慰問
バレットさんの瞳を見つめ返して、
「報酬が惜しくなったんですか?」
と聞くと、バレットさんはがっくりと肩を落としたわ。
前は、そういう要員じゃないと言っていたのに、そんなことを言うってことは、出世欲(?)が出てきたのかなって。
でもバレットさんはすでに相当の地位にいるのよね。魔道士団の団長って、実はかなりすごいらしいの。
出世じゃないとすると、目的はお金の方かしら。高い地位にいるのだからお給料も良さそうだけど…。
急に大金が必要になったとか?
それとも、お金のかかる趣味を持ってたりするのかしら。生活水準の高い人って、そういうところ、あるわよね?
元の世界で言えば、車とか旅行とか?
情け無い感じに眉を下げたバレットさんが何かを言うより先に、くっくっと忍び笑う声が聞こえてきたわ。
「いつまでも立ち話をしていないで、座ったらいかがですか?」
コーヒーを淹れてきてくれたフェニさんよ。
ポインセチアの鉢を私から受け取って、私を椅子に誘導したフェニさんはバレットさんに何かを言っていたわ。
「抜け駆けなんて、らしくないことをするからですよ」
「だって…僕だけあんまり話す時間ないんだもん」
こそこそと何か囁き合ったあと、フェニさんが言った。
「今日の本題は別にあるのでしょう?」
本題?
湯気をあげる温かなカップを両手で包むように持つと、指先がじんと痺れるように暖まる。
そうそう、と少し困ったように笑って向かいに座ったバレットさんが、
「相談があるんだ」
と、言ったわ。
相談?
「君の癒しの力のことなんだ。他の師団にもだいぶ話が広まってね。ロゼの団が君を占有するのはズルい、とクレームが入ったんだ」
…クレーム?
「どういうこと?」
「最近は魔物が多くて、どの師団も連日討伐に出ているんだ。騎士団員はそれが仕事とはいえ、こうも続くとね。口に出して訴えるものはいないけれど、皆、疲れが出始めている」
魔物が多い。
それはここのところ良く聞く言葉だ。
雪に閉ざされた15年の間は魔物もなりを潜めていたようで、姿を見ることはほぼ無かったと聞くわ。
それが、最近はこれまでに無かったほどに多くの魔物が出現している。
討伐する騎士さんたちの労力は、大変なものだろう。
私は頷いて、そして首を傾げた。
「それで、ズルいっていうのは?」
「うん。君の近くにいるとそれだけで癒しの効果を受けることが出来るだろう? ロゼの団員は護衛任務が主だから、君の近くにいることが出来る。それなのに食堂でも君の席の近くはロゼの団員が占めている。それがズルいって言うのさ」
…なるほど?
思わずぱちぱちと瞬きを繰り返してしまう。
「食堂で、君の近くにロゼの団の騎士が席を取るのは、護衛の面から考えても当然だとロゼが譲らなくてさ。それならと、各師団への慰問を希望する旨の申請があったんだ」
「慰問…」
「ただ、君の負担になることを懸念したカウム宰相補佐は、この申請に否定的だ」
私はバレットさんの瞳を見つめた。
「でも、バレットさんはやった方がいいと思っているのね?」
だから、その話をするのでしょう?
バレットさんはにっこり微笑んだわ。
「話が早くて助かるよ。師団間に不和が生じることは望ましい状況とは言えないからね。それに、強く希望しているのはルカ王子殿下の第1とファッケル団長の第3なんだ。僕は、癒しの力云々は口実だと思ってるけど、騎士たちが本当に疲弊してしまう前に、打てる手があるなら打ちたいと思っている」
うん? 口実 って言った?
ほかに目的があるってこと?
「第5と第7、第10、第11からは、それぞれ辞退の申し入れがあったから、その4つは行く必要がないんだ。14師団中10師団、月に一回か二回、それぞれ30分から1時間くらいでいいと思う。特別なことは何もしなくていい。ただ、団舎に行って騎士団員と過ごすだけ。もちろん、ロゼかクロシェ副団長が同行する。どうかな?」
うん、まあ。出来ないことは無いと思うわ。だって、今、ほとんど何もすることが無い、というか、しなくてはいけないことがナイ状態だし。
役に立てることがあるなら是非やらせてもらうわ。と言っても、偉そうに言えるようなことはしないのよね、実際。
だって、団舎に行って、騎士さんたちと過ごすだけ、なのでしょ?
あまり社交的な方ではないから、心配があるとしたら上手に会話ができるかしらってところだけど。
まあ、なんとかなるでしょ。
それに、聖女についての情報が手に入るかもしれないしね。
「わかったわ」
答えて頷くと、バレットさんはにっこり笑ったわ。
「ありがとう。もし、嫌になったらすぐに言ってね。一度引き受けたことは最後までやらなくちゃいけない、みたいな考えはしなくていいから」
ふふふ。
思わず笑ってしまったら、バレットさんの右の眉が上がったわ。
「なに?」
「だって、慰問して欲しいって言ってるのに嫌なら辞めてもいい、だなんて。そんなに気を使わなくてもいいのに」
バレットさんは眉を下げてほんの少し上目使いに私を見た。
「気は使うよ? ヘンな意味じゃなくてね。魔道士団団長としては、騎士団の各師団に変な確執はできて欲しくないし。君を奪い合って争うなんて、個人だけで充分だし。魔物は本当に次から次に出て来て騎士団には頑張ってもらわないといけないし。そのために君に協力を頼めるなら頼みたい。でも、僕個人としては、君に無理はさせたくない」
バレットさんは顔を上げると真っ直ぐに私を見たわ。
涼やかな瞳を切なそうに潤ませて、そうして微笑むバレットさんは、なんだか壮絶に色っぽい。
「聖女としての役割を果たそう、とか、聖女だからやらなければいけない、とか、そんな風に責任を感じる必要は無いんだ。君は、本当はね」
バレットさんは少し目を伏せて自嘲するように口の端を上げたわ。
「本心はね。僕は君には聖女としてではなく、普通のひとりの女性として生活して、出来るならこの世界で幸せになって欲しい。だけど、魔道士団団長としての僕は、君の聖女の力に期待してる」
バレットさんは手を伸ばして、そっと私の頬に触れた。
まるで壊れ物に触れるみたいに、そうっと。
「君に頑張って欲しい。でも無理はして欲しく無い。相反するようで、どちらも僕の本音だよ。君が頑張ってくれるときも、そうでなくても、僕は君を心からサポートする。絶対だ。だから何かあったら気兼ねなく打ち明けて欲しい。どんなときも僕は君の味方だから」
大きな優しい手。バレットさんの言葉からは優しさが伝わってくるわ。きっと、この人は困ったときに助けてくれるだろうって、そう思える。
私はその手に手を重ねて、自然と微笑み返していた。




