② 声の正体
②声の正体
風の中からとつぜん聞こえてきたあのささやき声。あれはいったい、なんだったんだろう?
オレの空耳か?
いやぜったいにちがう。オレに向かって、たしかにだれかが、けしかけたんだ。図書委員になれって。
許せない! おかげで、さっそく明日から放課後の貴重なサッカータイムをけずりとられるんだ。
ベッドに寝そべって、スナック菓子をほおばりながら、オレのくやしさは、なかなかおさまらなかった。
だけど、右手を見るたび、きゅんとこみあげてくるうれしさとせつなさ。
ほっぺたの筋肉が知らず知らずゆるんでくるのが、自分でもわかる。
初めてにぎった美里ちゃんの、小さくてあったかくてふくふくした手の感触!
この手、当分はぜったい洗わないからな。
「どうしたの? さっきからひとりでニヤニヤしちゃって? 気味悪いったらありゃしない」
いきなり顔の真上で声がしたので、びっくりして飛び起きた。
パートから帰ってきた母さんが、不思議そうにオレを見下ろしている。
オレの母さん、松原留美子、御年四十歳。顔のしわなし。たるみなし。白髪ももちろんなし。
三十歳といってもぜったいにバレないということが、本人の最大の自慢らしいけど、悲しいかな、ヒップのたるみには気がついてないようだ。
「母さんてば、入るときにはノックしてよ。急にだまって入らないでくれる?」
「なに言ってんのよ。いくらノックしても返事しないからでしょ。ニヤニヤ笑って手ばかり見ちゃってどうしたの? 手相でも始めた?」
母さんはあきれたようにオレを見下ろし、クンクン小鼻を動かすと、顔をしかめて、部屋の窓のかぎを開けた。
「どうして男の子の部屋って、こんなにくっさいのかしらねえ。ポテトチップスとくつしたのにおいが充満してるじゃないの」
そう言うが早いか、いっきに窓を開け放した。
待ってましたとばかり、どどうと入り込んできた風。
オレの机の上の読みかけのジャンプやゲーム攻略本のページをみるみるめくり始める。
もう! 寒いじゃないか! 窓を閉めに立ち上がった瞬間。
またもや、オレの耳にあのなぞの声がささやいたのだ。
ーオマエさあ、図書委員になったら、しっかり本を借りて来いよ。ジャンプとゲーム本しか読まないようじゃ女の子にモテねえぞ。
さっきから、なんでオレのとこばっかりつきまとうんだ。こいつ。堂々とすがたを見せろってんだ!
「よけいなお世話だ。出てけ、バカヤロー」
「なんですって!」
母さんの整えた眉がぴくんと動いた。
あわわ!
思わず、口を押さえるも、あとのまつり。
「ヒカル、あんた親に向かってよくも、出てけ、バカヤローなんて言えるわね。よし、わかった。せっかくあんたの大好きな中華まんじゅう買ってきたけど、もういい。あたし一人で食べるわ」
母さんはすごい目でオレをにらむと、ドアをピシャッと閉めて、階段を下りていってしまった。
あーあ、ツイてない。 オレの大好物のあまからやの中華まんじゅう、食いそこなったじゃないか。
「おいっ、おまえ、いったいだれなんだよ! 返事しろ」
カーテンを左右にゆらしながら、なぞの声はすんなりと答えを返してきた。
―き・た・か・ぜ。
「ふざけんな! 北風小僧の寒太郎かよ」
ぜったいだれかがどこかにかくれて、いたずらしてるにちがいない。
窓から外をのぞき、部屋の中にだれか忍び込んでないか、丹念に調べる。
―無理だって。おいら風なんだからさ。すがたが見えるわけないだろ。
またもや、からかうような声。
「あのなあ、風と話せるほど、オレの頭、狂ってねえぞ。ごまかさないで、とっととすがたを見せろ!」
オレの怒りは爆発しそうになった。すると、
―ああ……やっぱりな……。
深い深いため息のように、ヒューという音が耳をかすめた。
―オマエ、サッカーとゲームにばっかりひたってるから、からきし想像力がないんだな。つまり、おいらは風の精なんだよ。
風の精だって? びっくりを通りこして笑い出しそうになった。
「そんなもんいるはずないだろ!」
―よし、どうしても信じないっていうんなら信じさせてやるよ。
なぞの声が、急にトーンを落とすやいなや、とつぜん、みぞれまじりの突風が、オレの部屋にごうっとなだれこんできた。
カーテンはめくれ返り、本という本がドサドサ落ち、電灯までが危うく落下しそうになった。
「やめろ、やめろってば!」
こんなことって、ホントにあるわけ?
ここまでされると、さすがのオレも、この不思議な風の精とやらを信じないわけにはいかなくなった。
「わかった、わかったよ。おまえは北風なんだな。で、オレになにの用だ?」
―やれ、やれ、やっと信じてくれるんだな。
急におとなしくなった北風は、個人データをゆっくりと読み上げるように口を開いた。
―松原ヒカル、成績もルックスもまあまあだけど、運動神経バツグンで、友だちも多い。だが、読書がきらいで、想像力に欠けてて、女子にモテない。
「悪かったな。それがなんだよ?」
―でもまあ、おいらの友だちになってもらうには、オマエみたいなやつが一番なんだよ。あちこち探し歩いたけど、やっと見つけた。
こいつ、いったいなにを言いたい?
―実は、オマエにおりいってのたのみがあってな。
オレは思わず身を乗り出した。
風のたのみごとなんて、そうそうあるもんじゃない。
カーテンがゆれる。
北風が、なにか言いたげに、呼吸をととのえているのがわかった。




