⑩ 「ヒミツの間の図書カード」
⑩ヒミツの間の図書カード
あれからずっと、オレと北風の読書は、休みなく続いていた。
火曜日の昼休みのことだ。
給食当番で、大幅に休み時間を削られてしまったオレは、超特急で図書室に向かっていた。
図書委員は、一ヶ月に二、三回、昼休みと放課後、割り当てられた当番の日がある。
昼休みは主にカウンターで本の返却や貸し出し。放課後は本の整理や当番日誌をつける仕事をする。
今月、悲しいかな、オレはゲッ子と当番を組む予定だった。
あの事件以来、ゲッ子とも美里ちゃんとも、まったく口をきいていない。
最初はあからさまにオレを避けていた感じだったが、最近では普通に無視を続けている。
オレもあえて話しかけようとはしないけれど、今まで会うたびにっこり笑いかけてくれた美里ちゃんのスマイルが見られないのは、はっきり言ってヒジョーにさびしかった。
図書室には、ゲッ子が先に来て、四、五人の低学年の子たちに本の貸し出しをしていた。
低学年の子たちが行ってしまうと、ゲッ子は、ちょっと来てというようにオレを手招きした。
会議室のおくに、うす暗い倉庫のような一室がある。どうやら、そこにオレを連れていくつもりらしい。なんだろう……。ひょっとしてこれまでのうらみつらみを、そこで爆発させる気じゃないだろうな。
少し身構えながら、ゲッ子のあとに続いた。
ドアの前で、ゲッ子がふりかえった。
「ヒカルはまだここをのぞいたことないでしょ。案外ここにも読める本があるのよ」
ゲッ子にうながされ、オレは、そのとびらをそうっと開けた。
プーンとただよう、ちょっと湿っぽいような匂い……。どこかを思い出すな。
そうだ、たしか、田舎のおばあちゃんちに、蔵とよばれる古い建物があって、そこに入ったときの匂いとそっくりだ。
「かなり前からの図書室の本がとってあるの。ちゃんともどしさえすれば、読んでもいいのよ。図書委員だけが知ってるヒミツの間、なあんちゃってね」
ふだんの意地悪なゲッ子とは、想像もできない親切ぶりだ。気味は悪かったが、ヒミツの間を教えてくれたことはありがたかった。
ゲッ子がもどっていき、オレはヒミツの間に入ってみた。
かべのスイッチを押すと、蛍光灯がたくさんの本棚を照らし出した。
これらの本棚の中には、出番を終えた、むかしの古い本たちが静かに眠っているのだろう。
中には、今ある図書室の本と、ほとんど変わらない、きれいな装丁の本もあった。
うすく小さいけれども内容はびっしりつまった本などは、校庭に持ち運びするにはすごく便利がよさそうだ。
以来、オレはしょっちゅう、ヒミツの間の本を利用させてもらうことにした。
本も久しぶりに外の空気が吸えてうれしいかもしれない。
それからしばらくたったある日の中休み。
外で読書をしていたら、チャイムが鳴った。
三時間目は、音楽の授業だ。橋本先生は時間を守ることに厳しい。急がないと大目玉をくらってしまう。
そこいらじゅうに散らばった本をかき集め、走り出そうとしたとたん、北風が呼び止めた。
―待て、ヒカル、なにか落ちたぞ。
北風は、地面に落ちた白いカードを、オレの方へふわりと吹いてよこした。
「サンキュ」
ゆっくり見ている余裕はない。
とりあえず、それをジャンバーのポケットにねじこむと、鼻水をすすりながら、音楽室へと猛ダッシュした。
カードのことを思い出したのは、その日の放課後だった。
下校時間まで北風と読書していたら、なんと北風が読んでいる本の中からも、似たような白いカードが二枚出てきたのだ。
オレはポケットからさっきの一枚を取り出すと、三枚を並べてつくづくとながめた。
―なんだ、それ。
北風ものぞきこんでくる。
少し黄ばみかけてるところをみると、どうやらかなり前の図書カードのようだ。
今、図書室の本を借りるときには、カウンターで図書委員が貸し出しノートに、日付、本の題名、学年、組、名前を書き入れるようになっている。返す時も図書委員が返却サインをする。
けれど、以前は、一冊一冊の本の最後にポケットをくっつけて、その中にカードを入れていたようだ。
カードには、本の題名だけが書かれていて、後は、それぞれが借りる時に学年、組、名前、日付を記入するようになっている。
多分借りる時にこのカードを提出して、返す時に、返却した日を書き入れて本の中に戻していたんだと思う。
人気がある本はカードの枚数も№1から№4くらいまであり、表も裏もびっしり名前が書きこんである。
もう何年も前に、この小学校を卒業した先輩たちの名前が、一枚のカードにずらっと連なっている。
一冊の本の中に、こんなにたくさんの心が入りこんだのか。
オレは感心してしまい、三枚のカードをしばらくぼうっとながめていた。
五年一組 村上るみこ
今のオレより、ずっと上手な字で名前が書かれている。
この子って相当本が好きだったんだな。三枚のどのカードにも名前がある。
『あしながおじさん』とかは、返却して借りなおし、また返却しては借りている。よほどお気に入りだったんだ。
いったい、どんな子だったんだろう……?
もしかしたら、美里ちゃんみたいなタイプだったのかもしれないな。
オレの頭の中に、美里ちゃんの笑顔がなつかしく浮かんだ。
その時だ。横で見ていた北風が、あっと大きな声をあげた。
―おい、本のストーカーを見つけたぞ。
「は?」
―るみこちゃんの名前の下、見てみろ。いつも決まってこいつの名前があるだろ。
よく見ると、北風の言うとおり、村上るみこの名前の下には、五年生にしては、ややへたくそな、広田一夫という文字が、偶然にも三枚そろって並んでいた。
こいつ、きっと青柳恵太みたいなやつだったのかな。
だけど、広田一夫って、どこかで聞いたような気がするんだけど………。
―たしか、あの子の名前も広田っていうんだよな。
北風がそういった瞬間、オレの目玉は、カードにピタッとはりつけられたように、完全に動かなくなってしまった。
―おい、どうした、ヒカル?
「どうしたもこうしたもないよ」
広田一夫っていうのは、今小学校の校医をしている美里ちゃんのおじさんだ。
そしてオレが、美里ちゃんの面影をいだいた村上るみこちゃんとは………。
オレの母さんじゃないか! まったく! 自分の母親の旧姓とか、完全に忘れてたよ。
美里ちゃんのおじさんと、母さんは同級生なのよって、いつだったかオレに話してくれたことがあるんだ。と、すると? オレの頭の中はすぐに計算機となった。
げっ! 二十年以上前の本がまだあのヒミツの間に眠ってるわけ?
そしてそのこと以上にオレがおどろいたのは、オレの母さんも、美里ちゃんのおじさんも、実によく本を読んでたってことだ。
こんなに偶然にも、同じ本を読んでたのかな?
それとも…。
ーははーん、読めたぞ。
北風は、むずかしい謎を解き明かした探偵のように、ほこらしげな声を出した。
あれからオレは、ヒミツの間に行って、広田一夫君と村上るみこちゃんの名前が並んだカードを、六枚も見つけてきたのだ。
―要するにだな、一夫くんは、るみこちゃんにほの字で、るみこちゃんの読んでる本を全部読んでみたかったっていうわけだ。
「なるほど………」
北風の推理は、案外当たっているかも知れない。
でも、広田先生の好きな相手が、よりによってオレの母さんだったなんて、ホントにびっくりだ。
ちなみにオレの父さんも、同じ小学校を卒業してるけど、母さんが五年生の時はもう中学生だったわけだから、三角関係にはならずにすんだってことか。よかった……。
―ヒカル、オマエも一夫くんを見習ったらどうだ?
不意に北風が言った。
―美里ちゃんが読んでる本を、オマエも読んでみたくないかってことだよ。
そうだ! そうだよ! どうして今まで気がつかなかったんだろう。
美里ちゃんが毎日くいいるように読んでる本を、ちらっとのぞいたことはあっても、オレが読んでみようなんて爪の先ほども思わなかった。
美里ちゃんが読む本なんて、オレにはとうてい読めるわけないって、あきらめてしまってたんだ。
だけど今なら読めるかもしれない。読んでみたら、美里ちゃんのことが、もっともっとわかるかもしれない………。
たとえば、どんなものに興味があるとか、どんな所へ行ってみたいとか、心の中を今よりもっとくわしく知ることができるかもしれない!
「オレ、ちょっと調べものしてくる」
―おうい、もっと本、持ってきてくれ~。
背中の方から、北風の声がした。




