長い一日
突然思いがけない状況に陥ったとき、時間が止まったように感じることってない?
ぽかんとしちゃって、言われている言葉もうまく理解できないというか。
耳には入っているのよ。聞こえているの。でも、音として入ってくるだけで意味がついてこない。
私はカリナ王女殿下の金色の瞳を見つめ返した。
ルカ殿下が何ですって?
「先日のパーティーでアリスさまにお会いしてから、兄はアリスさまのことをとても気にしているようなの。ダンスの相手をロキに取られてしまったことをたいそう悔しがっていたとも聞いていますし。もし、アリスさまの旦那様候補の皆さんが解散となった理由が兄だったら、きっと兄は喜ぶわ」
止まっていた時がやっと動き出したみたいに、遅れて意味が頭に届く。
いやいや。なにを仰いますか。
「ルカ殿下は次の国王さまになられる方ではありませんか。私のような素性の知れないものではなく、きちんとした身分の方が相応しいですわ」
そうよね? そもそも、王子様相手に恋なんて、畏れ多いわ。分不相応よ。それに、ルカ殿下は別に喜ばないと思うわ。
ナイナイと首を振って言うと、カリナ殿下は残念そうに眉を下げた。
そうしたら今度はライラさまがゆったりと微笑みながら、
「わたくしは、アリスさまは十分相応しいと思いますわ」
と言ったの。
…なんで?
相応しくはないでしょう? だって、王子様よ? 次期国王さまよ?
「わたくし、父が王宮勤めをしているので、アリスさまのことも聞き知っておりましたの。気さくで穏やかで優しくて行動力があって常識に囚われない素敵な方だと。ですからわたくし、今日お会いできるのをとても楽しみにしておりました。アリスさまは噂に違わない、気さくで優しい素敵な方ですわ」
と、ライラさまはふわりと微笑んだわ。
サリーさまも頷いて、
「私もルカ殿下とお話しする機会があったのですが、アリスさまともう一度お話ししたいとおっしゃっておられましたわ。意外性というか、新鮮な会話がとても楽しかったそうです。周りの人を思いやれる強さも、好ましく思っておられるようでしたわ」
なんて言うのよ。
…なんでそんなに、みんなルカ殿下推し⁈
ちょっと落ち着きましょうよ。
罷り間違って、私がルカ殿下と恋仲になったらどうするの? 次期国王さまの、つ、つ、つ、妻、とかに私がなったゃうかもしれないのよ…?
私なんて、どこの馬のホネともつかない異世界の人間よ?
そんな女が王妃になったら嫌でしょう? 困るわよね?
常識に囚われないって、そりゃあそうよ。だって、こちらの常識なんて知らないんだもの。
こちらの人からしたら、おかしなコト、言ったりやったりしてると思うわよ?
でもそれは私が異世界の人間だからであって、『私だから』ではないと思うのよ。
それが私でなくてもきっと、異世界の人間の行動や言動は新鮮に映ると思うわ。
それを奇異に感じて厭うのではなく、愉快と受け止めて下さっているらしいところは、ルカ殿下の度量の大きさを感じるのだけれど。
「私、ルカ殿下がそんなに気を使って下さらなくても、聖女として出来る協力はしていくつもりでいますよ」
困ります、からかわないで下さい。って顔面で出来るだけ表現して、困った笑顔でちょっとだけ首を傾げて見せると、3人は顔を見合わせた。
「アリスさま。ルカ殿下は王子としてまたは次期国王としての義務感で聖女さまを懐柔しようとしているわけではありませんわ」
と、ライラさま。
「アリスさまがこのパンセレーノンのために心を尽くして下さったこと、私たちも本当に感謝しておりますし、ルカ殿下も、アリスさまのお心は理解されていると思います」
これは、サリーさま。
「それにアリスさまはどこかの馬のホネではないわ。聖女であるということは、国王に並び立つ素養がある、ということですもの。堂々となさいませ」
そう言って、艶やかに微笑むカリナ殿下。
えー。ちょっと待って。
なんとなく、言われたことは分かったわよ。
ルカ殿下は私自身に興味をお持ちになっていて、そして私は王子の相手として身分の問題は無い、ということね?
…なんで問題ないんだろう。
聖女って、そんなにすごいの?
問題にしようよ。異世界の人なのよ、私。
麗しい美形家系にはちょっと…。混ざる勇気がないわ。無理よ。怖いわ。色々と。
ルカ殿下は素敵な方だと思うわよ。パーティーで話しただけの印象だけど、良い人そうだった。
だけど、恋するわけにはいかないわ。
決して口に出しては言えないけれど、私、元の世界に帰りたいんだもの…。
…まあ、でも。
ルカ殿下が私に興味を持ったっていうのは、あれよ。ちょっと変わったヘンな女だからでしょう?
大丈夫大丈夫。
私なんてツマンナイ女だし。次にお話しする機会がもしあれば、ルカ殿下にもそれが分かると思うし。
興味なんてすぐに無くすわ。
そうよ! 好かれちゃったらどうしよう、なんて余計な心配よ。ちょっと一瞬考えちゃったわ、恥ずかしい!
普通にしていればいい、と気を取り直したところに、その人はやって来た。
「カリナ? こちらにいるのか?」
あら? この声って?
「お兄さま、こちらにおりますわ」
って、カリナ殿下が返事をしたということは、この声やっぱりルカ殿下?
すぐに草を踏む音が聞こえて、現れたのは通常の騎士団の制服を身につけたルカ殿下だった。
「カリナ、っと失礼。お茶会の途中でしたか」
私たちに気がついて、ルカ殿下はにこやかに微笑まれたわ。
「お兄さま。お茶会は大変盛り上がっているのですが、残念ながら間も無くお開きの時間ですの。恐れ入りますが、アリスさまを彼女の宮までお送りしていただけませんか? 入り口まではフロスト団長が迎えにみえられることになっておりますので、そこまでお願いします」
えええ⁈
カリナ殿下の言葉に、私の目はきっと点になったわ。
「アリス殿」
だめだ。目を点にしている場合じゃないわ。
私はよっこいしょ、と立ち上がってカーテシーで礼をした。
「こんにちは、ルカ殿下」
ところで、王子殿下にお送りいただくなんて申し訳ないので遠慮したいところだったのだけど、全くもって無理だったわ。
時間に遅れたらロゼさんが黙ってないだろうからさっさと行け、とばかりに送り出されてしまった。
ルカ殿下に手を引かれて庭園を歩く。
傾きかけた陽が、オレンジに周りを染めて、雰囲気はとってもロマンチック。
なんだけど。
ねえ、これ。手を引かれて歩くって普通なの?
よく手入れの行き届いたお庭よ。段差とか、ほとんどない。転んだり、はぐれたり、そういうこと心配する必要ないと思うんだ。
でも、ルカ殿下はしっかりと私の手を握って歩く。
ごく自然に手を差し出されたから、私も自然にその手に手を重ねてしまったのだけれど、そのままずっと手を繋いで歩く格好になってしまって困惑しているわ。
このお城には大きな中庭があってね。私の部屋がある宮までは中庭を突っ切った方が早いからとここを歩いているのだけど。
さっきからルカ殿下の顔色が優れないみたいで気になるわ。
「あの、殿下? ずいぶんとお疲れのご様子ですね?」
やっぱり、送ってもらうなんて良くなかったんじゃないかしら。
おずおずと声をかけると、殿下は私を見て苦笑を浮かべたわ。
「気取られるとは、まだまだだな」
呟くようになにかおっしゃったけどよく聞こえなかった。
「はい?」
「いいえ。お気遣いなく、アリス殿。それに、あなたとこうしていると、不思議と疲れが消えていくようです。ファッケル団長が言っていたことはこういうことなのかもしれません」
うん? アベルさん?
「最近魔物の動きが活発です。アリス殿はお忍びが得意なようですが、決して1人で出歩いてはいけませんよ。必ずフロストを伴って下さい」
ルカ殿下はイタズラっぽく笑って、握っていた私の手に唇を押し当てるとそのままじっと私を見つめて、
「もちろん、私を呼んでくれてもかまいません。喜んでお伴しますよ」
そう、甘やかにおっしゃったわ。
めっそーもございません!
王子殿下を呼びつけたりなんて出来ないわよ!
心の中で絶叫したわ。
イケメンムーブ、ほんと心臓に悪い。




