異世界
通されたのは10畳ほどのお部屋。4人掛けのテーブルと椅子が中央に置かれ、壁には暖炉があって、暖かかった。
レースのカーテンがかかった窓の向こうは白く薄暗い。
昼間、なのね。
つい数十分前に、夕飯を食べたのにね。
もしかしたら外は雪が降ってるんじゃないかしら。なんとなく、冷えた空気を窓の方から感じるから、外は相当寒いんだと思うわ。
「お腹は空いてはおられませんか?よろしければ食事を用意しますが?」
拓真といっぱい食べた後だから、お腹は空いてない。
首を横に振ったら、では飲み物を用意しますね、って言ってくれた。
どうぞおかけ下さいって、赤茶色の髪のイケメンが、すっと椅子を引いて座らせてくれて、別の濃紺の髪のイケメンが紅茶を運んでくれた。
なんなの。この世界はイケメンしかいないの?
「申し遅れましたが、私はカウム・バサルデスと申します。この国の宰相補佐をしています」
グレーの髪のおじさまはそう言って微笑んだ。宰相補佐。それってかなり偉い人ってことかしら。…歳はかなり上だけど、この人も相当イケメンだわ。
じ…、っと見つめたら首を傾げられちゃった。
あは。なんでもないです…。
カウムさんはこの世界のことを話してくれたわ。
パンセレーノンというこの国は災害の多い国なのだそうだ。かつては干ばつが続いて作物が育たなかったり、豪雨が続いて川が氾濫したりすることは珍しくなかったのだとか。疫病が流行り土地が荒れ、人口が減るほどの被害がでた。王様は神に祈った。何日も何日も、飲まず食わずで、不眠不休で。祈り続けた。国を救って欲しいと。祈り続けて、やがて、神が応えた。
異世界より乙女がもたらされたの。
異世界から来た乙女は不思議な力で天候を操り、災害の発生を抑え、必要な時に日照りを必要な時に雨をもたらし作物の収穫を安定させた。
この乙女を人々は敬意を持って「聖女」と呼んだ。
それが聖女のはじまり。
以降、聖女が亡くなると、天候はコントロールを失ったように荒れるのですって。
聖女を失い、天候が荒れる度、この国は儀式を行って異世界から聖女を呼んだ。
天気をコントロールしてもらうために。
ただし、聖女召喚の儀式は大変大掛かりな魔法で、星の巡りとか色々な条件を全て満たさないと行うことができないそうよ。だから、出来ても年に一度か二度なんですって。そして、成功率はとても低い。
先代の聖女さまが身罷られたのは15年前。そのあと儀式は21回失敗していて、22回目の今日、とうとう成功して、私が現れたというわけ。
なるほど、つまり私に天気をコントロールしてほしいって言うのね?
「…………」
それって、とんでもないことなんじゃない?
だってお天気よ? 気まぐれな人の代名詞になるくらい計り知れないものよ。人知の及ぶものではないわ。
そんな大それたこと、たとえ出来たとしても、やってはいけないんじゃないかしら。
そもそも、本当に私に出来る? 全く出来る気がしないのだけど?
「大丈夫です。出来ます」
カウムさんは断言した。
なんで言い切れるの?
私が聖女だから? 本当に私は聖女なの? 何かの間違いではなくて?
問い詰めたい気持ちはあったけど、とりあえずおいておくわ。
そんなことよりも他に、どうしても確認したいことがあるのよ。
これを聞くのはとても怖い。だって、いやな予感がすごくするんだもの。
ああ、いつのまにか、喉がカラカラよ。
心臓がどきどきして、空気を上手に肺まで送れてないように感じるわ。
落ち着いて。
いただいた紅茶を一口飲んで。
そっと息を整えてから、まっすぐにカウムさんの、キレイな緑色の瞳を見つめて口を開いた。
「元の世界に戻ることは出来るのですか?」
カウムさんはとても苦しげに表情を歪めた。
同時に室内に奇妙な緊張感が漂ったわ。
壁際に控えていた数人のイケメンさんたちが、みんなが一様に息を飲んだのよ。
これは、答えを聞くまでもないわね…。
うううん。はっきり聞きたい。可能性はあるのか、それとも全く無いのか…。
縋るように見つめた私を見て、カウムさんが静かに頭を下げて言ったわ。
「申し訳ございません。元の世界にお返しすることは出来ません」
と。
「返すことが出来ない、というのは技術的なことですか? それとも…」
「技術的に、返す方法が確立されておりません。これは秘匿しているということではなく事実でございます。ですので、今は不可能ですが、方法が絶対に無いのかと問われれば、分からない、と申し上げるほかございません」
頭を下げたまま、カウムさんは続けた。
「しかしながら、お返しする方法を研究することも、また模索することも、我が国では行いません。従いまして、この先も聖女さまを元の世界にお返しする方法が見つかることはないでしょう」
うん。言われていることは分かるわ。
だって、聖女が居なくなっちゃったらこの国の天候は荒れ放題。季節なんて関係なく真夏のような日照りが続いた翌日、ものすごい雪が降ったりする。そんなんじゃ、農業なんて出来っこない。野菜も穀物も作ることが出来ない。
食べ物の確保が予定通りに出来ないって、きっとすごく恐ろしいことだ。
少ない食べ物を奪い合って、争いも起きるだろう。
だからこの国にとって聖女は不可欠。たとえ方法があったとしても、手放したりはできない。
それが、私が、元の世界に戻れない理由だ。
でもそれって、酷いよね?
私にとっては、酷く理不尽だ。
私はカウムさんの後頭部を見つめながら考えた。
職場の先輩のちょっと薄くなってきていた頭とは違う、ふさふさの頭。
ひょうきんで、ひとを笑わせるのが上手な先輩だった。いつも助けてもらっていたあの先輩に、もう会えない。先輩だけじゃないわ。お父さんにもお母さんにも、ああ、拓真にも、もう二度と会うことは出来ない。出来ない、の…?
暖かかった手の中のティーカップはとっくに冷たくなっていた。
目を伏せたら、透き通った琥珀の液体が静かに揺れたわ。