万事休す
アリシアを背後に俺は竹刀袋を背負ったまま、抜き身の骨喰藤四郎を持ち、扉を開け外に出た。一応扉を閉め、その鍵をいつものポケットに入れる。扉の外の床や壁は、自分の部屋を覆う、約30cm×30cmの黒いパネルが敷き詰められ、その空間は、とてつもなく広く感じた。照明器具らしいものも無いのに、遠くまで見渡せる不思議な空間だった。パネルとパネルの間を走る、白いグリッドが発光しているのだろう。
俺は床を触ってみる。どうやら俺の部屋を囲むパネルと同じ素材のようだ。質感は極めて滑らかだが、かなりの硬度がある。
「どこだ、可南子!!」
大声を出しても、全く音が跳ね返らない。音が壁に染み込んで掻き消されるようだ。
俺の部屋でひとしきり驚いていたアリシアだったが、さすがにこの風景の前に言葉が無いようだった。
「こんな常軌を逸した空間は、俺達の世界の技術力でも作れないよ……たぶん」
俺は思わず日本語で呟いていた。超科学の一部を前に唖然としていると何もない空間に、忽然と目を覆いたくなるような眩い光が射した。俄に緊張が走る。そこから姿を現したのは、やはり可南子だった。彼女はボディスーツのようなものを着ていて髪をひっつめ、一瞬可南子だと分からなかった。
「こんにちは。いや、こんばんは、かしら藤四郎」
いつもの口調と表情で可南子は話しかけてきた。だが、その表情は驚きのそれと変わった。視線は俺たちの背後を見ている。
俺は視線の先を見ると、部屋の隣にもう一つ部屋が現れた。おそらく俺と猫五郎さんのチャットを見て駆けつけた光さんだろうと俺は思ったが、その戸口に現れたのは顔に笑みを浮かべたローランドだった。そして彼の後ろには、可南子と同じようなタイトなスーツを着たくすんだ短い金髪の女性が現れた。その女性に見覚えはない。
「だれっ!?」可南子の口から誰何の声が発せられる。
可南子の知っている人ではないのか?
『光さんはどうした!』
俺は光さんの部屋だと思っていた場所から、ローランドとその女性が出てきたことに思考が追い付いてなかった。
『ヒカリ? ああ、あの不思議な技を使う男なら逃げたぞ。だがこの女が現れて、貴殿のところに案内すると言ってくれた。さあ、戦いの続きをしようじゃないか!』
俺は咄嗟に腰に佩いていた骨喰藤四郎の柄を握った。森の中ではともかく、このような広い場所で二剣を相手にするのは不利だ。一撃必倒しなければ勝ち目は薄い。
そう考えた俺は、背負っていた竹刀袋を傍らに放り投げ、納刀したまま姿勢を低くし構えた。
『なぜ剣をしまう。まさかここにきて降参するのか? そんな興醒めはやめてくれ』
ローランドの問いに答えることはない。先ほどの大立ち回りで、ローランドの双剣にいくつかの綻びがあることが分かっていた。
居合いだ。分かりやすくいえば抜刀術。刀を抵抗のある状態で引き抜き、弾かれた剣速で更なる速さを生む。父から幾度も指南を受けていた技術とはいえ、実戦で使うとは思いもしなかった。こういうのはイメージ力だ。ローランドが二つの剣を手に近づいてくる間に、何度も何度も放った居合いのイメージを自分とローランドの間合いに重ねた。
鉄に鋼。鋳造に鍛造。力に速さ。狂気を内に秘めた剣を断ち切る要素は十二分にある。
俺の眼光を見て、まだ諦めていないと確信したのか、ローランドは剣を一つ捨て両手持ちでじりじりと間合を詰める。好機だ。二つ断つ予定の剣が一つになれば、それだけ勝つ可能性が高くなる。数多の人を切ってきたであろう、文字通り抜身のローランドの間合いが、極限まで神経を研ぎ澄ました俺の間合いに重なる。ローランドはしばらく俺の様子を観察していたが、しびれを切らしたのか彼は、上段に構え、一歩前に進んで袈裟切りを放った。それと同時に俺は逆袈裟切りを放った。剣を断ち切る勢いでイメージ以上の刀速を放つ。
甲高い音が、広く暗い空間に掻き消された。
手ごたえはあった。俺の刀は明らかに何かを断った感触を得ていた。剣をぶった切られたのは、ローランドの方だった。
断てた!
その感触に俺は、わずかながら隙が出来ていたのだろう。俺はそのまま峰打ちで、剥き出しになっているローランドの頭を狙おうとした。だが一瞬垣間見たローランドの表情は、たじろいだそれではなかった。
腰に手を当てたローランドの鎧の隙間から出て来たのは、銀色に濡れた短剣だった。ローランドの刃が俺の胸を突き狙っていた。
しまった、と考える時間さえなかった。居合いに集中し放った俺の刀は振り切っている。短剣の突きが俺の身体を貫通するイメージしかわかない。俺の肋骨の隙間を狙って、剣がするりと肋骨の間を抜け、心臓まで滑り込んでくるイメージが。
これが一対一と、一対多の戦いの違いか。ローランドの剣は俺の胸を穿ち、そのまま倒れた。
『いやーーっ!!』
「藤四郎!!」
アリシアと可南子の声が、俺の鼓膜を揺さぶり虚空に消えた。




