ピクニック
うふふふふ。
厨房で、その甕の蓋が開けられるのを、ワクワクしながら見守った。
ぱか。
「わあ!」
すっぱいシソの香り! 美味しそう〜。
そう! 梅干しよ! 正確には梅漬けかしら。
あの、レシピ集に書かれていたの。作り方を説明して厨房の皆さんに作ってもらったのよ。
本当なら3週間とか1ヶ月とかかかるみたいなんだけど、そこは魔法の力でぎゅぎゅっと短縮してね。
なんと3日で出来上がりよ。
さっそく味見したらとても美味しかったわ。良い酸っぱさ具合なのよ。
みんなにも食べてみてもらったんだけど…、反応は、ちょっと、いえかなり、微妙だったわね。
やっぱり食べつけてないと難しいのかしら。
元の世界でも、外国の方は納豆とか生卵とかに抵抗があったりするみたいだし。
大勢の人に喜んで貰えなかったのは残念だったけど、私が独り占め出来ると思えば、まあ、よしとしましょう。
梅干しが受け入れられなかったのは正直誤算だったわ。でも、まあ、梅干し無しでもね、いつも通りってことで。さあ、お弁当たくさん作るわよ!
今日はね、お弁当作りに私も参加したの。
私の担当は卵焼きよ。
我が家はしょっぱい卵焼きの文化なんだけど、甘い卵焼きが好きな人も多いわよね。
しょっぱい卵焼きも甘い卵焼きもどんどん焼くわよ〜。
私は朝から厨房の皆さんと大量のお弁当を作ったのだった。
「そんなに作ってどうするんだ? 今日は慰問に行く予定は無かっただろう?」
不思議そうなロゼさんに、私はにっこり笑って言ったわ。
「ピクニックしましょう!」
今日はとっても良いお天気なのよ!
なんてね。
お天気は私の手の中なので、いい具合にピクニック日和よ。
春ももう遠くない。
そう感じられる穏やかな日。
私はエマとバレットさん、フェニさんを誘って東の森にやってきた。
東の森は勾配のほとんどない、なだらかな道の続く森で少し遠いけど広い丘があるの。
私たちはそこまでのんびり歩いたわ。
「見て、エマ。小さい花がたくさん咲いてるわ」
「あれは、アルメリアですね」
アルメリア? なんか、聞いたことあるけど、こんな花なのね。
海のそばに咲くイメージのお花よね?
「あ、あっちの紫の花はカタクリじゃない?」
「どちらですか? ああ、そうですね」
ふふ。
小さな花を見つけてははしゃぎながら歩く。
私、お散歩が嫌いでなくて、本当に良かったわ。
だって、テレビもゲームも無いんだもの。貴族のお嬢様方の道楽はお茶会や夜会といったものらしいけど、私にとってそれらはあんまり楽しめるものではなくて。
庶民の楽しみはこうしたピクニックやハイキング、地域のお祭りといったものだ、と聞いたから。
ピクニック!
楽しそうでしょ?
子供のころ、遠足に行ったのを思い出したわ。
お気に入りのリュックサックを背負って、仲の良かったお友達と手を繋いで歩いた。いつもとは違う見たことのない景色の中を笑いながら。
そして、遠足の一番の楽しみはなんといってもお弁当よ!
幼かったあの頃とは違うけれど、エマやロゼさんやバレットさんやフェニさんと野外でお弁当を食べたらきっと楽しいわ!
私が外出すれば特務師団のひとたちも護衛のためについてくることになるでしょう?
だからいっそのこと特務師団のひとたちも、みんないっしょにピクニックをしたらいいと思って。
大量のお弁当を前にロゼさんにそう言ったら目を見開いて唖然としていたけれど、すでに全員参加でないと食べきれないほどのお弁当が出来ていたから、渋々だったけど許可してくれたの。
まあ、こういうのはやったもの勝ちよ。
ね?
普段はこっそり目立たないように護衛してくれる特務師団の皆さんだけど、今日はわいわいと賑やかに隠密することなく歩いているわ。
こうしてると本当に遠足みたいね。
「わあ! すてき!!」
目的の丘には、一面にオオイヌノフグリが咲いていたわ。少し、エリカの花のピンクも見えるわね。
私たちはそこにレジャーシートを敷いて、お弁当を広げたのよ。
「アリスさま、とても見晴らしの良い場所ですね」
エマが丘の先の方から下を覗き込んでいる。
エマったら、そこ、結構な崖よ? 気をつけてね?
「アリス? これ、ここに並べちゃっていいの?」
バレットさんが唐揚げの大皿を掲げているわ。
あ、溢れちゃう。待って待って、ちゃんと平らに持って!
「アリスさま、皆さんにお茶をお配りしてよろしいですか?」
よろしいですよ。私も手伝うわね、フェニさん。
「お手伝います!」
駆け寄って来てくれたエマと手分けしてお茶を配ろうとしたとき、
「アリスさま! なにかお手伝いすることはありますか?」
騎士団の新人さん、タクマが人懐っこい笑顔でやって来た。
「ありがとう、タクマ。それじゃあ、このお茶、皆さんに配って貰える?」
タクマは拓真とよく似た素直な笑顔で応じてくれた。
「すごいことになってるな」
「ロゼさん。どうでした?」
周りを見回って来てくれたロゼさんにお茶を渡す。
「ああ、問題ない」
「そう、ありがとう。じゃあ、食べましょうか!」
唐揚げ、おにぎり、卵焼き、コロッケ、エビフライ、マカロニサラダ、デザートにカットフルーツ。
うん。なかなか豪華になったじゃない?
其処此処でお弁当に対する歓声が上がっているわ。
特務師団への慰問はないから、みんなはまだ、この唐揚げとおにぎりのお弁当、食べたことなかったのよね。
美味しいのよ、本当に。
さすが、国王さまの住むお城で厨房を任されている料理人さんだけあるわ。
美味しいものを食べているときの美味しい顔って、見るひとを幸せな気持ちにさせるわよね。
さあ、私も食べよう。
私は自分用の梅干しおにぎりにかぶりついた。
あら?
「鮭…?」
おかしい。中身が鮭だわ。
じゃあ、私の梅干しおにぎりはどこ…。
「うわっ、すっぱ!! アリスっ! このすっぱいのはなんだい?!」
あら?
バレットさんたら、そんな立ち上がるほど驚く?
「んんん、アリスさま。この、とてもすっぱい赤い実はなんですか?」
あらららら?
エマったら、涙が。そんなにすっぱいかしら。
え〜と、それはね。
「梅干し、というのよ。それは紫蘇でつけたものだけど。私の世界ではおにぎりの具として定番のものなの。私用に作ったんだけど混ざっちゃったみたいね。ごめんなさい」
あは。
笑って誤魔化そうと思ったけど、見るからにすっぱい顔になってしまったバレットさんとエマにちょっと申し訳ない気がしたから謝ったわ。
なんで混ざっちゃったのかしら。
…ロゼさんったら、笑ったら可哀想よ?
「こうして大勢で外で食事を楽しむのも良いものだな」
ロゼさんが賑やかに騒ぐ特務師団の皆さんを見て目を細めて笑っている。
「野営のときはこんなに気の抜けた雰囲気じゃないからな。連中のこんなに楽しそうな顔を見るのは久しぶりだ」
ロゼさんも嬉しそう。
凛々しい横顔に目が吸い寄せられる。
あんなにイケメンが苦手だったのに、そしてロゼさんはこんなにイケメンなのに、いつも否応なく感じていたイケメンの壁を今、ロゼさんには感じない。
出会った頃は確かにあった壁なのに。
「みんな、嬉しそうだ。アリス、お前のおかげだな」
優しく微笑んでくれるロゼさんに、私も微笑みを返す。
あなたが嬉しいと、私も嬉しい。
なんだか胸が暖かくなるの。なぜかしら。不思議ね?
長閑な風を感じながら楽しくおしゃべりしていたら、それはやって来た。
来ると思っていたわ。いいえ、むしろ待っていたの。
ざわりと不穏な風が吹く。
今までののんびりした穏やかな空気を霧散するように。
喧騒が嘘のように静まって、みんなが緊張するのが分かる。
私たちを取り囲むように集まったそれは赤い目を光らせた。
警戒の中、土を踏み鳴らし、茂みから現れたその魔物の姿は。
ーーー鹿?
鹿、かぁ。鹿ね。
前みたいに、うさぎの姿の魔物が出るのを期待したんだけど。
鹿、はちょっと大きいなぁ。
「抜かるなよ! 一体一体確実に仕留めろ!」
ロゼさんの号令に、みんなが大きな声で応じる。
あ、待って。全部倒さないで。
「あの! 一体生け捕って欲しいんですど!!」
しんーーー。
あら?
声を上げたら、恐ろしいほどの静寂が広がって、痛いくらいの視線が集まってきたわ。
「アリス!?」
あらやだ、ロゼさんまで目を剥いて。
捕まえてね、一匹でいいから。
私はにっこり笑った。




