藤四郎の放課後
それから数日、剣道を辞めた俺は、帰宅してすぐ自室に閉じこもるようになってしまった。母さんは朝から晩まで働いているが、家事を怠るなどしない。今夜も用意されていたカレーを温めて食べ、俺は部屋にこもる。
父さんは3年前に大腸ガンに侵され、壮絶な闘病の末、他界した。臨終の場面は今でもまだ鮮明に覚えている。今は濃緑のスレート葺きの趣のある二階建て一軒家と、別棟に道場がついた割と広い家で、母さんと2人で生活している。三十人ほどいた門下生は父が他界したあと徐々に減り、二足の草鞋で何とか経営していた母は、剣道を指南するほどのレベルではないため、その数は自然と減っていき、今は門下生がいない。だが誰もいない道場の広い敷地の扉だけは、侘び寂びを感じさせる瓦葺の下に重厚に威厳を佇み続けている。母さんが定期的に掃除しているから看板も立派で、とても凋落している剣道場には見えないだろう。
生活費は父さんの遺産と保険金、母さんの稼ぎで賄っている。母さんは家計のことについて、俺に話したことはなかったが、おそらく父さんの遺産で十分に食べていけるはずだ。だが母さんは伴侶を亡くしたことを、忘れるように働きに出ている。働く事が、沈みかけた気持ちを忘れさせてくれると言っていた。一度、「俺も高校生になったんだから、バイトして生活費入れようか?」と、家庭の実状を分かっていながらも母さんに尋ねた。だが、「大学まで出してあげるんだから、藤四郎は勉強しなさい。勉強は学生の本分でしょ」と、あっさりと返された。まだ高校一年だから、そんなに食らいつくように勉強しなくてはいけない、って感じではないのだが。
二階の自室のベッドに横になりながら、ベッドの横に投げた学校指定の紺色のバッグから、可南子に押し付けられたガーラ戦記を、手探りで引き抜いた。学校の机の中に入れっぱなしにして帰ろうとしていたのが可南子にばれ、またノートの角で叩かれたので、しかたなく家に持ち帰り、手持ち無沙汰なので読むことにした。
うつ伏せに肘を立てて俺は1ページ目を開く。普段活字慣れしていないせいか、最初は読むのに時間がかかったが、可南子の言ったとおり引き込まれる面白さがある。中、後期のイギリスとフランスとの百年戦争を舞台としたストーリーだ。少しずつ読むスピードが上がってきた。寝返りを繰り返しながら、無意識に俺はガーラ戦記に耽溺していた。その時、携帯から20時のアラームがなった。もう少し読んでいたかったが、開いているページにスピンを挟み、俺は立ち上がって机上の携帯を止めた。そしてパソコンを立ち上げる。まだネット初心者の俺だが、20時頃からチャットルームに入るのが最近の日課になっていた。