ツンツン風紀委員ちゃんが実はデレデレ風紀委員ちゃんだったって話をする。
渚ちゃんは風紀ガチ勢。
その鋭い視線と高圧的な態度から、つけられたあだ名が『東中の氷姫』。
なもんだから、つき合い初めはびっくりしたものだ。
曰く、男女の適切な距離は1メートル。
曰く、下校の際は寄り道をせず、まっすぐ家に帰ること。
校則遵守の彼女とのおつき合いはなかなかに大変だったが、実際には彼女のほうが大変だったらしい。
『風紀委員としての理想の自分』と『俺の彼女としての理想の自分』の狭間で板挟みになっていて、感情を素直に表すことが出来なかったんだって。
表面上はむっつり素っ気ない態度だけど、内心では俺とイチャイチャしたかったりとか、そんなことがたくさんあったんだって。
今から話すのは、大人になった彼女から聞いた、当時の恋愛裏話だ。
始まりはそう、今から6年前の春のこと──
校舎裏の、そこで結ばれたカップルは永遠に幸せになれるという伝説のある桜の木の下に、渚ちゃんを呼び出した。
「渚ちゃん! 君が好きだ! 俺とつき合ってくれ!」
どストレートな俺の告白に、渚ちゃんは息を呑んだ。
氷のように鋭い目つきがじわりと揺らぎ、凛と引き結ばれた唇がふるりと震えた。
風紀ガチ勢として全校生徒はもちろん近隣の不良すらも怯えさせる『東中の氷姫』のたたずまいが一瞬だけ崩れ、普通の女の子みたいになった。
だけどそれはあくまで一瞬で、次の瞬間には普段の渚ちゃんに戻っていた。
強い風で乱れたベリーショートをなでつけるように整えると、冷徹な瞳(通称『氷の魔眼』)でにらむように俺を見上げて来た。
「先輩は、わたしと男女のおつき合いをしたいのですか?」
「うん、君と恋人関係になりたいと思ってる」
「わかりました、お受けいたします」
「んーそうか、やっぱダメだよなあー。さすがに突然すぎたか……っていいの? ホントに?」
断られるだろうと思っていたら、まさかの一発OK!?
「ただし条件があります。ひとつはおつき合いそれ自体を秘密にすること。そしてもうひとつは、校則を守ることです」
「ん、んんー……?」
秘密にってのはわかる。みんなに茶化されたりしたら恥ずかしいだろうし。
だけど問題はその後だ。校則を守る? それってつき合うのと関係ある?
「言うまでもないことですが、わたしは風紀委員です。規律の乱れを取り締まり、みなさんに健全な中学生活を送っていただくことを使命としています。そのわたしが、まかり間違っても率先して風紀を乱すわけにはまいりません。校則を破るなんてもっての他です」
どうしよう、雲行きが怪しくなってきた。
「たとえばこうです」
ポッケからメジャーを取り出した渚ちゃんは、ジャッとばかりにそれを伸ばし、先端を俺のお腹に押し当てて来た。
「『学内生活規定第7項:男女の距離をみだりに縮めるべからず、1メートルをもって良しとする』とあります。つき合ったとしても、常にこの距離を保たねばなりません」
「え」
「メジャーをお持ちでない場合は、大人のカピバラで代用してください。1匹分の体長がだいたい1メートルですので」
「俺は家でも心でもカピバラ飼ってないんだけど!? てか1メートルって廊下ですれ違うのすら大変なんじゃないの!?」
「つまり、わたしとつき合うのはそれぐらいの難事だということです」
「上手いことまとめられた!?」
「どうです? わたしとおつき合いするの、やめたくなりました?」
頭を抱える俺を、渚ちゃんは試すように見据えて来るが……。
「大丈夫。そこまで含めての渚ちゃんだからね。条件をすべて呑むよ。ということで、これからよろしく」
「……そうですか、わかりました。ならばこちらからもよろしくお願いいたします。東中の生徒としての誇りを持ち、道徳や秩序を守り、共に立派な大人を目指しましょう。誰に恥じることもない、健全なおつき合いをしていきましょう」
そう告げる渚ちゃんの頬は──夕陽のせいだろうか──ほんのり赤く染まっていた。
□ □ □
渚ちゃんの望み通り、俺たちのおつき合いは健全なものになった。
一緒にいる間は常に1メートルの距離を保つ。渚ちゃんがスマホを持っていないので長電話やラインのやり取りなども無し。デートもしない。渚ちゃんの風紀活動が休みの日に、たまに下校を一緒にするぐらい。
だが俺は、十分に幸せだった。
あの渚ちゃんが恋人認定してくれているのだ。
甘い言葉を囁いたりというようなことは無いものの、他の男に向けるのとは違う目を向けてくれているのだ。それで十分じゃないか……ってウソですすいませんごめんなさい。ホントはもっと色々なことをしたいです。手ぇ繋いだり肘くんだりしてベタベタしてみんなをうらやましがらせたいし、長電話もしたいし終わりのないラインのやり取りもしたい。あとついでにちょっとエッチなこととかも……。
「先輩今、何か不埒なことを考えてませんでした?」
「考えてましたすいませんでしたあああああっー!」
ある日の下校中。
妄想を見抜かれた俺は、土下座せんばかりの勢いで謝った。
「別に謝る必要はないですよ。何せ先輩のことですし」
「何せ、とは……」
「説明する必要、あります?(氷の魔眼ギラリ)」
「すいませんありません自分のことは自分が一番知ってます!」
俺が即座に謝ると、渚ちゃんはハアとため息をついた。
「ともあれ、このままというのもフェアではないですね。わたしの信条につき合っていただいている分、先輩にも譲歩いたしましょう」
「譲歩、というと……」
「デートというものをしてみましょう」
□ □ □
さて当日。
S玉県某所、K越駅前にある『時の鐘』のモニュメントの前で、俺たちは待ち合わせをした。
ただしどちらも私服ではなく、制服姿で。
「先輩、おはようございます。あ、きちんと制服着て来てますね」
先に待ち合わせの場所にいた渚ちゃんが、うむとばかりにうなずいた。
「おはよう、渚ちゃん。言われた通りに着て来たよ。親からはおまえどうしたんだみたいな目で見られたけど」
「何を言っているんです。学生が制服を着るのは当たり前のことじゃないですか」
「だって日曜だし」
「『校外生活規定第3項:校外にあっても、華美な服装は避けること。公共の行事もしくは学外活動に臨むに際しては、制服を着用することが望ましい』とあります。つまりはこれが正装であるべきなのです」
自らの制服を誇らしげに指し示す渚ちゃんの腕には、『風紀委員』の腕章が巻かれている。
そう、俺たちが今日集まったのは、あくまで風紀活動の一環ということになっている。
東中の生徒の校外生活を取り締まるのが目的なので、男女がふたりで行動していても問題ないという理屈だ。
「ま、いいけどね。ちょっと堅苦しいけど実質デートだし」
悩んでもしかたないと、俺は前向きに考えることにした。
「制服デートへの憧れとかもあったし。着る必要ないのに制服着て外出するのって、なんか秘密っぽくていいよね」
「そうですか? わたしにはさっぱりわかりませんが」
渚ちゃんは素っ気なく言うと、学校指定の通学バッグの中からA4サイズのスケッチブックを取り出した。
バッと広げて見入っているのを、なんだろうと思って覗き込むと……。
「それって地図?」
「はい。昨日のうちにこの辺りを散策して、ポイントを抑えておきました」
駅構内に駅周辺、観光スポットに街の歴史に豆知識、お手洗いの場所やAEDの設置場所、避難経路までもが記されている。
しかも全部手書き。既存の地図を貼り付けたりとか一切なしの、根性の賜物。
「……これ、昨日のうちに全部?」
「はい。当日、何が起こっても大丈夫なように」
「真面目っ」
「あ、先輩。これを確認しておいてください」
渚ちゃんが渡して来たのは一枚の紙だ。
スケッチブックの切れ端なのだろうそれは、どうやら今日の行動予定のようだ。デート開始から終了までにふたりがとるべき行動が分単位で記載されていて、地図情報と組み合わせることで旅行のしおり的な役割を果たすようだ。
「……これもわざわざ、この日のためだけに?」
「はい。当日になって行動にブレが生じないように」
「真面目っ」
「あとは水分補給のお茶と、塩分補給の塩飴、栄養補給のチョコレート。それと……」
通学バッグの中からは、魔法のように色々なものが出て来る。
大きな水筒、塩飴にチョコレート、冷えピタに絆創膏に……。
「2日ぐらい遭難しても大丈夫なよう準備をして来ました」
「真面目がすぎるっ!」
俺は思わず叫んだ。
ぐっと拳を握って得意げに語る渚ちゃんは可愛いけどっ、可愛いけどもっ。
「変ですか? これぐらいの用意はみなさんするものだと思っていたのですが」
「世間一般のカップルはね、街中で遭難する可能性なんか考えないんだ」
「そうですか。もっと勉強しなければなりませんね……」
渚ちゃんは残念そうにつぶやきながら、スケッチブックにちょこちょこと反省点を書き記していく。
しかも「緊急物資は少なめ」とか大真面目に。
んー、このコけっこうポンコツなんだろうか?
完璧超人みたいな普段とのギャップがすごすぎるんだが。
「まあでも、渚ちゃんガチ勢の俺にとってはむしろ萌えポイントだがな。ふっとした拍子に浮き出てくる隙が、可愛いさをより引き立たせて……ってしまった! 声に出てた!?」
しかし渚ちゃんはまだスケッチブックに集中していて、こちらのことをまったく見ていない。
どうやら聞こえていなかったようだなと、ほっとしていたのだけれど……。
~~~現在~~~
親しい者同士で行われた同窓会の帰り道、ふたり肩を並べて歩きながら。
大人になった彼女に確認してみたところ、実はばっちり聞こえていたのだそうだ。
「あの時わたし、とても緊張していたんです。何せ初めてのデートだし、絶対成功させなきゃと焦っていて、色々空回りしちゃって……そこへ来てあれでしょう? もう舞い上がっちゃって、スケッチブックから顔も上げられなくなってたんです。だってわたし……」
背中まで髪を伸ばした彼女は、萌黄色のミニのドレスの後ろで手を組みながら俺の顔を覗き込むと。
「昔からずっと、先輩のことが好きだったから」
ほの明るい春の宵のとば口で、はにかむように微笑んだ。