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悪魔か神か

誤字報告ありがとうございます。

誤字を修正しました。

そこは墓地だった。

歴代の聖女さまが葬られているところ。

きちんと手入れがされていて全てのお墓に綺麗な花が飾られている。

今は月明かりに照らされたその墓地の奥、ひとつのお墓の前にエマはいた。

埋まるように背中を丸めて。

苦しそうな呼吸の音が聞こえる。背中が大きく上下していた。


「エマ…?」

「アリス、あまり近づくな!」


駆け寄ろうとする私をロゼさんが止めた。

そう、私はひとりではなかった。

伝令鳥が言葉を伝えたとき、ロゼさんは罠だと言ったわ。私は行くべきではないと。


でもね、エマ。

罠とか関係ないわ。

あなたが「助けて」と言ったから、私はここへ来た。


ロゼさんが伝令鳥をいくつも飛ばしていたから、やがてバレットさんやフェニさんも駆けつけてくるでしょう。


「アリス、さま…?」

「………………エマ」


私は言葉を失った。

肘をついて上体を支え、苦しそうに顔を上げた、そのエマの顔は。

美しかったエマの顔は、半分が爛れ落ち、美しさは見る影もなくなってしまっていた。


「エマ、どうして…」

どうして、こんな姿に…?

ずる、と崩れかけた身体を引きずって、エマが私に近づいた。


「ああ、アリスさま。アリスさま。助けてください、アリスさま。どうか、あなたの命を、私にください」

「っ! アリス!!」

伸ばされた手が私に届く前に、ロゼさんが私を引き寄せ、枯れ枝のようになったエマの腕を蹴りつけた。


「エマ!」

エマは呻めきながらギラギラとした目で私を見たわ。

「う、うう。なぜ、なぜ術が効かないの…」

術?

そのとき、エマのすぐそばにある()()に気づいたの。

それは闇だった。

ぼんやりとした輪郭の縦に長い楕円形のような、真ん丸のような、黒い闇。


あれは何かしら。


私は一歩エマに近づいて、膝をついた。

エマと目線を合わせて話をしたかったから。


「エマ、一体、何があったの?」

「何が…? ええ、アリスさま、どうしてこうなってしまったのでしょう。術が効かないのです。父である悪魔より授けられた術が。今まではちゃんと聖女の命を奪うことが出来たのに。それなのにあなたの命は少しも奪うことが出来ない。だから私の姿はこんなにも壊れてしまった」


父である悪魔?

聖女の命を奪うですって?!


「お前が、マユリさまの命を奪ったのか!」

叫ぶようにそう言ったのはカウムさんだったわ。

バレットさんやフェニさんも息を切らせてやって来ていた。


エマは氷のような冷たい目でカウムさんを見つめて、にっこりと微笑んだわ。


「ええ、そうよ宰相補佐。お可哀想なマユリさま。聖女としてこの世界に来ることがなければ、そんな死に方をしなくても良かったのにねぇ?」

「なぜ、マユリさまを殺した…?」

カウムさんの声は震えていた。

「この世界から『聖女』を奪うためよ!」

エマは怒りを抑えるような低い声で言い放ったわ。


「エマ? どういうことなの?」


エマは墓石を抱きしめるようにして身体を支えていた。


「ねえ、アリスさま。遠い遠い昔、まだ『聖女』がいなかった頃、この世界の天気は神が統べていたのですよ」


エマが苦しそうに息を継ぐ。


「この世界の神様は気まぐれで、ときどきいなくなってしまうのです。神が不在の間、天気は荒れ放題。時の国王は神に直訴なさいました。神がこの世界を離れるときは使いを寄越して欲しい、と。気まぐれな神は答えました。異世界より女を連れて来ることが出来たなら、神に代わって天を采配する力をその女に貸与しよう」


神が、力を貸与…? 貸与………。


「そうして1人目のお使いが連れてこられました。神の力を振るうのに相応しい美しい方だったそうですよ。でもその力は貸し与えられたもの。神が戻って来れば力を失い、役目を終える。不要になった『お使い』はどうなったと思います? 用済みとして、処分されたのですよ」


「……………」


「そうして連れてこられた5人目の『お使い』が私の母です。母はこの世界を憎み、恨み、そうして呪い、悪魔と契って私を生んだのです。悪魔の力を借りて、母はこの世界に呪いをかけました。自分の命を犠牲にして、この世界を呪ったのです」


5代目の、レイコさまがエマの母親?

エマはレイコさまが生んだ子供、その人だというの?


「レイコさまは呪いで何を願ったの?」


そっと問いかけると、エマは息を整えるように静かに呼吸を繰り返してから答えた。


「天気を操る全ての力が聖女のものとなることです。この世界が、『お使い』無しには成り立たないように。道具のように使い捨ててきた『お使い』に媚びへつらい平伏して、屈辱を味わうように、と」


そう言ってエマは苦々しく笑った。


「でもね、アリスさま。この世界の人たちはダメなんです。まるでダメ。自分たちの罪深さをまるで分かっていない。『お使い』が常に必要なら生かしておけばいい、ちゃんと役目を果たすよう、呼び方も『聖女』と改めて、祭り上げておけばこの世界の役にたつだろう。そんな風に考えるお気楽なひとたちですもの。これじゃあ、母は浮かばれません」


はあ、と大きく息を吐き出して、エマは私を見た。

穏やかな目だったわ。


「だから、私はこの世界から聖女を奪うことにしたんです。絶対に聖女が必要な世界から聖女を奪う。そうすれば、いくら暢気なここのひとたちでも、絶望という言葉の意味を知ることが出来るでしょう。ですが、世界から聖女を奪い続けるには、世界に絶望を与え続けるには、私の命はあまりにも短い。だから、悪魔に力を借りたのです。母の呪いを叶えた悪魔に。私の父に」


笑みを浮かべたエマが隣に佇む闇を見た。

闇はただ、静かにそこにあったわ。


「父が私に授けてくれた力は、私の望みを一度に叶えてくれました。聖女からその寿命の残りを奪って、私の寿命に加えるのです。一度には出来ないので少しずつ。聖女の寿命を全て奪い、残りの寿命が尽きたとき、彼女たちは自らその生を終えたかのように死んでいくのです。なのにアリスさま、あなたからはほんの少しの寿命すら奪うことが出来ない。どうしてでしょうね?」


どうして?

そんなこと分からない。

黙って見返すだけの私をエマもただ見ていた。


そのとき、闇が言ったの。


『そなた、アリスというのは真の名ではないな?』


「っ…………!」


私、思わず息を飲んだわ。

そう、この世界で名前を聞かれたとき、魔法の存在する世界で本当の名前を告げることを躊躇った。

怖かったから。

だから私は本当の名を言わなかった。


『その者に与えた術は、聖女の真の名を使わねば効果を発揮しない。用心深い聖女がいたことだ』

その声は、まるで面白がってでもいるみたいな気配を滲ませていた。私は訊ねたわ。


「あなたは本当に悪魔なの?」

私の問いにエマが不思議そうな顔をする。なぜ、当然そうであることを聞くのか、と。

『われにそのような区別はない。人間が勝手に言っていること』

そう。

頷く私をよそにエマが目を見開いて闇を見る。

私は、重ねて訊ねた。

「あなたは、エマの父親なの?」

『われとひととの間に子は出来ぬ』

そう、でしょうね。

私は頷いたけど、エマは信じられなかったみたい。

「そんな! 嘘よ、だって……」

だっておまえは悪魔の子だって、みんなが言ったもの…。


エマの呟きを、悲しい思いで聞いたわ。

悪魔の子だと言われたの、エマ?

それを信じて、こんなに恐ろしいことをしてきたの?


私は首を振って、エマを見た。

「エマ。生き物は異なる種族との間に子供を作ることは出来ないわ。犬と猫の間に子供は生まれないし、ひとが獣と交わっても子供は出来ないの」


「アリス…」


あら、ロゼさんがなんだか脱力したような声で私の名を呼んだわ。例え、変だったかしら。


「だから、あなたの両親は2人とも人間だわ。おそらく、レイコさまはこの世界に召喚されたとき、すでにあなたを身ごもっていたのよ。あなたの父親はレイコさまが愛したひとに違いないわ」


「…………」


エマがぽかんと私を見ている。


「ねえ、エマ。あなたはひとりでずっと頑張ってきたのね。辛かったでしょう? 怖いこともあったでしょう。だけど、レイコさまの思いに寄り添うために、レイコさまと一緒にこの世界を憎んできたのね」

「アリスさま…」

私は少し、エマに近づいた。

「この世界のひとたちは、異世界からひとを召喚する、ということに対して、たしかに少し、利己的ね。あなたのお母様や、それ以前に召喚されたひとたちへの仕打ちを思うととても擁護できるものではないわ。あなたのお母様が恨むのも呪うのも、無理からぬこと。でもね、エマ。思い出してみて。レイコさまはあれだけ憎んで恨んだこの世界を、命を賭して呪うのに、この世界を滅ぼして欲しいとは願わなかった」


ノートには書かれていたわ。滅んでしまえばいいのに、と。

けれど、いざ呪おうとしたときにはそうはしなかったのよ。

それはなぜか。


「あなたがいたからだと思うわ」

「………私が?」


頷いて私はまた少し、エマに近づく。


「あなたが生まれたから。あなたの生きる世界だから、滅ぶのではなく、以降召喚される女性の待遇の改善を望んだのではないかしら。気まぐれな神様から、天気に関しての全権を奪い、のちの聖女に託すことであなたの住む世界を守った。あなたのために」


私はそっと手を伸ばした。あと少し。


「あのね、エマ。私のいた世界にはたくさんの宗教があるわ。たくさんの神様がいるの。私が生まれた国は信仰に対してとても寛大な国だったけど、そうでない国もあるわ。自分が信じる神様とは違う教えを説く神様を人心を惑わす悪魔だ、と言ったりね」


「悪魔…」


私はエマの手を取った。おばあちゃんみたいに小さくしわの多い手を。


「そう。神様と悪魔は表裏一体。見る人によって見えかたが変わるだけ。あなたが悪魔と呼んだものは、この世界に来ることを望んでいなかった異世界の女性たちにとっては、紛うことなく悪魔だった。でも、この世界のひとたちにとっては、紛れもなく神様なのよ」


闇が、少しずつ白んでいく。内側から光りだすように。

私はエマを抱きしめた。


「エマ。あなたが父だと思っていたものはあなたの父親ではないけれど、あなたにとっては支えだったのでしょう?父だと思ってもいいと思うわ。だけどあなたは悪魔の子ではない。愛されて、幸せを願って生まれてきた、神の子よ」

「アリス、さま…」

「あなたは頑張ったわ、エマ。でもね、ひとの命を奪うのはいけないことよ」

私はエマの目を見て微笑んで見せた。

「命はそのひとだけのものだわ。他人が奪うことは許されない。だからエマ、もう、終わりにしましょう?」


最期にエマはとても綺麗に微笑んだ。美しかったときのように、とても綺麗に。

私は、腕の中で力をなくした、骨だけになってしまったエマを抱きしめた。


「アリス!」


ロゼさん、バレットさんにフェニさん、カウムさんもみんな駆け寄ってきてくれた。

「大丈夫か、アリス?」

ええ、大丈夫よ。


「すごいね、アリスは。レイコさまの気持ちをあんなに理解出来るなんて」

「ええ、本当に。私はもっと激しい戦闘になることを覚悟していました。それなのに会話だけで解決してしまうなんて、正直、驚いています」

口々に言われて、私は曖昧に笑った。


レイコさまの気持ちなんて、分からないわ。

本当はなにを望んでいたのかなんて、知りようがないもの。本当の本当は、すぐにでもこの世界が滅べばいいと思っていたかもしれないし、エマが母親の復讐をしてくれることを願っていたかもしれないわ。


だけど、エマ。あなたが『助けて』と言ったから。

あなたを、あなたの心を、助けたいと思ったの。


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