表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/27

過労死聖女の地獄篇 ~住めば都と言いますが、堕ちれば地獄も悪くない~

 ティルダは、聖女と呼ばれ民のため国のためにその力を捧げて来た──はずだった。ある日、氷の宮殿で目覚めたティルダは、その宮殿の主を名乗るジュデッカに、彼女は死んで氷の地獄コキュートスに堕ちたのだと語る。

「いいえ、ここが地獄だなんて信じられませんわ」

 だが、寝る間も惜しんで聖女業に励み、そして過労死した(らしい)ティルダにとっては、何もしなくて良い氷の荒野は天国だった。

「ここにもお花が咲いていれば良いなあ、って──」

 かつてない「罪人」の言動に魔王は戸惑い、コキュートスで氷漬けになっていた罪人たちも目覚め始める。神代の怪物、傾国の美女、歴史に名を遺した名将──ティルダの存在は彼らにも影響し、コキュートスの酷寒は緩んでいく。

 とはいえ、地獄に堕ちた以上はティルダも罪人だった。彼女の「本当の」死因、彼女の罪はやがてコキュートスにも追いかけてきて──



 ティルダが目を開けると、見たことのない壮麗な天井が彼女の真上に広がっていた。青と銀を基調とした精密な細工は、王宮や王都の大聖堂と見まがうばかり。でも、彼女が眠りに就いたのは辺境の砦の一室だった。厚く冷たい石の壁が四方から圧し掛かるような狭い部屋で、毛布に包まって寝たはずなのに、いったいいつの間にこんなお城に来たのだろう。

 目を瞬かせて不思議に思うティルダの耳に、低い男性の声が降って来る。


「目覚めたか、罪人」

「──っ、も、申し訳ありません……!」


 声の主が誰かを考える前に、ティルダは反射的に身体を起こす。どうやら彼女は、天井と同じく美しい細工がされた石の床に直に寝かされていたらしい。どうしてそうなったのかは分からないまま──ティルダは衣装の裾を払い、その場に跪いて手を組んだ。彼女が呑気に怠ける暇など許されない。それを弁えていると、示すために。


「今日は、何をすれば良いのでしょうか。兵士の皆さんに祝福を与えますか? 大地に豊穣の祈りを? 怪我や病気に苦しむ方がいるのですか?」


 目を伏せると、組み合わさった指にはらりとティルダの金の髪が散った。寝起きにしては癖もついていないのは、誰か──従者のカイが梳いてくれたのか。


(え……起こしもしないで……?)


 何かがおかしい、と思った。いくら熟睡していたとしても、ベッドから引きずり出されて気付かないほど彼女は鈍くないはずだ。

 一度違和感を持ってしまうと、おかしいことだらけだった。跪いた姿勢から見えるのは白い生地、こんなワンピースは持っていなかったはず。美しい模様で彩られた床は、よく見れば霜がおりている。屋内でも凍り付くような、極寒の季節ではないはずなのに。


(私……私……?)


 なぜだか嫌な予感がして、心臓が高鳴る──はずが、ティルダのささやかな胸は静かなままだ。まるで心臓が止まってしまったかのよう。冷や汗をかいても良いはずなのにそれもない。


「寝惚けているようだな、罪人」

「あの、閣下……?」


 混乱するティルダに対して、男の人の声は低く落ち着いていた。彼女をあざ笑う気配さえあるけれど、ティルダが頼れそうな相手はその人しかいない。だから恐る恐る顔を上げて──彼女は感嘆の溜息を吐いた。


 閣下、と呼んだのはその人が軍服を着ていると思ったからだ。すらりとした長身を包むのは、黒一色に、銀の飾りを配した凛々しい装い。床にまで届くマントも黒、ただし裏地は深い青で、凍ったようなこの城の気配によく似合う。胸には勲章の代わりにやはり銀の鎖が下がっているのがやはり優美で、その人の冷たい凛々しさを際立てる。


(いいえ……格好だけではなくて……)


 その人自身の容姿がたとえようもなく美しかった。ティルダを見下ろす目の色は夜の色。肩を流れる髪の色も。けれどまったくの黒一色ではなくて銀の輝きを帯びている。氷に包まれているかのような寒々しい色合いが、その人の整った顔かたちにはよく似合う。神の手が丹精した彫刻のよう、だなんて不遜なたとえが思い浮かんでしまうほどの端正さ。それでも目に宿る強い光が女々しい印象を与えない。白い頬が浮かべるの傲慢そのものの笑みは、彼の美しさを損なうどころかいっそう蠱惑的に見せている。

 どこまでも整った彼の唇が動く。彼の姿を直視してしまった今、そうして紡がれる声も耳に蜂蜜を注がれるように甘いと思えた。


「閣下、などと人の呼び方で俺を呼ぶな。俺はこの牢獄の番人。氷の獄を統べる魔王。コキュートスの主ジュデッカ──」


 コキュートス。ジュデッカと名乗った美しい人が紡いだその単語を聞いて、ティルダは震えた。どういう訳か身体では寒さを感じなくても、魂が震え上がったのだ。だって、その単語の意味は──


「地獄の底の地獄、涙も凍り魂も氷と砕け散る嘆きの氷原(コキュートス)にようこそ、罪人よ」


 こつ、と石の床を鳴らしてジュデッカはティルダの方へ歩み寄ってくる。彼女を見下ろす氷の目には愉悦が浮かんでいるようだった。彼の言葉でティルダが怯えたのを見て取って、満足したかのように。


「その可憐な(なり)で何をしたかは知らないが。お前は死んで、地獄に落ちたのだ」

「わ、私……もう、死んで……?」


 ティルダが喘ぐと、身体が揺れるのにつれて彼女の視界も揺らいだ。自然、ティルダがいる場所を、もう少しはっきりと見ることができる。既に把握していた、見上げるほどの天井の高さや床の細工の精緻さ美しさ。それに加えて、広さも王宮の謁見の間や大聖堂の礼拝の間に引けを取らなかった。ただ、ジュデッカと名乗った美しい魔王とティルダのほかには誰もいないのが不吉だった。着飾った貴族が居並ぶのでもなく、祈りを捧げる民が集うのでもなく。でも、確かにどこもかしこも凍り付いてはいても、この壮麗な城が地獄と言われても受け入れがたい。


「いいえ、ここが地獄だなんて信じられませんわ」

「惚けようとしても無駄だ。俺は罪人の量刑には関わらないからな。この氷の地獄(コキュートス)に堕ちた以上は相応の罪があったのだろうよ」


 ふるふると首を振るティルダに、ジュデッカは冷たく嗤うとマントを翻した。凍った床を靴で鳴らして彼が向かうのは、広間のほかの部分と同様に霜が降りた玉座だった。白い石でできた、巨大な狼の彫刻が守るように玉座の脇にうずくまっている。玉座に腰を下ろして脚を組み、狼の頭に手を載せる──そう、美しくも傲慢なこの人も、氷の魔王と呼ぶのがこの上なく似合うと思うけれど。でも、ティルダにも言い分がある。


「だって、身体がとても楽なのですもの! 眠くも怠くもないし、気分もすっきりとしていますし。疲れた感じも全然ありません。……ここが、地獄だなんて……」

「……何を言っている?」

「ほら、こんなに軽やかに回れるのに!」


 怪訝そうに眉を顰めるジュデッカは信じてくれないようだった。立ち上がり、ワンピースの裾を摘まんでくるくる回るティルダを、気味の悪いものを見る目で眺めていて。これだけ激しく動いても目眩もしないし倒れることもしないのが、彼女にとってどれほど珍しくて嬉しいことか、彼は分かってくれないのだ。こんな爽やかな気分は天国にいるとしか思えないのに!


「おかしな罪人が堕ちてきたものだな……!」


 困り果てて佇むティルダに、ジュデッカは舌打ちしながら再び立ち上がった。彼が長い脚を大股に踏み出すと、ふたりの間の距離は瞬く間にゼロになる。ティルダがひとつ呼吸をする間に、ジュデッカは彼女の胸ぐらを掴んでいた。ティルダの爪先が宙に浮き、ジュデッカの鋭い氷の眼差しが目の前に迫る。


「ここに堕ちるのは己の罪を承知したうえで俺に自慢するようなどうしようもない連中ばかりだ。見た目は可愛らしい小娘、お前は一体何をしでかしてここに来た?」

「私、は……」


 神の手による彫刻のような整った顔を間近に見ても、胸元を掴まれて持ち上げられても、息が乱れることはない。苦しさもなく声を紡ぐことだってできる。


(やっぱり……私、生きてはいないの……?)


 ()()()生きているならあり得ない事態を自覚して、ティルダの血の気が引いた。もちろん気分だけで、体温の変化も血の巡りもまったく感じないのだけど。


(私……私、死ぬわけにはいかないのに!)


 焦る中でも、ジュデッカの問いは重要なことだと思った。彼女が死んだとしたら、なぜなのか。()()の最後の瞬間に、彼女は何をしていたのか──ティルダは懸命に記憶の糸を辿ろうとした。


「私は……エステルクルーナという国で聖女と呼ばれていました。人の身には珍しいほどの魔力だとお褒めいただいて……だから、人々のために尽くさなくては、と……」

「神に等しく崇められて驕ったか? 恋に溺れて務めを疎かにしたか? それとも財貨や贅沢に惹かれて堕落したか──そのために断罪されたのか?」


 ジュデッカが皮肉っぽく尋ねたようなことはなかった、はずだ。驕るなんてとんでもない、ティルダが手を差し伸べるべき苦しみや悲しみは地上に溢れていて、だから休んでいる暇などないと言われていた。食べるのも飲むのも眠るのも、そんなことをしている場合ではないという罪悪感や焦燥感と隣り合わせだった。そう、だからこそ彼女は死んでいる場合ではない。


「いえ……昨日もカイ──従者に薬湯をもらって寝たはずで」


 少しは寝ないと、と訴える、同じ年頃の少年の姿が目に蘇る。彼の困ったような顔も、薬湯を入れた椀の温かさも覚えているのに。目を閉じた後の記憶が彼女にはさっぱり思い出せなかった。


「小さな聖女様」

「きゃ!?」


 と、不意に知らない声が響いて、ティルダは小さく悲鳴を上げた。誰もいなかったはずなのに、と広間を見渡すと──玉座を守っていた狼の彫刻が、優雅に立ち上がるところだった。ふるりと身体を震わせると、白い毛皮を彩って細かな煌めきが宙に舞う。石の彫刻に見えたのは、全身を霜と氷に覆われていた上に微動だにしなかったから、らしい。


「シェオル。余計な口を挟むな」

「ですが我が君、問い詰めるばかりでは何も分かりませんでしょう」


 不機嫌そうに唸るジュデッカに、シェオルと呼ばれた狼は穏やかに答えた。口を開けてもいないのにどうやって喋ったかは分からないけれど。


「貴女の死因……もしや、()()()、では?」


 馬のように乗れるのではないかというくらい巨大な狼が霜を踏む、ぽふぽふとという音が近づいて来る。ティルダなんてひと呑みにできそうな──でも、彼(彼女?)は牙を剥くこともなく首を傾げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  ▼▼▼ 第12回書き出し祭り 第1会場の投票はこちらから ▼▼▼ 
投票は5月8日まで!
表紙絵
― 新着の感想 ―
[良い点] 丁寧な文章で、展開も無理がなくて読みやすい。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ