が、屋敷中に響き渡った。

 「た、大変です! また、人が、人が――」

 メイドの絶叫に、御手洗と刑事が駆けつける。

 「どうしたんだ! 何があった!」

 「く、久遠寺家の当主様の奥方、佳奈子様が……」

 恐怖に目を見開くメイド。その先には、凄惨な光景が広がっていた。

 「ぐわっ! 奥さん、首を吊って自殺だと!?」

 糸川刑事の叫び声。絨毯に横たわる佳奈子の亡骸。

 「何てこった。ついに、犯人が動き出したのか……!」

 御手洗は息を呑み、二つの殺人事件の関連性を考える。

 哲也の密室殺人に続き、佳奈子の変死。

 孤島の別荘に渦巻く、死の連鎖。

 「くそっ、真犯人は私たちを翻弄している。こんな殺人ゲームは御免だ!」

 御手洗の拳が、壁を叩きつける。

 「急いで全員を集めなくては。もう二度と、犠牲者を出すわけにはいかない……!」

 ガラス窓を叩く、絶え間ない雨音。

 まるで、誰かの嗤う声のようだった。

えっ、なんで死ぬのですか!?

このあたりから、当初あらすじと内容が変わっています。

最初は被害者一人だけの予定だったのですが……

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