勉強だけが生きがいの俺に訪れるたった三日の憂鬱な日々
俺の全ては勉学にあり。今までも優秀な成績を収めている。
実に順調。実に計画通りだ。
だからそれ以外の物に興味はない。
しかし、彼女はいきなり俺の前に現れて言った。
「私に、あなたの時間を三日だけ下さい」
病弱な彼女は、なんでも三日後からの入院が余儀なくされているらしい。だから、それまでの三日を自由に遊んで過ごしたいそうなのだ。
勿論俺は断った。興味が無いし時間の無駄だと。
そんなものに俺を巻き込むんじゃない。
それでも彼女はこう言うんだ。
「ながーい人生の中でたったの三日だよ? ちょっとくらい、無駄に生きてみてもいいんじゃないかな?」
その言葉を聞いて妙に納得してしまった俺は、彼女と三日の時間を共に過ごすことにした。
実に無益で、憂鬱な日々になりそうだ。
三日くらいなら、恐らく問題ないだろう。
だって昨日は、月が綺麗に歪んでいたのだから。
「まあ……三日くらいならいいけど」
流れに身を任せて、軽はずみにそう返事してしまったことを後悔する。
せっかくの日曜日。図書館で勉強していたはずの俺は、勢いよく連れ出されてしまっていた。
「こうしてると、恋人同士……とかに見られちゃうかな」
隣を歩く女は、頬を赤らめて言った。
俺はその女と、手を繋いで歩いている。
「嫌なら離してくれてもいいんだぞ」
「べっ別に、嫌とかじゃないんだからねっ」
「そうか。俺は嫌だ。今すぐその手を離せ。いや、離して下さい。どうかお願いします」
「むー。そんな本気で嫌がらなくてもいいじゃん。傷つくなー」
女は頬を膨らませ口を尖らせる。
「そもそも何故手を繋ぐ必要がある?」
「だって手を離したら逃げるでしょ?」
「そんな犬みたいなことはしない。だが、既に軽く禁断症状が出ているんだ。俺は勉強しないと死んでしまう」
繋いでいる手が軽く痙攣している。それに女も気付いたようだ。
「それは立派な病気だよ……。もしかして、私より入院の必要があるんじゃない?」
「なるほど。病室ならこうやって邪魔されずに勉強が出来るだろうな。悪くない」
すると女は、俺の鼻先をつまんで思い切り引っ張った。
「あ・の・さ!! こーんなにもカワイイ女の子と手を繋いで遊びに行けるんだよ!?
もうちょーっとだけでも、嬉しそうにしたらどうかな!?」
セミロングで毛先がウェーブしている明るい茶髪。幼い顔立ちに大きな瞳。150にも満たない小柄な体躯。その身を包むチェックのワンピース。
この女の容姿を総称して表現しようとすると、なるほど、確かに可愛いという単語が一番しっくりくるだろう。だがしかし、俺にとってはそれがどうしたという話だ。
「悪いがそういったものには興味がないんだ。俺が知りたいのは、キミの遊びに俺が付き合わなくてはいけない理由だ」
「えー? いまさらそういうの必要?」
不満げに女は言い放つ。
「キミは三日後に入院するんだろう? それまでの三日間を遊んで過ごしたいと。そこは理解できる。だが俺たちは初対面。共に過ごす相手が俺である必要はないはずだ」
俺の言葉に女は目を見開く。
「私たちが初対面……? この人何言っちゃってるのかな? 私、隣のクラスなんだよ? 2年3組の相楽結羽。2年2組の厳島隼大くんだよね!? 私間違ってないよね!?」
「……ああ、厳島隼大で間違いないが……隣のクラス……?」
「いや、確かに話したのは今日が初めてかもしれないけど、何度もすれ違っているし、ちょっとは顔くらい覚えていてくれてもよくない!?」
「クラスの連中ですら名前と顔を覚えていないんだ。隣のクラスのやつの顔を覚えてるわけがないだろう」
「勉強以外に興味なさスギィ!!」
女、もとい相楽さんはたはーっと自分の額を叩く。
「確かに俺は勉強以外に興味がない。それを理解しているなら、俺と遊びに行くことはお勧めできない、という話だ。何故なら、俺自身、相楽さんとの遊びを楽しむつもりがない」
「それでも私は全然構わないですよー」
「そこまで俺にこだわる理由はあるのか?」
すると相楽さんはスッと真剣な表情で俺を見据えた。
「勉強以外に興味がなさそうだったからだよ。私は次、いつ退院できるか分からないんだ。だから私に残された三日の自由な時間。楽しいことを何も知らなそうな隼大くんと一緒に遊びたいと思った。それが理由じゃダメ、かな?」
潤むような大きな瞳で俺を見つめる。それを見た俺は、内の底から不思議な感情が沸きあがってくるのを感じた。なるほど。そうか――――これが怒りか。
「ダメに決まっているだろう。バカなんじゃないか?」
「なにそれ!? こんなに可愛らしく健気にお願いしてるのにその言い方はないんじゃないの!?」
「バカにバカだと言って何が悪い。それに名前で呼ぶことも許可した覚えはない」
「バカバカうるさい! それに「厳島」なんて名字、三回も言ったら絶対「いちゅくしま」って噛んじゃうからしょうがなく名前で呼んでるだけですー!!」
「なら仕方がないか。好きに呼べばいい」
「そこはすんなり承諾するんだ!?」
そこで俺は、一息ため息を吐く。
「多少は譲歩するさ。なにせこの三日間、キミと共に過ごすことになるのだから」
「え!? さっきダメだって……」
「ダメなのはその理由がだ。そこまで相手の気持ちを無視した自己中心的な考えで行動するのなら、もっと自分を大切にするべきだ。こんなつまらない相手ではなく、相楽さん自身が楽しめる相手であった方がいいだろう。
だって、キミに残された時間は、あと三日しかないのだから」
「隼大くん……」
相楽さんはぽつりと呟く。
「いや! ちょっと待って! なんか私、あと三日で死ぬ流れになってない!? そこまでじゃないからね! ちゃんと元気になって退院してくるからね!」
「確かに。そこまで元気があるなら心配いらなそうだな」
「くぅ~~~。わざと言ったなーーー!!!」
そう言って、相楽さんは勢いよく繋いでいた俺の手を引いた。
「隼大くんが楽しむ気がなくても関係ない! 私はキミと遊ぶって決めたの!」
強い意志が籠った言葉を放つ。
俺は特に抵抗するでもなく、引かれるまま後を付いて行った。
相楽さんの斜め後ろから見える横顔は、本当に楽しそうに見えた。
「そう言えばさ、隼大くんはなんでそんなに頑張って勉強するの?」
俺の手を引く相楽さんが振り返り問いかける。
「……勉強することが学生の本分だからだ」
俺は嘘を吐いた。
「ふーん。マジメだねー。でもこの三日で、そんなもの忘れちゃうくらい楽しませてあげるんだから!!」
申し訳ないが、相楽さんが俺に何かを与えようと思っていても、それを受け取るつもりはまったくない。ただ、浪費していく三日という流れに身を任せ、その流れの中に彼女がいた、というだけだ。
そう思うと、ただただ憂鬱でしかない。
それでも何故か――相楽結羽と共に過ごすことを選んでしまっていた。
一日目はゲームセンターに行った。
何をするにもただお金を浪費するだけで、これらの何が楽しいか理解出来なかった。
しかし、ゲームセンターの中に充満する独特な匂いは、どこかで嗅いだことがあるような気がした。
二日目は学校をサボってカラオケに行った。
歌える曲は精々、国歌と翼をくださいくらいだったので、交互に10回ほど歌ってみた。
相楽さんが歌う曲は何一つ分からなかった。なのに、何故かどこかで聞いたことがある様な気がした。
三日目は学校をサボってテーマパークに行った。
平日だというのに、人混みに酔いそうになるほどの混雑だった。
何をするにも順番待ちの列に並び、時間が非効率に消化されていく。こんなことなら参考書の一冊でも持ってくれば良かったと思ったが、何故か前にも同じことを思ったような気がした。
結局俺は、なに一つも楽しむことのないまま、三日という日々に終わりを告げた。
「付き合ってくれてありがとう。とても楽しい三日間でした」
満足そうに相楽さんが言った。
そしてその言葉を最後に――俺たちはあと腐れなく、別々の道を歩き始めた。
無駄な時間だった。と思うと同時に、だがそれでいい、と思っていた。
***
三日の時間を終え帰宅した私は、急いで自室に籠る。
「ふふ。楽しかったなあ」
この三日を振り返って、思わず私は呟いた。
何よりも、楽しくなさそうに過ごす彼の表情が、私にとっては楽しかった。
そう思う私は、ちょっと性格が悪いだろうか?
いや、私の性格が悪いことなんてとうに知っている。
だってこの三日、彼を付き合わせたことですら、私の悪戯心から生まれたものだった。
彼は意外と優しいんだと思う。
だってこの三日間、私の病気のことには一切触れてこなかったし、入院することについても疑うことをしなかった。
だから私は、その優しさに付け込んだのだ。
病弱で入院するなんて真っ赤な嘘で、彼を連れ出すための口実でしかない。
私はこの三日という時間を、彼が思う最も無駄だと思うことに費やしてやろうと思ったのだ。
三日前の夜、空に歪んだ月が出ていた。
空に昇る月が陽炎の様にユラユラ揺れている現象で、私は【歪み月】と呼んでいる。
これは本当に陽炎のような気象現象で歪んで見えるのではない。
この歪みは――いびつになった世界そのものの歪みだ。
いびつな世界は、月を歪んで映す。
そうして、世界はその歪みを正常に戻すとともに――――三日という時間をも戻すのだ。
私は昔、あることをきっかけにこの時間遡行の現象に気付いた。
もしかしたら、他にも気付いている人がいるかもしれない。
それでも――どこの記録にも、誰の記憶にも残らない三日間。
そして私も、朝目覚めたら、彼と過ごした日々を忘れているのだろう。
覚えているのは、歪んだ月を見た、ということだけだ。
それでも、また次に月が歪んで見えたその翌日。きっと私は彼にこう言うんだ。
「私に、あなたの時間を三日だけ下さい」――と。
今回が何回目で、次が何回目かも覚えていない。初めてでないことだけは確かだった。
私たちはこうやって、記憶の残らない三日だけの関係を繰り返している。
次に【歪み月】が出るのはいつだろう?
次はどうやって彼と過ごすのだろうか?
そんなことを考えながら、私は深い眠りについた。





