ウェディングドレスに祝福を
家族に会わせてあげましょう。その代わりに、貴方の残り人生を分けてくれませんか?」
妻とは死別し、一人娘をも事故で失ったウェディングプランナー姫川陽介は、42歳の誕生日であるクリスマスイブに会社から解雇宣言を受けた。
何も考えられずに夜の公園で茫然と立ち尽くしていた陽介は、そこで路上ライブをしていた悪魔を名乗る女と出会い、甘い取引を持ち掛けられる。
自暴自棄になりつつあった陽介は、「家族に会いたい」という一心で悪魔との契約を交わしてしまう。
そしてその日から、燃える男陽介の娘に会うための日々が始まった。
一日一日を、巻き戻りし続ける日々が。
娘にウェディングドレスを着せるために過去へと遡っていく父と、まるで予言者のように困難を回避しながら未来へと向かって成長する娘。これは、そんな2人の運命が交錯する物語。
澄人さんのお父さんのメッセージが終わった。
「――それでは最後に、新婦のお父様からお二人への温かいメッセージです。どうぞ、お聞きください」
司会者が静かにそう告げると、会場が暗くなり、プロジェクターが起動した。モニターに映し出されたのは、穏やかな顔をした生前の父の写真だ。
この結婚式は、ウェディングプランナーだった父によるプランニングだ。本来であれば、新郎の父からのメッセージが最後というのがセオリーのはず。なのに、父はわざと自分を最後にした。
サプライズのつもりだろう。小さい頃に何度も味わった父の破天荒っぷりが思い出されて、涙よりも笑いがこみ上げてくる。
『あー……桜、結婚おめでとう。新郎君、桜を泣かせたら背後霊で憑りつくぞ』
スピーカーから流れ出したその声は、父が私に残してくれた大切な遺品の一つ。父らしいジョークに、会場からは軽い笑い声が上がる。
『いいか桜。俺は一度、大切なものを全て失った。だが、こうして取り戻す事ができた。死んだ後に夢が叶ったんだ、奇跡としか言いようがない。ありがとよ悪魔! そしてざまぁみろ、くそったれな運命め!!』
父の言葉に、会場が耳を傾けている。
澄人さんは目を丸くして聞いていた。事前に伝えていなかった映像だ。私は右手で澄人さんの手を握り、左手には古ぼけた父の手帳を持った。
『俺がその場にいないと思うだろ? それがな、実はいるんだよ――――そんな意味の分からない状況を歌に込めてみましたので、皆様どうぞお聞きください。《ウェディングドレスに祝福を!》』
すると、式場内に突如エレキギターの音色が鳴り始める。
我慢できずに、吹き出してしまった。
『桜あぁぁ~!♪』
私の父、姫川陽介は熱血漢でバンドマンで競馬好きで。
――――予言者だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
俺の人生には、一人の天使がいた。
9年前に事故で他界した娘だ。
そしてもう一人、女神もいた。
天使を産んだ時に他界した妻だ。
全ては俺が悪かったのだ。あと一本だけ道が隣であれば、もっと励ましの言葉があれば。俺の人生は、そんな後悔ばかりで出来ていた。
糞みたいな運命を誤魔化そうと、つまらない冗談で上塗りをしてここまで歩いてきた。全てはただの強がりだ。だけど、そうでなければ生きてこれなかった。
そんな中身の無い人生が、ある奇妙な出会いによって変わろうとしていた。
事の始まりは、昨日の昼間。
いや――正確には、明日の昼間だ。
人間的に優れた上司と、アホ部下である俺の、どこにでもあるような話だった。
◆ ◆ ◆
「――姫川君、ちょっと落ち着いて……」
部長の言葉は大体正しい。
だが俺は、時々それが納得いかなかった。
間違っているのは俺なのにだ。
「だからって、男のプランナーが要らない訳ではありません! 俺だって、この仕事に誇りを持ってやってきました!」
「そうは言うがね姫川君、我々が行っているのはビジネスなんだよ。長年働いてくれた君には申し訳ないが、上役の意向なんだ。私でもどうしようもない事はある」
売上不振による会社の吸収合併。それに伴って、高給取りな男性社員をクビ。しかも、自主退職を促されている。
「ウェディングプランナーというのはね」
「分かりますよ部長。女性の方が向いてるって話でしょう。耳にタコが出来過ぎてもう聞こえませんよ」
「……姫川君」
「部長。長い間、本当にお世話になりました。自主退職で構いません」
そんな情けない一幕を経て、俺は昼間っから公園で一人、項垂れていた。
もちろん部長には何の罪もない。全ては投げやりになった俺のせいだ。世話になった人と、最悪な別れ方をしてしまった。
「……とんだクリスマスイブだぜ」
公園のイルミネーションはキラキラと瞬き、景色を彩っている。幸せなもんだ。ここで式を挙げたらさぞ思い出に残るだろうと思ったが、そんな虚しい職業病のせいで更に落ち込んだ。俺はクリスマスイブに……ついでに言えば、誕生日に無職になったのだ。
ウェディングプランナーというのは、俺にとっては天職だった。誰かの幸せな瞬間を何度も味わう事ができ、心が穏やかになれる。
だが、どんな仕事にも向き不向きはある。
俺はこの暑苦しい性格から、あまり指名を受けなかった。男性というのもあったかもしれないが、俺にとってはそれは言い訳だ。冗談でできた俺の人生は、冗談みたいに上手くいかない。
「……くそったれは俺の方だ」
明日、部長に苺たっぷりのケーキを持って行って謝ろう。
そんな風にぼんやりと考えていたら、公園の隅から不格好なギターの音色が流れてきた。
ブルース・スプリングスティーンのようなしゃがれた歌声に、イブに似合わないパワフルな音色。男性か女性か、何の曲なのかも分からない。
だが……妙な仲間意識を感じる。
立ち上がり、音の鳴る方へと近付く。
それを演奏していたのは、フードを被った黒ずくめの女性だった。
寒空の下、人通りの少ないこの公園の片隅で、冷たい地面に座り、何語かも分からない歌を下手なギターで熱唱している。それも、全力でだ。
今の俺に染みる。
観客はスーツ姿の俺一人だけ。俺も地面に座り、静かに曲を聞く事にした。
演奏が終わり、女性はギターを置いた。
「――素敵な曲だったでしょう?」
その顔は、フードに隠れていて見えない。
「悪くは無かった。何を歌ってたんだ?」
「駄目なやつ来い~失うものが無いやつ来い~死のうとしてるやつ来い~♪」
「……ははっ! ひでぇなそれは」
中々にいい性格をしているようだ。
「……俺も昔はギターを握ってたんだけどな。ちっとも上手くならなくて、クローゼットの奥で化石になってるぜ」
「10年も演奏すれば上達しますよ。私はまだ3日ぐらいですけどね」
「よくそれで演奏しようと思ったな」
「必死ですよ。どうです、一曲?」
女性はギターを差し出した。
「よしてくれ、ブランク10年だ」
「ふふ、そうでしたね」
そう言って、女性はフードを取ってこちらを見た。
その姿に、俺は言葉を失った――。
真っ直ぐに俺を見つめる表情。
何度も仏前で見た、その姿。
「…………お前……」
「人生をやり直したいのでしょう?」
「嘘……だろ……」
香苗……。
死んだはずの妻、姫川香苗。
当時の姿そのものだ。
「この容姿は、貴方が最も愛した人物になっています。本人ではありませんよ」
「どういう……!」
香苗は立ち上がり、俺を見た。
「――初めまして、姫川陽介さん。私はとある悪魔です。貴方のご家族に会わせてあげましょう。その代わりに、貴方の残り人生を分けてくれませんか?」
口振りは、香苗そのものだ。
何が悪魔だ。
どうかしてる。
そんなにクビがショックだったのか。
俺は、おとぎ話でも見ているのか?
「……ま、待ってくれ、いやいやもう十分だ! 俺は相当疲れているらしい」
「桜ちゃんに会いたくありませんか?」
「…………その名前を……」
なんで知っている。
悪魔を名乗る女が、俺の天使の名を告げた。
「お……お前は一体何なんだ!!」
「落ち着いてください。これは、お互いに良い契約ですよ。私は姫川さんの残りの人生を貰いますが、その代わりに姫川さんは娘や妻に会えるのです。なんなら、数年間を共に過ごす事だってできますよ」
その時、雪が降り始めた。
悪魔はお構いなしに話し続ける。
「ほら、考えてもみて下さい。貴方は唯一の生き甲斐だった仕事からも見放されてしまった。残りの人生を惰性で生きていくのと娘や妻に会えるのとでは、どちらがいいか分かるでしょう?」
「……死んだも同然とでも言いたいのか」
「私の曲はそういう人を引き寄せます。今世の後悔は、今世で晴らしましょう」
悪魔はそう言って目を閉じ、ギターをじゃらんと鳴らした。
人生は決して後戻りできない。俺はこれからも後悔を背負って生き続け、次の人生では間違えないようにする。俺はただ、そう考えて生きてきた。
それでも、悪魔の誘いは魅力的だった。
「……娘や妻に会えるってのは」
「姫川さんはただ眠るだけで、実際に桜ちゃん達が生きていた時代に巻き戻るのです。もちろん夢では無く現実で。それと同時に、私は貴方の時間を頂きます」
「信じられねぇ」
「悪魔は嘘を吐きません」
そんなの戯言だ。
冷静に考えれば、胡散臭い事この上ない。
だが……俺は冷静ではなかった。
自暴自棄になっていたのだ。
「これは悪魔からのお誕生日兼、クリスマスプレゼントですよ。そうだ、折角なので私の事は井部とでもお呼び下さい」
「……とんだクリスマスイブだな」
「ふふ。悪くないでしょう、姫川さん?」
井部は柔らかく微笑み、手を差し出した。
もし……もしもこいつの言う通りに、もう一度人生をやり直せるのなら……家族の為に、全てを失っても構わない。
それに、俺には夢があった。
娘の桜の結婚式をプランニングしてやりたいという、叶わない夢が――。
「……確かに悪くないな、乗った」
俺は、差し出された悪魔の手を握った。
「YES!! ではお休みなさい!!」
「――――は?」





