染まらぬ令嬢と影の王
霊峰山イストラルに存在する王国は、色に厳格な格式を定めている。白は王族に認められた者だけが着用を許され、黒は禁忌とされる。
リエラクローネは公爵愛人の子であることを隠し続け、王太子の婚約者として育てられた。
婚約破棄をきっかけに国を出ていくつもりだったが、イストラルの裏世界に住む影の王に魅入られ、暗黒に引き摺り込まれてしまう。
死と生の間の存在になったリエラクローネは影の王の"寵愛"を受けることを許すが、自分が影の王に選ばれたことに疑念を持つ。理由を探して、リエラクローネは影の世界を抜け、再びイストラルに戻る。
イストラル王国では、色に厳たる格式を定めている。そのため王宮で執り行われる夜会はその家柄ごとに着る色が決まり、王に認められた者のみが純白を纏うことを許されていた。
だが。
「余は、リエラクローネ・ヴラル・オルカナールとの婚約を破棄する!」
白のドレスを着ていたリエラは、これから召し替える必要があった。
王太子の宣言は色とりどりのドレスとイブニングコートの参加者たちをざわりと騒がせたが、名を叫ばれた齢十七の少女はいつも通りの暗い表情を崩さない。
「余は誠に愛するべき者を得た。隣に立つルジュリーを、正妃に迎える!」
王太子の横に並ぶ紅のドレスの少女は美しく、太陽のような微笑みを浮かべていた。
「正に! ルジュリー様こそ正妃に相応しい!」
「王太子万歳! ルジュリー様万歳!」
ぱち、ぱち、ぱち、と徐々に湧くような拍手喝采が贈られ、王太子たちを持ち上げる掛け声がホールに響き渡った。祝福が散る。
そんな茶番も、リエラにはどこかのっぺりした光景に見えた。
「(もういいかしら)」
リエラはふいとそっぽを向いて、いそいそとホールの出口へと向かう。
白は嫌いではなかったが、着られなくなるのは残念だ。派手すぎず地味すぎず、壁際でじっとしていれば姿が目立たなくなる色だったから。
──婚約破棄の話は事前に聞いていた。数日前、オルカナール公爵とリエラは王宮に呼びだされ、「突然だが、婚約を取り消しにしてくれまいか?」と、王と妃に持ちかけられたのだ。最初、公爵は丁重に反対したが、金品を見せられてころりと了承を口にした。リエラは意見を言える立場ではないからと終始黙っていた。
その後王太子には、白のドレスを着て夜会に参加して欲しいと頼まれた。「突然の告知で皆を驚かせたいのだ!」という希望である。
意中の相手との婚約発表を大々的にしたくて、振る相手への気遣いが頭から抜けていたのかもしれない。でもリエラは頷いた。きらきらした目をする王太子に反論することの方が面倒だった。
「(……あ)」
ホールを出る前に、ちらりとよく知っている顔を見かける。銀色の長い髪と、腰に短剣を携える軍士官兼貴族の者。やや不機嫌そうにしながら手を叩くオリエントは、リエラと幼き頃からの仲である。学校に入ってから、ほとんど交流はなくなっていたが。
「(オリエンはどう思っているのかしら?)」
昔からの愛称を心の中で呟いたが、「……気にしていないわよね」と自己完結する。
「(もう会うこともないでしょうし)」
リエラはこれから遠くに行く。父と継母の指示だった。特に継母と妹はリエラを追い出す理由ができたために、最近は機嫌がいい。
今までは、幼き頃に王太子に魅入られたから家にいられた。召使いの子でありながら純血の貴族として振る舞い、真の生い立ちを隠し続けてきた。
『王太子が公爵の愛人の娘と婚約していた』という醜聞より、こうして振られた方がまだ見栄えはいい。同情はされるだろうし、公爵家が汚名を着ることもない。
よくできている。よくできすぎている。
リエラがじっと黙るだけで、全てが丸く収まるのだから。
──それでいいのか。
「いいのよ、これで」
幾何学模様の床を眺めながら、どこともない声に答えた。
──ならば、我のもとに来い。
「え?」
自分に話しかけた相手を探して、リエラは顔を上げる。開いた大扉の長番からしゅわしゅわと黒い泡が吹き出していた。やがてそれは縦に伸びて、中から人が現れる。
「っ!?」
それは色を持たない男だった。灰をのせたような肌以外、全てが闇に塗られている。短髪、鋭い瞳、イブニング、ウエストコート、ブリーチズ。だが服にはビロードの光沢があり、辺りの光を転がして、てらてらと跳ね返していた。
「……あなたは、」
初めて見る顔だが、リエラはその風貌から男の正体を察する。そして身じろぎするように一歩引く。
煌びやかな世界に黒は御法度。黒は死の色。影の奥から現れた彼は、生きた人間ではない。
身分に関わらず、学徒は皆習う。
イストラル王国の裏にも世界があると。
表裏一体だが、決して交わることのない国。
その支配者は、
「……影の王」
「きゃああああ────ッッ!!」
つんざくような悲鳴が広がった。リエラではない。偶然扉の方を向いた婦人が、黒い男の姿を捉えたのだ。リエラは男の気が逸れた隙を見て走り出したが、黒いリボンのようなものがしゅるしゅると腕や首に巻きついてきて、逃走を止められた。
どうやら影の王の服から伸びているようだ。リエラは抵抗も虚しく男の前へ引きずられる。
『すでに生き場所のない小娘が、なぜ逃げる?』
灰色の唇が横に伸びるのを見て、リエラはぞくりと震えた。
さっきのやりとりを思い出し理解する。影の王がリエラを死者の国に連れ込もうとしているのだと。
「(……ああ、そっか)」
すんと体の力が抜けた。諦めた気持ちが緊張をほぐす。
影の王の言う通りだ。自分はもうイストラルにいる意味はない。
いなくなった方がいい。そうすればみんな幸せだろう。
引かれる力に従って、黒く沸騰する裏世界の入り口に近づく。
──その時だ。誰かが影の王に飛びかかったのは。
ビュンと装飾の濃い短剣が振るわれる。それを避けて影の王は後退し、長番の泡の中に逃げ込むようにして消えた。
オリエントはリエラを縛る黒いリボンを素早く切り落とし、「下がれ!」と背後に庇う。
「不埒者が! ここは王宮の土地だ! 黒き者が踏み入ってよい場所ではないッ!!」
オリエントが泡立つ影に吼える。影の王の襲来に怯えていた貴族たちも、「さすがは英雄の血を引く者だ!」「よいぞ若き軍貴公!」と、だんだんオリエントを応援する空気に変わっていった。
「こ、これは何の余興だ? 余は何も聞いていないぞ!?」
狼狽しながら叫ぶ王太子と驚きで口元を隠す赤い少女に多くの背中が向けられる。視線は全て、影の王に立ち向かった青年と庇われた娘に注がれていた。
リエラは自分が目立っていることに戸惑いつつも、オリエントの分厚い背中を見上げる。
「オリエ……」
「貴様は何でも受け入れて誰にでも従うつもりか。だから王太子にも捨てられるのだ!!」
幼馴染の一喝に、リエラは口を閉ざす。
その言葉に悪意がないことはわかっていたが、的を射すぎている叱咤はぎゅっとリエラの胸を締めつけた。
……それなら、何でも受け入れて、誰にでも従う以外にどうしたらいい?
オリエントもリエラの本当の生い立ちを知らない。真面目で厳格な彼が真実を知ったら、きっと酷く不愉快な顔をするだろう。
助けてくれたのはリエラのためではなく、軍貴として影の王へ反撃したに過ぎない。
きっとオリエンはリエラを嫌っている。そうでなければ、学校でリエラを無視するようになるはずがなかった。
『……このような場所にも、我を恐れぬ者がいたとはな』
影の王の声が近い。オリエントがどこにいるのかと首を回すが、姿はなかった。
リエラはいつもの癖でふと足元を見る。オリエントの影が広がっていた。
「影……」
そういえば、長番にも扉の影が落ちている。
「そっか、下から──」
リエラは気がついたがすでに遅い。
黒く瞬間沸騰した床から影の王が生え、鞭のようにしなるリボンでバチンとオリエントをはたき飛ばした。
「オリエン!」
壁に叩きつけられた青年をはっきり捉える間もなく、リエラはずぶりと暗黒の中へ引き摺り込まれた。
▪️▪️▪️▪️▪️▪️
『リエラ。起きなさい、リエラ』
リエラは優しく揺すられる。寝ぼけ眼をこしこしと擦って、人の姿を見つけた。
「……お母、さん……?」
そこには使用人がいた。ずっと小さい頃の、朧げな記憶の中にいる実母によく似ている。
『そうよリエラ。お母さんのこと、覚えてる?』
はっきりと浮かぶ人の顔を見て笑いかけ、はっとする。
暗い。いや、ありえないくらいに真っ暗だ。上も下も横も一面が黒の世界。光がないのに、空間が切り取られたように使用人の姿だけがあった。
「まさか」
リエラを産んだ母はすでに世を去っている。つまりここはイストラル王国の裏側。死者の国だ。
『目を覚ましたようだな』
親子の再会に低い声が割り込んできて、リエラは慌てて体を起こす。ベッドの上にいるのかと思ったが、柔らかいシーツも枕も、床の感触すらない。何もない場所だ。
『其方は下がれ』
『はい、王様』
母の姿をした使用人はすうっと透明になるように姿を消した。それを不安そうに見届けてから、リエラは影の王に声をかける。
「私、死んだの?」
『完全なる死者ではない。生者でもあり死者でもある、特殊な存在といったところか』
「……どういうこと?」
『本来、死者と生者は交わることがない。だが影の王の身内のみ、生者の世界と行き来が可能だ』
「身内?」
合点がいかず首を傾げると、影の王は白い腕を伸ばし、リエラの顎を抱くようにして親指を唇に乗せる。
『我と愛の契りを交わした者は、影の王の妻となる』
リエラは寡黙だが賢い少女だった。
寝ている間に何をされたのか想像して、顔じゅうにかあっと熱をのぼせた。





