動け、死ぬな、甦れ!
貧乏人は死ぬまで搾取される、という時代はまだ良かった。
現代では、死んだ後まで使い潰される者が後を絶たない。
死者蘇生技術によって、フランケン化された人間は使い勝手の良い万能道具に成り下がる。
掃除、洗濯、事務、戦争――大変な仕事はみんなフランケン任せだ。
生者にとっては大助かりでも、死者にとっては堪ったものではない。
誰だって、死んだ後はゆっくり棺桶で眠りたいものだ。
〈彼女〉はそう言っていた。
死んだ〈彼女〉は、死後の安寧だけを願っていた。
なのに、人間はそれさえも奪ってしまった。
こんなことなら、鬼になれば良かったのに。
おれと一緒に、永遠の自由を謳歌すれば良かったのに。
死んでも身体は売らないと言っていた彼女は、今や死体となって売りに出されようとしている。流行りのフランケンというやつだ。宗教的問題や倫理的問題、それに生理的嫌悪がどうのとか言っていた連中も、不況の波が押し寄せるとすんなり死者蘇生技術を受け入れてしまった。やはり、安価な労働力が持つ魅力には敵わなかったらしい。まったく人間というやつは度しがたいものだ。
おれは忘れていないぞ。おれの同胞たちを虐殺したことを。“竜の子”と呼んで蔑んだことを――そんなことを考えながら、壇上の棺を見詰めていた。
「わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである」
詩編第十六編。司祭がそれを暗唱する。祝福されている彼女の表情を覗うことはできないが、少なくとも安らかではないはずだ。死者をフランケンに仕立て上げるには、延髄の辺りに〈トルク〉と呼ばれる環状のインプラントを埋め込む必要がある。痛みを訴えることも、涙を流すこともできないだろうけど、彼女がそれを歓迎しているとは思えなかった。彼女はヒトとして生き、ヒトとして死ぬことを望んでいたから。
「――あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。あなたはいのいちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある」
死んだ者を蘇らせてはならない。それは神の御業によってのみ為されるべきことだ――そう解釈されていた教えも、今やすっかり曲解されている。偉大なるドクターフランケンシュタインが死者蘇生技術を完成させたのも、彼が海中に投棄した〈トルク〉のレシピを我々エグリス人が発見できたのも、全ては神の意志である。これが今日、帝都で主流の考え方なのだそうだ。まったく調子が良い。
おれは憤りながらも、努めて冷静だった。彼女の亡骸を奪うチャンスは、今をおいて他にない。みなとともに聖歌を唱い、説教に耳を傾け、彼女の死後の活躍を願う振りをした。
死後の、活躍。フランケン化した死者はぎこちないながらも人のように動き、命令されたタスクをこなすことができる。掃除や事務作業に、戦闘行為――その他もろもろの大変なお仕事を代わりにやってくれる。ようは、よく出来た万能道具だということだ。スイス・アーミーナイフならぬ、スイス・アーミーマンとでも言うべきか。笑えない冗談だ。
なんにせよ、道具には人権がない。人権がないから、奴隷のように売り買いされる。国が彼女に付けた値段は、ぼくが持っているベンソンの懐中時計よりも安かった。「人の生命に値段は付けられない」という台詞は人間どもがよく口にするが、それが宿る肉体の方はそうでもないらしい。所詮、死体は動産に過ぎず、水やら炭素やらの集合体に過ぎないと考えているのだろう。おれは、それ以上の価値を彼女に見出しているというのに。
「娘は祓魔師でした。他人の為、街の為と進んで危険を引き受ける勇敢な子でした。だから、フランケンとなって祖国の力になれることを、きっと誇りに思うでしょう。皆さまもどうか、娘の新たな門出を祝福してください」
そう言って目元にハンカチを当てているのは、彼女の父親だ。彼女を売り飛ばした張本人だ。おれは傍に行って、娘さんはフランケンになりたくないと仰っていました、と教えたい衝動に駆られる。人として死ぬことが彼女の最後の望みでした、あなたがそれを台無しにしたのです、と糾弾したくなる。
しかし、堪えた。堪えきったのだ。葬送式の終了が宣言され、壇上から司祭が降りるその時まで。棺の周りから誰もいなくなる瞬間を待ち続けた。
そして、時が来る。参列者がぞろぞろと席を立つ最中、ついにおれは力を開放した。
身体がバラバラとほどけ、ほどけたパーツが蝙蝠へと変じる。あっ、と司祭たちが拳銃を構えた時にはもう遅い。蝙蝠の群れが祭壇を包んで、彼女を棺ごと運び去ってしまう。身体の一部が銀の弾丸に撃ち落とされたが、それでもおれはやってのけた。
☆ ☆ ☆
「また無茶をしますね、エドワード様」
呆れた様子でそう言うのは、従者のギルバートだ。彼にはいつも事後の応急手当をしてもらっている。今回は右腕がほとんどお陀仏になったので、流石にお小言がうるさかった。おれは出来るだけ身体の再生に意識を集中させる。
「危うく棺桶が二つになる所でした。あまり私を怖がらせないで頂きたい。心労でポックリ逝ってしまいそうです」
「その時はおれが屍食鬼にしてやるさ」
「どうぞご勘弁を」
皺の刻まれた顔をさらに皺くちゃにして、ギルが微笑む。彼の手には、いつの間にか輸血袋が乗っていた。おれは礼を言ってそれを受け取り、パッケージに牙を突き立てた。穴だらけの腕がみるみる内に復元する。
「あまり上品とは言えませんな」
「そう言うなって。おっかない司祭たちが、軍用フランケンをわんさと連れて追って来てるんだよ。あまり優雅にやってる時間は無い。それより、彼女の様子は?」
「うんともすんとも言いません。好都合ではありますな」
「そうだな」
おれは頷きながらも、どこかで迷っていた。
彼女の望みを叶えるのは簡単なはずだ。首に埋め込まれた〈トルク〉を、ただ引き抜いてやれば良い。そうすれば、彼女の身体は司令塔を失って、緩やかに崩壊を始めるだろう。教義上、自殺することが出来ない彼女が再び死を得るには他人の手に掛かる他ない。
だが、この期に及んで決心がつかなかった。
どうやらおれはもう一度、彼女の声が聞きたいらしい。この、好敵手とも呼ぶべき勇敢な聖女を、つまらん病に奪われたことがよほど我慢ならないらしい。彼女が仮初めの命を喜ばないことは十分に分かっていたけど、それでも死者復活の誘惑はあまりに強力だ。
こんな様では、あの父親と一緒だ。自分のエゴに、彼女を巻き込む訳にはいかない。
おれは震える腕で、棺の蓋を掴む。やるんだ。死者を死に返せ。
「お辛いなら私が代わりに」
「ありがとう、ギル。でも大丈夫だよ」
「しかし」
「おれがやる。やらなきゃいけない」
開けるぞと前置いて、おれは一息に棺を開く。
まず、視界に入ったのは胸元で組まれた手だった。こわばった、冷たい印象を与える手。死者の手。だが、生前と変わらぬ色艶を保った肌と、その下を流れる人工血液のコントラストは目を見張る美しさがあった。この分ならば、死化粧が無くとも綺麗な顔でいられただろうな。そんなことを思いながら、おれは何とはなしに彼女の顔を見た。目が合った。
彼女がおれを、おれが彼女を見詰めている。彼女の口がおもむろに開いた。
「――エド」
「わっ」
反射的に棺桶を閉じてしまった。ギルが目を見開いて、こちらを見ている。
「今のは……」
「聞き違いだ。おれは何もしていない。動き出すはずが」
そう言い掛けた所で、背後からばんっと棺桶が吹き飛ぶ音がした。振り返ると、彼女がそこに仁王立ちしている。命令がなければ動くはずがないのに、彼女は言葉を口にし、自らの意思で動いた。こんなことはありえない。
吸血鬼でなければ、心臓が止まるくらいショッキングだ。死んでて良かった、おれ。
「やあ、キャスリン」
「エドワード」
名を呼ぶと、彼女は囁くように呼び返す。
どうやら、おれが分かるらしい。生前の記憶と自我を備えたフランケンなど聞いたことがなかったが、嬉しい誤算だ。彼女は道具ではない。今も、ちゃんと生きているのだ。生前のキャスリン・モアのままで。
嬉しくなって、おれはキャスを抱き締めようとした。彼女も青い顔に満面の笑みを浮かべて歩いてくる。なぜだか、手刀を振りかぶって。
「歯ぁ食い縛りなさい」
「えっ、うぐ」
気が付くと、おれは胸に衝撃を受けている。貫手突きだ。目にも止まらぬ速さで、彼女がおれの胸を貫いたのだ。生前よりもずっと強く、鋭い一撃。おれはますます嬉しくなる。
「突きが綺麗だね、キャスリン。おてんばな君はやはり素敵だ」
「ぶっ殺しますわよ」
「敬語が怪しいのも変わってない。背伸びする君も実に好いものだ」
「……誤魔化さないで、エド。よくもこんな身体にしたわね。あれほど断ったのに」
言いながらキャスは、さらに腕をねじ込んだ。彼女の手が背中から飛び出る感触を堪能しながら、おれはゆっくりと説明する。
「おれは何もしてない。君はフランケンだ。吸血鬼ではなく、ね」
「フランケン?」
訝しみながら、彼女は首に手をやる。そして、直ぐ〈トルク〉の存在に気付いた。青かった顔が、にわかに朱に染まる。
「あの、毒親!」
「おいおい、どこ行くんだ。そっちは追っ手が」
「決まってるでしょ。あのロクデナシをとっちめてやるのよ」
キャスは、おれを腕にくっつけたまま猛然と歩き出す。
さあ、まずいことになったぞ――おれは己が笑っていることを自覚した。