1452
さっきまでカーテンが暮色に滲んでいたはずだ。車のライトも二階に届くはずもないし、落陽がこんなに明るいはずがない。工事の照明だとしても、そのような騒音は全く無い。俺はおもむろに立ち上がり、カーテンを開けた。ガラス窓の向こうには人の手が行き届いた形跡のない木々が生え、一条の山道と思しき道の向こうに、小さなせせらぎが流れていた。聴いた事もない野鳥らしき鳴声も窓越しに聞こえてくる。
「なに、これ……」俺は思わず一人ごちた。
おそらく相当間抜けな顔をしていただろう。窓際に立ちすくみ、呆然と小川しか変化がない風景を見ていた俺は、やがて自然と手を伸ばし、クレッセント錠を回して窓を開けた。すると途端に濃く生々しい森の香りが部屋に流れ込む。動物たちの鳴き声も先ほどより鮮明に聞こえる。ありえないほどリアルな状況に怖れを感じた俺は、慌てて窓を閉め、パソコンに向かいキャンセルボタンをクリックした。すると窓からの光は途端に落ち着きを取り戻し、白いカーテンを赤く染めた。窓の外は再び見慣れた住宅街に変わっていた。パスワードは当たっていたようだが、あまりの事態に、俺は喜びの声はもとより、安堵のため息すら出なかった。
こんなことってあるのか……。それとも幻覚だったのだろうか……。
しばらく呆けていたが、薄れていく恐怖感より、増してきた好奇心に突き動かされ、俺は再び同じ数字を入力し、そしてエンターキーを押した。だがエラーが出た。
理由をしばらく考えること数分、おそらく一度入力した数字は使えないのだろうという結論に至った。認めることをためらうが、状況からして外の景色は1452年のイギリスかフランス王国で間違いないだろう。明らかに日本の原風景とは様相が違っていた。窓を開けた時の空気は、確かに五感を刺激していた。それではこの部屋の扉の先はどうなっているのだろう。
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先程より30分遅らせた。扉の奥が外に繋がっている場合を考えて、エンターキーを押す前に、一度一階に降りて靴を取りに戻った。そして扉を閉め、靴を片手にエンターキーを押すと再び夕暮れの窓に強い光が差す。そして俺は扉をゆっくりと開けた。すると、やはりというか先ほどと同じ鬱蒼とした森が眼前に広がる。足元を見てみると、扉の先は丈の短い草が生えている。室内で靴を履いた俺は、恐る恐る一歩を踏み出した。
「草だ……」
思わず間抜けな言葉を発してしまった。だが外に出られそうだ。ゆっくりと顔を出して辺りを見渡す。人か獣が歩いたと思われる一条の痕跡があるだけで、そこ以外には手付かずの自然があふれていた。正体不明の鳥が囀り、苔むした倒木の上で、つがいだろうかリスが二匹、木の実をかじっている。新緑の隙間から木漏れ日が優しく降りていた。森の香りに身体が癒される。