王城
さらに五分ほど歩き、二人の門兵に敬礼されながら最初の門をくぐった。敬礼しながらも彼らは不思議な物を見るような視線を俺に送っていた。
『お帰り! 姫様』突如、街の工房から、快活な声が飛んでくる。
『ただいま。相変わらず元気ね、エド。あと姫じゃないって何回言わすの』
エドと呼ばれた白髪交じりの髪を短く刈った壮年の男は、その工房で樽を作っているようだ。仕事で培われたのだろう、上腕二頭筋は俺の倍ぐらいの太さがあった。その男は後ろに続く俺に目を開き、頤髭を擦りながら言う。
『そちらの御仁は、お客さんで?』
『そうよ、旅人なの。珍しいでしょ』
『そうですね……、珍しい』
エドは新種の動物を見るかのように、好奇の目で俺を注視していた。そして俺に近づき、汚れた手でシャツの袖を触ってきた。白く綺麗なシャツが、やはり物珍しいのだろう。エドが触ったせいで、シャツが思いっきり汚れているけど。
『珍しいからと言って、あんまり触らないで』アリシアはエドをからかう様に言った。
後世ヨーロッパの旅人ってそんなに珍しいものなのか、それともこの服装が目立つのだろうか、俺を不思議そうに見るエドに俺は軽く目礼して、先に動き出したアリシアの後を追った。目抜き通りを進み、かなり大きな広場を通り抜け、城の下までたどり着くと、先ほどよりも巨大で堅牢な門をくぐり城内へと入っていった。
城内に入って気が付いたことは、全くと言って良いほど人の気配がない。そしてアリシアが言っていたとおり、凋落寸前だということが内装を見て分かった。書画骨董を飾られていた跡が見られる壁がんには何もない。かつてアリシアが話していたことから推測するに、おそらく大半は売り飛ばしてしまったのであろう。街の賑わいとは打って変わって、城内は森閑としている。
普通見かけそうな――ここが普通なのかもしれないが――付き添いのメイドや執事などがいない。どこかに控えている気配もしない。だからアリシアは一人で沐浴していたのだろう。自分も似たような環境だが、アリシアの今の心境を察すると軽く胸が痛んだ。それを察したかのように、アリシアは訥々と話し始めた。
『前の貴族が――私の父なんだけど博愛主義で、これまで戦争で傷ついた民を手厚く介護していたの。庶民を見捨てることが出来なかったと聞いていたわ。私はそんな御父様を誇りに思っている。城の財産を売却することになっても……』
聞いていた……という事は物心がつく前に、彼女の父は逝去したと言うことだろうか。
『他に親族はいないの?』
『ううん。いるんだけど、凋落しかけたこの城には見向きもしないわ。身寄りがいないと思って諦めているけど』
こんな時は、同情したほうが良いのだろうか。自分も似たような環境だからか、黙することしか出来なかった。
複雑な城内を先導されて歩き、階段を上って、最上階の五階に着いた。
『トウシロウ、目を瞑って!』
言われたとおり俺は目を瞑ると、アリシアは俺の手を取って歩き出した。冷たいが苦労を知らないような柔らかい手だった。何度か躓きそうになりながら俺は引かれて進む。ある程度進んだところで、城内を歩いていたと思っていた俺は、日差しを目蓋と肌に感じた。そしてアリシアは手を離して言った。
『いいわよ開けて』
日差しに眩しさを感じながら、ゆっくりと目を開けた。飛び込んできた景色に俺は感嘆の声を上げた。
「う、わ……凄い」思わず日本語が口から出た。
一階一階の天井が高いためか、この城の五階は意外と高い。その高いバルコニーから、今まで歩いてきた街並みが小さく見える。目を凝らせば、エドが働いている工房が見えた。だが見張るべきは、その奥、鬱蒼とした豊かな自然の濃い緑と、所々に建ついくつかの城との対比だ。
しばらくバルコニーからの景色を堪能していると、剣を両腰に佩いた騎士と、2人の学者然とした男たちが近づいてきた。その騎士は淡い金色の髪を梳りながら、俺を品定めするように見て言う。
『御嬢様、そちらの方が、いつもおっしゃっていられる旅人の方ですか?』
『ええ、ローランド。私の客なので無礼の無い様にしてくださいね。トウシロウ、彼がこの城の近衛兵兵長のローランドよ。ローランド、彼はトウシロウ』
彼は一歩下がり、剣を両脇において、片膝をついた。淡い金色の前髪の奥に、うっすらと緋がかった目があった。彼と一瞬目が合ったが、彼はすぐに伏せた。その挙措を見届けたアリシアは、次に学者然とした二人を紹介してくれた。
『この城と街の管理を任せている、賢人会のうちの二人よ。白髪交じりの初老のほうがアルヴィン財務卿、そして体格の良くて若いのがセシル政務卿。賢人会は7名からなるけど、残りは多分、街のほうに出ているわ』
俺は三人に会釈する。
『これはこれは本当に異国の方ですね。黒髪に濃い茶色の眸は珍しい』
『もし宜しければ、次の旅が決まるまで、泊まっていかれるとよい。御嬢様も喜ぶと思います』
『アルヴィンったら、彼に聞いてみないと分からないでしょ! 他に用事があるかもしれないし……』と言いながら、アリシアは俺の眉を読んでいるのか、チラチラと視線をよこす。
明日は日曜日だ。だから母さんにメモを残しておけば泊まれるだろう。
『そうですね。では、ご好意に甘えて今夜だけ』
『やったー! じゃあ、決まりね!』雀躍するアリシアを、皆は微笑ましく見ていた。
『今夜だけとは、長逗留できない理由があるのですか?』セシル政務卿が聞いてきた。
『ええ、次の旅の準備等がありますので、長居できないんですよ』
タイムマシンで来たなんて言えない。だが適当な嘘をついたのに、皆はあっさりと受け入れてくれた。旅人の特権ってヤツだろう。




